「オール」のなにか

どうも、学生です。
おそらく、同世代で一位二位を争うほど飲み会の体力がない学生です。
サイクリングとか走ることなら、ある方ではあると思うんですけどね。
さて、今回は「『オール』のなにか」です。

単刀直入に言おう。
私は、飲み会を朝まで行ういわゆるオールが苦手である。
いや、もう嫌いの域に入っている。

学生であるから、飲み会など一つや二つあり、
その中でカラオケや居酒屋を何件もはしごして
朝まで過ごすこともしばしばあり、
最初は自分の思い描いていた学生の一つをしているから、
自分の憧れが一個達成しているんだという
優越感と言うか達成感と言うか
そういう生ぬるい興奮を纏っていた。

だが、そんなものはすぐに失ってしまう。
朝まで起きたというアチーブメントなど
家に帰るまでのメッキ塗装の品物であり、
横になり、起きた時にはそれが気だるさと何も残らなかったという
虚無の感情の置き土産でしかなかった。

内容も内容で、
一次会は楽しい。そう思えるものである。
私自身、話すことも話を聞くことも好きで、
人といることも人並みより少し苦しいと感じる程度であるから、
飲み会に参加すること自体は積極的である。
色々な人と話し、その時しか見れない人の個性が見られるから、
日常ではあるものの、非日常のような感じを味わえる。
空間として好き。

二次会。
一人二人と帰る者が現れる。そうすることで何が起こるのか。
アルコールと少しの余白によって落ち着いた少人数であるから、
内容の濃い話ができる。
普段聞けないことや考えを聞いたり、自分も話したりする。
私はこの時間がとても好きである。
一次会よりも人間味の濃度が濃くなる。
この時間がずっと流れればいいのだが…。

三次会以降。
ここからいわば苦行と思うような時間が流れる。
カラオケが主であるが、
私は大人数でのカラオケというもの自体が苦手である。
別に友人が歌うことや歌うこと自体に嫌悪感は湧かない。
合いの手を入れたりすることも楽しめる。

ただ、歌うこと自体は好きであるが、選曲に難がある。
90年代のJ-POPが好きな人間にとって、
この場で歌う曲は何が良いのかわからない。
歌ったとて盛り上がる曲を歌えないから、
「私が歌った」という事実しか残らない。
では、最近の曲を歌ったとしよう。
今度は私が精神的にやられる。
「私は頑張った」という感情しか湧きあがらない。
それが友人に対して失礼であると感じて、罪悪感しか残らない。
しかも、突貫工事であるから、
そこまでうまくない。音程や歌詞がうまく合わない。
この時間の意味がないのがわかっているのに、流れる4,5分。
申し訳なさが勝ってしまう。

そして、もう一つ難点として
人と話すことが容易ではないこと。
話すこと聞くことが好きな人間。
それを求めている人間から奪われた時間というのは「虚無」である。
アルコールとカラオケ特有の爆音で虚無を頭痛と共に過ごす。
「私がいる必要はないのではないのだろうか。」
「むしろ邪魔でしかないのだろうか。」
その様な思いがぐるぐると渦巻きながら時が過ぎる。

そんな感じでカラオケの三次会は辛い。
では、居酒屋では良いのかという話になるが、
答えは「NO」である。

酒を適度に供給しながら居酒屋を転々とすると、
体力というのは三次会で一気に0に近くなる。
三次会に向かう時は選ばれし人間として振舞えていたのに、
着いて椅子にもたれているのは
屍のように疲れ切っている人間である。
0に近い体力の人間が何とか生き延びようとしている中、
話などできるわけがない。
そして、話の内容もほとんど尽きている。

なぜ私は来た?

疲れ切った脳が振り絞って出した、か細くも痛い言葉である。
それしかないのである。

私は、三次会以降の時間の過ごし方がヘタクソなのである。

そんな感じであるから、私は今後オールというものから逃げようと思う。
私自身の時間の過ごし方のへたくそ加減が気に食わない。
自分のいる意味を毎回見出そうとするムーブが気持ち悪いし、
何もできないのに、頑張ろうとしてしまうのも嫌いだし、
自分の意志で付いて行って、過ごす時間に疑問を持つのも傲慢である。
最終的に自分への嫌悪感である。

過ごす時間と自分の扱い方をそろそろ覚えたい。
最近はそんな感じである。

今回はここまで。次回も何卒。

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