嫌われる事はあっても

私の場合は共感してもらう事はないかもしれませんが、

嫌われる事はたくさんありますが、私が相手を嫌う事は基本無いんですよね、不思議。

と言うより、『人を嫌う』感覚が麻痺してるんだと思います。

遡れば、私は毒母のことは、今は嫌いかと言われれば微妙です。執着はしてるとは思ってます。けど、毒母からどんな酷すぎる事をされても、ひどい事言われても『まあ、大変なんだろうから、仕方ないな』と4歳ぐらいから自然と思ってました(無理に思う様にしていたわけじゃなく)。

未だに当時の母の状況なんて、覚えてませんが、【私は忙しい!あんた(私)に構ってられない!】とよく言われたもので、何となく、私は何も言わなかったり、1人で抱え込む様になってたと思います。

また、母の機嫌が良いと『◯◯してあげようか?(公園行こうか?とか、好きな物買ってあげようか?とか』って言う時もありましたが、普段から忙しいとばかり言ってたので、少しでも負担を軽くしてあげたくて、『いいよ』と断っていた。

それに対して『可愛げがない!』『素直じゃない!』とよく憤慨されていたのを覚えてる。私はその反応でまた悲しくなると言う悪循環に入ってしまっていた。

少なくとも母には私の思いやりは届かず、ただただ無愛想な娘に見えてしまったんだろう。そのギャップに私は苦しんだ。そのギャップは今でも変わらない。私の思いやりは、一生届かず『素直じゃない娘』のまま。

そうじゃないよ、わたしは優しいよー。って、

大きな声で言いたいけど、結果が結果なだけに、自分が自分に思っている優しさは、ただの勘違いだと思えて、気持ちが萎えていく。

そして、私は私が分からなくなる。

まだまだ、浄化と、自分を愛しむ時間を過ごそう。

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