「嫌悪感と罪悪感の共存」のなにか

どうも、学生です。
買い物すること自体だいぶ好きな学生です。
なんか、新商品を見つける冒険してるみたいでなんか好き。
さて、今回は「『嫌悪感と罪悪感の共存』のなにか」です。

最近あったことで、それについてちょっと考えたこと。

ドン・キホーテに買い物に行った時の話。
買うものの売り場に一直線に向かっていたら、
「ちょっとお時間よろしいですか?」と、
私の視界にいきなり知らない人が映る。

「ドラクエやポケモンで突然モンスターが現れる時ってこんな感じなのかな?」と呑気なことを思いながらも、
人見知りの私はどうすればいいかわからず、しどろもどろに。

そんな人間が映っているのにもかかわらず、
大体私と同じか二、三個上に見えるお兄さんは話を続ける。

どうやら映像媒体のサブスクの営業で
その場で登録するとプレゼントももれなくくれるそうだ。
ざっとこんな感じ。
現状の把握とお兄さんが言う話で
情報過多の中で聞き取れた方だと思う。

ゆっくり話してくれれば、相づちなんか入れながら
どこでどう断ろうか、タイミングを測れたのだが、
いかんせんお兄さんは、
ずっと話し続ける。
ニコニコ動画の弾幕の擬人化したのかと思わせるほど。

最終的にQRコードを見せてきて、登録の流れに。
流れに流されながらも、
スマホを起動するのと
ポケットにスマホをしまうのを
交互に繰り返していると、

「やってもやらなくてもどちらでもいいですよ」

という救いの一手が
弾幕の擬人化お兄さんからの口からもたらされたことにより、私は

「じゃあ、やめておきます。」

と、か細い声で伝え、その場を去った。
額にはうっすらと汗が滲んでいた。

一方的な試合の結末は
相手セコンドから私のタオルが投げ込まれるという
史上初の幕切れとなった。

と、事は終わったのだが、
今回の話はここから。

その場を立ち去った私はものすごくモヤモヤしていた。

それは、営業を持ち掛けられ、
一人で吟味する時間を奪われ、
人見知りの自分に一方的に話してきた弾幕擬人化お兄さんに対して
嫌悪感を抱き、憤慨しているのもそうだが、

それだけではなかった。

他の人からしてみれば、「なぜ?」と思われるかもしれないが、
私は罪悪感も抱いてしまった。

営業のお兄さんは確かにしつこかった。
しつこかったが、
それも仕事の一環である。
契約件数のノルマもあるだろう。

私と年齢が近そうなのも、拍車をかけた。
私はここまでできないのに、
お兄さんは必死に仕事に喰らいついている。
もしかしたら、お兄さんもそんな姿は不本意かもしれない。
それでも、頑張っている。

私とお兄さんを比較して、
自分の方が能力や姿勢など劣っているのにもかかわらず、
私は断ってしまった。

頑張っているお兄さんに対して
私は何の力にもなれなかった。
そんな自分は罪悪感を抱いてしまった。

自分自身にモヤモヤしていた。

そして、
様々なことを阻害されたことへの「嫌悪感」と
劣等感と何もできなかったことからの「罪悪感」が
頭の中で共存、混在したことにより、
何が正解なのか、
どこで歯車が狂ったのか、
この出来事のトゥルーエンドは何だったのか、
そんなことを考えたことによるモヤモヤも生じた。

書いていて思うが、とても難儀な思考回路である。

あくまで想像だが、
大多数はこんなことが起こった時に、
「嫌悪感」しか湧かないのだろう。

そして、私が今の話を他の人に話すと、
「考えすぎだよ。」
「気にするなよ。そんなことくらい。」
というのだろうか。
おじいちゃんおばあちゃんからは、
「優しいんだね。」
とか言われるんだろうか。

はっきり言いたいが、

私だってこんなに考えたくはない。

「私にとってこれが通常となってしまったんだ!どうすればいい?」
「気にしないようにできればいいんですけどね!生憎できないもので!
 というかそんなことで片づけられるなら、何十年も前からしてますよ!」
「優しいですか? その言葉をかけられ続けた結果、私は同世代に
 『気にしすぎ』とか言われる末路を辿ってるんですけどね!」

こんな感じに本当は言い返したい。
おじいちゃんおばあちゃんには言い過ぎたかもしれん。
ごめんなさい。

そんな感じである。

まぁ、考えすぎる私を好きな自分もいる。

重要な時や大事な時に、
短絡的に一言で片づけてしまうよりも、
何週間も何か月も何年も考えながら、
じっくりゆっくりその時々で最適解を探るほうがいい。
私としては、そんな人が好きである。
だからこそ、そんな人間になりたいとも思うのだろう。

まぁ、適材適所というか、
使い分けができるのなら
それに越したことはないのだが。

今回はここまで。次回も何卒。

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