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価値があるって、どういうことだろう?

 noteを始めてみて、三週間ほどが経った。とりあえずやってみよう、とりあえず毎日投稿してみよう。という気持ちだった。今までの記事にも書いたとおり、私は演劇をライフワークとしている。脚本を書く・演出をする・宣伝材料を作る・衣装を用意する等など手広くやっている。
それらのことをnoteに投稿していってみよう、と考えたキッカケが「有料記事」の存在だ。「あなたにしか書けない記事には価値がある」これは創作においてとても重要な、根源を支える言葉だと思う。

 ところが、今時分になって「有料投稿って、何を投稿すればいいんだろう」と悩んでいる。簡単な話、「有料の価値がある記事って何だ?」となっているのだ。
・無料と有料の線引きどころがわからない。
・有料にしたところで誰にも読んでもらえないんじゃないだろうか。
・フォロワーもほぼいないのに?スキもそんなにもらってないのに?
「とりあえず」と冒頭に書いたが、記事は数日かけて何度も見直して書いている。画像だってPhotoshopとillustratorを使って自分で作っている。私にとってはその「価値」があると思ってやっている。
でも、なのに、有料記事って、なんかそんな大それたこと、という気がしてしまうのは何故だろう。とこんなことをグダグダグダグダ悩んでいるのだ。

 ここまで書いて下書き保存をし、先ほどお米を研ぎながら気が付いた。私は「相対的な」価値について悩んでいるのではないだろうか。なんかと比べてないか?自分?と。でもたぶん、今必要なのは「絶対的な」価値としての自信とか自覚とかなんじゃなかろうか。
紙切れか紙幣か。そこに「自己を投影する」という難しさ。ううむ。

 ところで、私にはライスワークもある。かっこよく言うと、コラムライター・編集・校閲・グラフィックデザイナー・レタッチャーあたりの仕事をして毎月のお給金をいただいている。過去にはアパレルで服のデザイン・試作・製作業に従事していたこともある。「決まったお金をもらうお仕事」として、書いたり作ったりしているのだ。してるのだよ!でもそれは他人に決めてもらった枠(金額)でやるから気が楽なのだ。要は「ちゃんとクライアントに納得してもらえる仕事すればいい」だけなんだもの。雇われるってそういうことだもの。

 自分の価値を自分で決める。これって、実は難しい。少なくとも、私が受けた教育ではその育み方を学んでいない。加えて私は気が小さい。心配性だ。完璧主義者だ。無謀な挑戦とかほとんどやったことがない気がする。ああ、ほら、またぐだぐだぐだぐだぐだぐだと。ああもう!

 悩んでいても仕方がないので、明日は有料記事にする。昔描いた短編脚本をリタッチしたものがあるので、それをまずは公開することにする。衣装の道のりだって、私独自のノウハウをぶち込むんだから、今後は有料記事にもしよう。誰にも購入してもらえなかったとしても必要以上にへこまない。誰かに購入してもらえたら、もうほんと、それだけで小躍りしそうだ。
私の試行錯誤は続く……。 

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