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愛犬の死、生命の終わり

5月16日、愛犬のコロが亡くなった。(9歳1ヶ月)

覚悟は決まっていたはずなのに、本当にこの時が来てしまうとは思っていなかった。

冷えていく体、沈んでいく目、出てくる糞尿、どれもこれも本当に居なくなってしまったのだと知らせてくれた。

実家に帰る前、精神科に受診したのは愛犬が亡くなったことを現実的に捉えてしまうと明日体が動かなくなると思っていたから。

ああ、全くダメだな。
泣かないと決めていたのに涙が止まらない。

また前みたいに歩いてくれよ、走ってくれよ、不味い栄養食や大量の薬。

臭くなる体、冷たくなる体温。

どこかで生き返ってくれるとまだ信じている。

「真っ当に」とか、「誠実に」という言葉はクソほど嫌いだったけど愛犬は「真っ当に」「誠実に」生きた。

必死に何度も生死をさ迷っても生きた。

人間も動物も死んだらどこに行っちゃうの?体は冷たくなって、この世に未練あるのに綺麗さっぱりばいばいなんて本当にあるのかな。

幽霊なんて信じないけど、死ぬということも同じくらい信じられない。

あんなに死にたいと泣き叫んでいたのにアホらしい。
深く掘った穴、綺麗な花、沈んでいく太陽。怖いくらいに綺麗な海。

聞こえなくなった足音、遠吠え、寂しい。


愛犬の新しいお家に、花を植える。

知らなかった花言葉を学ぶ。ガーベラ:究極の愛、やさしさ。アサガオ:愛情。


どこかでまだ愛犬が生きていると信じて実家に向かった。愛犬の姿はどこにも無かった。

そうか、本当にここから居なくなってしまったのか。

こういう時は、仕事が捗る。
心は笑っていないのに、顔はいつも笑顔だった。

おばさんの家庭菜園の話を聞きながら、私は一体誰と話しているのだろう?自分の声すら他人のように思えた。

次の休みも実家に帰る。
あの日のことは現実だったんだとまた思って泣く。

愛犬にかけた最後の言葉は「またね」だった。


いつも実家を出る時「またね」というようにしている。永遠に眠ってしまった愛犬を見て、その時もまた「またね」といった。

職場でも何食わぬ顔で出勤し、涙目で働いてたが愛犬が亡くなったなど一言も言わなかった。


本当は言いたかった。誰かに聞いて欲しかった。

そして、「その気持ちは愛しているからだよ。そのワンちゃんは愛されてていいな。」と言って欲しかった。

コロ、あれ?本当にいないの?


もっと一緒にいたかったな

だいすきだよ、愛情ってずっと何かわからなかったけどやっと少しだけ何かわかった気がする。

言葉では表せない何か。
居なくなっても永遠に思い続ける何か。

生命には終わりがあるはずなのに、愛犬は絶対に死なないと思っていた。

長い闘病期間の間に何度も生死をさ迷っても絶対的に大丈夫だろう、と思い続けた。

でも、生命には永遠はない。

本当に悲しいことだけど人間もいつかしぬ。

死ぬのならやはり自分の好きなように生きたい。

父が、「クヨクヨしていたらだめだ、寿命を真っ当しただけだ」と言っていたが父はそう思いたかっただけで本心ではないことはすぐに分かった。

母が、「コロに会いたい」とLINEをしてきた。
本当に正直な人だな

コロが亡くなってしまったのは変わらない。

大切なのは過去ではなく今でこの思いは一生かけて風化させない

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