せめぎ合う

現場の仕事もそうだが、相談援助の仕事もやはり人がころころ変わってしまう。

多すぎるサービス残業、見合わない給料、利用者(患者)とその家族や会社、ある時は法律の板挟みにあい、思うように動けないもどかしさ。

他施設や他業種との連携もうまくいかなければ、利用者へに適切な対応も疎かになり、それは事故という形になる。

クレームならまだマシだ。事故は何よりも悲しい。我々が利用者、あるいは利用者を囲う人たちから大切な機会や身体、心、信頼を失ってしまうからだ。


少し脱線してしまった。言いたいことは。

相談援助の仕事も人がころころ変わる。それはせっかく築いてきた利用者との担当の信頼関係を0にする行為に等しいのかもしれない。

もちろん適切な引き継ぎを経て、徐々に新しい担当とも信頼を築いていけたら問題はないのだが、多忙極まるこの職種になかなかそのような時間も設けにくい。

私はこの仕事を一旦離れる身だが、苦しくて悔しくて情けない。適切な引き継ぎもままならない側の人間だからだ。

でも辞めずにはいられない。今の私ではとても以前と同等の仕事をこなせないのがわかりきっているからだ。

できるものなら利用者の夢が叶う瞬間までそばで見ていたいが、それも今の私では叶わないのだ。最悪共倒れのようになってしまうかもしれない。私の不調に、利用者を巻き込むわけにはいかない。

この仕事は最初から命を燃やして駆けずり回ってするものではなかったのかもしれない。

それは結果論に過ぎないし、そうじゃないのかもしれないけれど。

心にろうそくの火がずっと灯っているくらいの、ほどほどの暖かさで取り組めていたのなら。

そう思わずにはいられない。