nono

気持ちを言葉する練習

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気持ちを言葉する練習

最近の記事

器用さ

「最初からそうと知ってたら好きにならなかった。これまでの時間、無駄ですよね」 昔告白してきた職場の後輩は良い人だったから、素直に「男は恋愛対象になり得ない」と伝えたところかえってきた言葉だ。 なんと返せばいいかわからず、とりあえず謝ってしまったけれど。意図せず時間を消費させてしまったとはいえ、それが無駄かどうかは君が決めることだろうし。 私が付き合うで同意してたら無駄じゃない判定なのかとか、付き合った上で別れたらそれも無駄判定なのかとか。 そもそも人付き合いにおける無駄

    • 久しぶりにまじまじと自分の顔を見たらゾッとするほど母に似ていた。 好きや嫌いじゃない。ただこの曇りがちな顔をなんとか晴らしたい気持ちでいた学生時代の心細さ、あれが戻ってくるのがとても苦しい。 そんな気持ちでいると余計に母にそっくりで泣きたくなった。鏡なんか見たくない。

      • 新しいイメージが生まれてくるようで

        皆さんの書く感想noteが読んでて面白かったので、私も“私のばなふぇすvol2”を振り返ってみたいと思います。 参加経緯 「ののさん昔千葉紗子歌ってたよね。コピバン組むからボーカルやらない?」 当初、ばなふぇすの“ば”の字もなくこんな感じのお誘いだったのでてっきり「(私に声が掛かるってことはメインはドクロちゃんで、何曲か梶浦さんの曲もやる感じかな?)やる!」と即答。 後で「ばなふぇすです」「コーラス呼んでがっつり梶浦さん楽曲です」と知ってビビり散らかす未来など想像してい

        • 納得と安心

          悪意も他愛もない世間話に出てくる言葉で自分の形を侵食・歪まされてきたからこそ、気付かないうちに自分も同じことをしてるのではと他人に過剰に踏み込まない癖みたいなものが多分ある。 自分が被害者の時はすぐ気付くけど、加害者に成ってるとは思いもしてないように見えるから不思議だ。割り切っているのか、生きている以上自身が他者を傷付けることは避けられない確かなことだろうから。 割り切れないのは弱いのか、自身が誰かを傷付けたことに傷付くのは滑稽なのか。そういうことを考えても未だに納得できる

          つれつれ

          かつかつと、チョークのすり減る音が気怠い教室の空気を揺らす。 昼食後の授業が古典だなんて、時間割を考えた先生はうちのクラスの平均点を下げたかったに違いない。そんな勝手な推測を立てながら、広げた教科書の内側でわたしは静かにあくびを噛み殺した。 物腰の柔らかさが声ににじみ出ている初老の先生の解説は、さながら効果抜群の睡眠導入剤だ。 事実周囲を見回せば、教科書を持ってうつらうつらと船を漕ぐ子やわたしと同じようにあくび由来の涙目になっている子、潔く机に突っ伏している子なんかも少なく

          つれつれ

          江ノ島。 今年の夏、一番の思い出。

          江ノ島。 今年の夏、一番の思い出。

          せめぎ合う

          現場の仕事もそうだが、相談援助の仕事もやはり人がころころ変わってしまう。 多すぎるサービス残業、見合わない給料、利用者(患者)とその家族や会社、ある時は法律の板挟みにあい、思うように動けないもどかしさ。 他施設や他業種との連携もうまくいかなければ、利用者へに適切な対応も疎かになり、それは事故という形になる。 クレームならまだマシだ。事故は何よりも悲しい。我々が利用者、あるいは利用者を囲う人たちから大切な機会や身体、心、信頼を失ってしまうからだ。 少し脱線してしまった。

          せめぎ合う

          わからなぬ

          「きょうだい児」という言葉は今どのくらいの知名度を得たのだろうか。 該当する人たちのことをどれほどの人が知っているのだろうか。 きょうだい児とはすなわち「障害児の兄弟」を指す。障害児の兄姉弟妹。 11離れた私の兄は重度の障害を持っていた。 両親ともに兄を生かすこと、兄が兄らしくいられるようにと育ててきたことを間近で見てきた。家族だから、私もそれを支えて応援していくのが当たり前なのだとずっと思っていた。 兄のことで心無い言葉を言ってくる同級生や先輩も居た。旅行先では奇

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          “好き”の証明

          「好きな本は何?」の質問に対して「この本を好きな自分が好き」という考えが頭を過ぎる。 それは本に限った話ではない。好きな映画、好きな絵画、好きな音楽にまで及ぶ時がある。 どういうイメージを持たれたいかというのは、私にはかなり重要だった。少なくとも3年くらい前の私にはそう。 「好きな〇〇」は、属する場所をにわかに指し示すことが多い。もちろん本当にその人がそこへ属しているかどうかは分からないし、その人次第ではある。がしかし、多くの人が相手を知るキッカケや手がかりにするのが「

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          少しでも

          私とかいう人間は、自分では不器用なりに努力でまあ人並みかそれ以上にそつなくこなしてきた。 と、恥ずかしながらここ数年前まで思っていたのだが、どうも違うらしいというのがアラサーになって分かってきた。とんだ勘違い野郎だ。 今日のレッスンもそうだ。発声を意識したら音程を忘れ、音程を意識したら気持ちを忘れ、気持ちを意識したら発声を忘れてしまう。 ボイトレは繰り返しだと先生は言うが 失敗に気付けたら次は直せるというが あっちを叩けばこっちが出る状態がこうも続くと実にもどかしい

          少しでも

          耳が痛いことば

          言葉にも力は宿る。だから言葉は暴力にもなる。 時と場合、発声者や受け手の立場や状態、その他諸々の要素によって持つ意味を変える。受け取った方が傷つくことが多いが、発した方が傷つくこともある。毒にも癒やしにもなる言葉は、魔法といっても過言ではない。 「言われたくない言葉を教えて」と質問されたとしたら、果たしてどのくらいの人がいくつの言葉を挙げるのだろうか。 人とまあ無難な関係を築く上で大切なのは「その人・その場の地雷を踏まないこと」を掲げている私は、そのことに非常に興味があ

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          スマホ断ち

          生魚を捌いた後数時間は魚の臭いが取れないので、自然とスマホを触らずにいられるぞ。

          スマホ断ち

          納豆

          何を入れて食べようか。 夏におすすめなのはやはり梅干しだろう。冷蔵庫から取り出した納豆と梅干しは夏にぴったりのさっぱりした味だ。後味は甘い。なぜか分からないが、納豆の糸のキメが細かくなっているような気がするのは私だけではないと思う。 刻んだ大葉も良い。香りが食欲を思い出させてくれるので夏バテの時にはベストと言える。香りの良さで言えば鉄板のネギも外せない。 おやつ代わりにして食べるならお砂糖やはちみつを入れてかき混ぜれば、糸がねっとり餅のように変化して食感も楽しめる。何よ

          たぶん好物と住み分けの話

          酢豚にパイナップル。私の体感では7割くらいが否定派である。給食終了後、酢豚の鍋の中に沢山のパイナップルが帰還している姿は多くの人が見ているのではないだろうか。 同じ「○○にパイナップル」でもピザにパイナップルは、その名をハワイアンピザとなんともお洒落なものに変えて市民権を得ている。得ていると思いたい。 「打ち上げで取ったピザのうち、ハワイアンピザを頼んだのも食べていたのも私だけ」というのは記憶に新しいが、有名ピザチェーン店では必ず取り扱っているくらいなのだから人気はあるに

          たぶん好物と住み分けの話

          ワルなので

          今日の更新は無しでよいかなあと考えている。 なんせ今日は一日雨、外に出たのは朝の散歩のみ。ネタがないのだ。 散歩の目的である野生の蛇には未だ遭遇できなかった。雨の日こそ木や石の間にいるのではと注意深く歩いたが見つからず、見つけたのは池を泳ぐ亀くらいだ。水の中ならこの大雨も関係ないのだろう、いいなあ。そういえば蛇も泳げるものが多くいると聞く。もしかしたら池の方にいたのかもしれない。次行くときはもっと注目していきたいと思う。 こんな大雨では最近よく見かけていたママさんコーラ

          ワルなので

          本とKindle

          上京してから紙の本を買うことが減った。1/10といっても過言ではない。そのくらいKindle愛好家になっている。 紙の本に不満があるわけではない。実家の自室には私の身長よりも大きな本棚があり、そこには懐かしい児童書や新書、小説、雑誌など多種多彩な本が詰まっている。ぎっしり詰まった本棚は、私を今の私へ導いてくれた先生であり、思い出いっぱいの宝物であり、私だけの壁紙である。 ふと目線を投げたら馴染みの本があり、読んだ当時の空気を感じる事ができる。壁いっぱいの本とはやはり魅力的

          本とKindle