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普通って何だろう

"普通"とは何なんだろう。何気なく当たり前のように使っているこの言葉が最近よくわからなくなってしまった。

現代は便利な世の中でインターネットで検索すると何でも調べることができる。

"いつ、どこでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいない様(の状態)

率直な意見としては「なるほど」と納得の答だった。でもそれと同時に、これは一体"誰目線"においてのことなのだろうという疑問も生まれる。いくら考えても誰に対しても当てはまってしまう。

人は誰しも主観で生きていて、自分なりの"普通"が存在していて、そうなれば人間の数だけ"普通"は存在するのではないか。もしそうなら自分の中で"普通"って言葉を百パーセント理解するなんて不可能だと思う。

ここで僕なりの"普通"という言葉に対しての現時点での考えを表現しようと思う。先ほども言った通り、人間の数だけ"普通"は存在し、皆それぞれの主観で生きている。そうだとすれば、"普通"とは人間1人1人に潜んでいる固定概念では無いのだろうか。「こうするべき」とか、「こうした方が良いのではないか」といった自分においての考え方。人は誰しも持っているものだと思う。

では、それ(普通)を理解し合うことはできるのか。話は変わるが、僕の好きな言葉の一つに多様性を理解するという言葉がある。多様性は相手の主観(価値観)を理解し、受け入れることで、許容範囲を広がりその繰り返しによって知見が増え様々な人間の考え方を理解することができるようになる。でも相手の考え方を理解するというのは、口で言うのは簡単だが、実際問題難しいことだと思う。なぜかと言うと、それは自分がこれまで信じていたことを否定することになるからだ。本来、自分が信念として持ってきたことは、それまで生きてきた経験に基づいて形成されている。人は誰しも生まれ育ってきた環境は異なり、その分考え方には相違が生じる。

簡単に理解するのは難しいのかもしれないが「もし自分が完璧な人間ではなく、他人の良い部分を取り入れたい」という気持ちが少しでもあるならば、他人を理解し受け入れ、共感するべきだと思う。そうすることで自分の中に違う価値観が生まれ、他人を理解できる部分が増える。他人を受け入れ、自分の考えをより深く、広くすることで人は成長できるのだと思う。

"普通"って言葉を理解するには、今日においては人生経験が浅く、もっと沢山の人に出会い、その人の考え、価値観を受け入れる必要があると思う。

まだまだ"普通"という言葉に対して全てを理解できては無いが、現時点での考えは人間1人1人に潜んでいる固定概念という認識で一旦締めくくろうと思う。今後生きて行く中でもっと理解して生きたい。人生はまだまだ長いのだから。

               2020.08.16