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ドアを閉めて書け、書き終わったらドアを開けて書き直せ

こんにちは。初めましての人は初めまして。
ゲーム制作者兼作家志望の時雨屋です。
今年も小説賞は取れませんでした。来年も頑張ります。

お久しぶりの人はお久しぶりです。
今日の記事はゲームにかかわる人が自由な記事を作る Advent Calendar 2023に参加しています。
他の人の記事も面白いのでぜひ見て行ってね。

「実は私は物語を書いているんですけれど」

と、某著名作家さんに相談したことである。

先日、私は対面で現役作家と会う機会に恵まれた。
短い時間だが、彼と1対1で話す機会があったのである。
私は貴重な機会を使って、以下のクソな質問をした。

「書いている話が面白くないんです。どうすればいいでしょうか」

さて、私のこの質問は月並みであった。
物語作成Q&Aみたいな本に必ず乗っている類の質問なのである。
せっかくの機会だったのにクソみたいな質問しかできなかった自分を、私は恥じている。
彼ほどの著名な作家であれば、きっとこのような質問は死ぬほど受けているだろう。
しかし意外なことに、彼は少し考えた後、こう答えた。

「最後まで書いてみないと、面白いかどうかわからない」


ドアを閉めて書く、ドアを開けて書く

これスティーヴン・キングが言及している言葉だ。
「書斎のドアを閉めて書け、書き終わったらドアを開けて書き直せ」と言う言葉なのである。

なんのこっちゃ? と言う人に向けて話すと、
これは作品を書く上で、文章を書き、推敲する上での言葉である。

作品言うものは、最初は自分一人のものであるのだが、次の段階ではそうではなくなる。
作品を書き、完成させ、公開すれば、それは読む人のものになる。

書くことについて-スティーヴン・キング

(原文は「原稿」と言う言葉であるが、今回は便宜上「作品」ということばを使う。これは「絵」に置き換えてもいいし、「ゲーム」という言葉に置き換えてもいい)

私は今まで、この「ドアを開けて書く」を重視していた。
推敲記号、単語の統一、日本語の文法、差別を避ける表現、炎上しなさそうなワードチョイス……などである。

推敲をしていない文章は読むに値しない。(この言葉をどこで読んだのかは忘れてしまった)
基本的に、文章には推敲が必要であり、ドアを開けて書く必要性は、痛いほど身にしみてわかっている。

しかし。
今の世はインターネットで情報に満ち溢れている。
実は「ドアを閉めて書く」の方が重要なのではないだろうか。

とじろ、ごま!

もしもあなたが「作品」を世に出そうと思った時、気づくだろう。
この世界は『感想』『批判』『アドバイス』に満ち溢れている。
作品も、作品に対する感想も、それ自体が娯楽なのである。

ネットに書かれている言葉には、良いものもあれば、悪いものもある。
積年の具体例を抽出した、珍重なアドバイス。
身に染みる業界人のありがたいお叱りの言葉。
本当に作品を楽しんでくださった方の楽しそうな感想。

或いは罵詈雑言のクソレビュー。
どこの馬の骨だか知らんが偉そうな創作論を振りかざす奴。私のことです
腹が痛いならクソして寝ろボケカス、と返信をしたくなるコメント・・・などなど。
まぁ、さまざまである。

兎にも角にも、この世は
創作のポイントのコツ、やってはいけない例など、ハウツーにあふれている。
創作者たるもの、そのすべてに耳を傾け、
それを全て熟考しなければならないのか。

そんなことはない。
全部ガン無視していい。
ドアを閉めて書いているうちは。

ハンバーグ、じゃがいも、ナーロッパ系、xxxに似てる、
差別的、時代錯誤、胸が大きすぎる、
パースがおかしい、絵柄が古い、メアリー・スー、
ご都合主義、中二病すぎる、読んでて恥ずかしい・・・・。 
物語を書いて間中、あるいは作業中に、頭をかすめるのは、こういったよくある意見である。声のない声。よく見る意見、一般的な意見。

大事なことなので2回言っていておこう。
全部無視していい。
ドアを閉めて書いているうちは。

『作品言うものは、最初は自分一人のものであるのだが、次の段階ではそうではなくなる。』
スティーブンキングのこの言葉の、特に前半部分はとても大事だ。

『作品と言うものは、最初は自分一人だけのものである』

何事も白紙から始まる

世の中には、0から1にする作業というものが存在する。
どんな作業でも、0から1にする作業は発生する。

例えば白紙の原稿に1文字目を書く。
まっさらなキャンパスにラフの線の1本目を引く。
プログラミングで変数を宣誓する。
DTMで最初の1音を入力する、演奏する。

創造力に満ち溢れる作業だ。
どんなゲームにしようか。どんな色彩設定にしようか。
おおまかなことを考える。こんな曲にしたい! こんな効果音を使いたい!
こんなシーンが書きたい。逆算すると、オープニングはこんな感じにしたい!

想像力と創造力が試される作業だ。とても楽しい。
人類が得られる快楽の中で最も強いものは、創造するときの快楽である。

さて。

この状態に水を差してはならない。
創造力が満ち溢れている、人間として最も尊い瞬間に、
決して水を差してはならない。
言い換えるなら、この状態で決してドアを開けてはならない。

ゲーム開発の最中で必要なのは、
本物の実況者ではなく、イマジナリー実況者である。
イマジナリー実況者は何をしても君を誉めてくれる。
批判は一切しない。想像上のかわいらしいプレイヤーである。
妄想を炸裂させろ。頭の中に幼女を飼うのだ
イマジナリー実況者は、きみが実装した、どんな要素にも両手を打って喜んでくれる。

「グラフィックがすごーい!」
「この戦闘の入力、凄い爽快感がある!」
「SEのタイミングがすごくきもちいい!」
「苦労したけどボスが倒せた! やったー!」
「このシナリオ、すごいおもしろいー!」

イマジナリー実況者なので、
普通だったら大炎上しそうな批判されるだろうなと思われる要素にも、
両手を打って喜んでくれる。

「まさか主人公が最後死んじゃうなんて……すっごい泣けるー。感動した!」
「うわーんラスボスつよすぎるよー! 絶対勝つんだ! 強化してくる!」
「ダンジョンがすっごい長ーい! いっぱい戦闘できるし、アイテムもいっぱい手に入るね!」

とりあえずこの状態を保っていく。
にやにやしておく。有頂天になっておく。調子に乗れ。
妄想しろ。ハァハァするといい。きみは変態だ。
100万DL間違いなし、数々の有名な賞を受賞。
コアなファンがついていっぱいファンアートを書いてくれる。
有名な実況者が実況してDL数がさらに上がり、バズる。
神ゲーとして評価され、後の世に残る歴史的な作品となる。

この状態を、ゲーム制作の間中、特に前半戦は保つのである。
(私はこの状態を『気が狂う』と表現している)

よし! ついに最強の神ゲーが出来た!
あるいは完成しなかった! 途中で飽きた!

そして、きみは一生ドアを開けなくてもいい
作った作品を全部ネットに公開したり、人に見せる必要はない。
妄想を妄想で終わらせ、妄想として楽しみ終えてもいい。
ハードディスクの奥にひっそりしまっておこう。それもアリだ。

しかし。
ここで別の欲が沸いてくる。
せっかく作ったのだから、公開したい。
人に見てもらいたい。
人に聞いて、より良いモノにしてみたい。

この「せっかく」の状態になった時、初めてドアを開けてみよう

ドアの外から流れ込んでくるのは、
たくさんの「直すべきところ」である。
そしてきみの妄想は、厳しい現実に打ちのめされ、儚く終わる。

シナリオが冗長すぎる、難易度高すぎ、
いくらなんでもこのエンドはねえわ。
技術が低い、シンプルに素人臭い、レスポンス遅すぎる。
さすがにこの表現は差別的やろ。などなどなど……。
ここではじめて修正すればいい。
それでいい。

なので私は基本的に、
初心者に進捗報告や制作日記を勧めることができない。
ドアが開いた状態で書くことになってしまうからだ。

ちなみに、私は熟練した気の狂い方ができる。
ドアを開けながら、ドアの向こうの批判を完全に無視するという芸当ができるのだ。

最近では、自分に都合の悪いコメントが来たら、全部AI生成のコメントであると思うことにしている。
(人間としては致命的に終わっている。真似しないでほしい)

カンカンに内圧を高める

「桜井政博のゲーム作るには」のyoutubeチャンネルには、参考になることがたくさん書かれている。

特にこの回は、私が常々思っていたことを動画内で言っていた。

私がこの記事で書いたのは「外側から内側に入ってくる力」だが、
この動画は「内側から外側に出ていく力」に言及している。

しかし、この動画の内容については半分大賛成で、
半分ぐらいは反対である。

まあ、プロで有名な複数人でやってるゲーム会社なら、
そうわよね。仕事だからね。
インディーズやアマチュアは訳が違うわよ。
ぼくたちは孤独との闘いだからね。
認知してもらえないからね・・・。と思う。

いざリリースした時に反応なにももらえないと、
圧力鍋が減圧状態になって爆発して死にます。
大爆死して二度とゲームが作れなくなった人とか結構見てきています。
ガス抜き、大事。

ちなみに、ゲーム開発者さんについて話してきたが、
これが小説家さんだと、

「私今こんな話書こうと思っていて!!ネタをくれ!!!」
と公言しまくって取材に行きまくる作家さん、
「プロット段階の書いてる作品なんて絶対に話せない!!!」
と話す作家さん、
「実はこんな話を書いてて・・・来年の春には出ますよ・・・」
などとこっそり話してくれる作家さん、
「今続編を書いてます! 必ず来年に出しますね!(5年目)」
の作家さん、割とさまざまである。

と、ここまで書いてきて、
なんか結局は人それぞれなんじゃねえかな、と思い始めた。

(この記事は何だったのか???)

まとめ

作り始めの段階で批判のことを考えることはやめよう。
創造力が奪われちゃうからね。
もったいないよ。

だいたい骨格が出来上がった時、公開する前とかに
はじめて批判を考えた方がコスパがいい気がする。

おわり。

おまけ

アドベントカレンダーにはなんだかんだで3年目です。

2022年の記事
キャラクターの名前の差別化・個性化・特徴化
https://note.com/nanigashigureya/n/n0286410a3fe1

2021年の記事
メッセージウィンドウに読みやすい文章を収めるコツ
https://note.com/nanigashigureya/n/n3be97c36f56b

ほっとフクロウさん、毎年企画ありがとうございます。

それでは。


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