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「浄瑠璃」「俳諧」から考える日本語HIPHOP

今回の記事を書くことになったきっかけ


皆さんはHIPHOPはお好きでしょうか。

私は兄弟の影響から、小学生から海外のHIPHOPに触れ、
カニエ・ウェストのトラックに惚れ、
サンプリング文化を知ってからはSOULやJAZZ、
クラウトロックなど多くのジャンルを知るようになりました。

HIPHOPは私にとって、新しい学びのきっかけを与えてくれた音楽なのです。

大学時代に軽音楽のサークルに所属してからは、
HIPHOPだけでなく、あらゆるジャンルの音楽に触れ、
音楽の世界にどっぷりと浸かり今現在に至っています。

ある日私はとある動画をYou Tubeで目にしたのです。



この動画では、グラミー賞の受賞経験もある
サックス演奏者のパトリック・バートリー氏が、
JPOPの持つ独特な魅力についてインタビュー形式で
自身の考えておられます。

最近は字幕がついたので、どなたでも彼の考えについて
学びを得られます。ぜひ御覧ください。

この動画内で「言葉にできない違和感」と言われてる、
海外の方からみたJPOPの独自性について語られていました。
動画内では「日本語」の持つリズムやアクセントが無い点などについて
言及されており、また他ジャンルについて考察する際には、
その音楽で使われている言語に注目すべきと述べておられます。

正確には、日本語にもアクセントはあるのですが、
「強弱」を示すアクセントは無いという意味合いだと考えられます。

音楽内で用いられる言語の違いは、
どのメロディが気持ち良く感じるのかという点にまで影響しており、
英語圏から見ると「違和感を感じるが面白い」部分が
JPOPの魅力であり独自性を生み出しているのだと
結論を出しておられるのですが、
この動画をきっかけに私はあることを考えました。

言語が音楽に影響を及ぼすならば、
日本独自のHIPHOPの解釈ができるのでは?


というわけで、今回は言語学の中の「韻」という部分に注目して、
日本語HIPHOPの解釈を進めてみることにします。


英語の「韻」日本語の「韻」



「韻」と聞くと、日本語の母音を揃える
「押韻」をイメージされるかたが多いでしょう。
(例:最高(saikou)、遠方(enpou))

日本語のHIPHOPにおいては、この「押韻」を混ぜながら、歌詞を作り上げていく手法が多く用いられていますが、英語圏(特に西洋文学)における「韻」の文化はもっと幅広いものであることがわかりました。

英語圏における「韻」について

西洋文学で扱われる「韻」は、母音を揃えるだけでなく、
単語のアクセント(強勢)が後ろから何番目にあるのか、
アクセントがある単語とない単語の間で行われる「押韻」、
母音を揃えるパターンと子音をそろえるパターンなどなど、
「押韻」そのものに多くのパターンがあり、
それらに加え「押韻」された語の配置に関する
「押韻構成」という考え方もありました。

「押韻」に対して多くの手法があることや
「マザー・グース」という絵本で幼児期から
「韻」に多く触れられる環境があるのも、
日本と英語圏との違いが感じられました。

音楽はもちろん、文学、スピーチなど、
「韻」と生活の距離が日本よりも圧倒的に近いんですね。
だからこそ、自身の日常や感情を歌うHIPHOPが
英語圏で強く根付いたのかもしれませんね。

英語圏では「韻」というものが生活に近いところにあることが
わかったところで、「韻律」という面白い考えにも出会えました。

韻律」は日本では五七調や七五調がよく使われていますが、
韻文の中で文全体のリズムを生み出すための規則のことを指します。

英語圏における「韻律」はアクセント(強勢)とアクセントがない部分との配置が韻律として扱われているため、日本と比べ非常に幅が広いんです。

すべてを書いていくととんでもない量になるので、
リンクを貼っておきます。


この記事からも分かるようにアクセントの配置によって
文章を音楽的なリズムで構成できる上に、
音韻構造と組み合わせるとその表現の幅広さは言うまでもないでしょう。

パーカッションの譜面を考えるように、
そこに乗せる歌詞もまた、リズム楽器となりうる。

サウンドや思想についてはもちろん、
声を打楽器として扱うことこそが
英語で表現されるHIPHOPの良さなのだと感じました。


日本語のHIPHOPに視点を移す。


声を押韻や韻律を使って打楽器的に表現すること
海外のHIPHOPの魅力だとするならば、
日本語のHIPHOPの方向性はどうなるのか?
について考えを広めてみます。

おさらいにもなりますが、海外において「韻」や「韻律」は
シェイクスピア時代、いやそれよりも前から重要視されていた文化であり、
絵本やスピーチなど、生活に非常に近いところに存在する考えでした。

では、海外における「韻」と生活の近さを
日本に置き換えたときに相当するものは何か?

この問について考え、なにかしらの答えを出すことができれば、
今回の目的である「日本独自のHIPHOPの解釈」が
達成できるのかもしれません。

シェイクスピアの活動時期から考え、
安土桃山文化をヒントにしてみることにします。

当時に盛り上がった文化の中で現在にその要素が
少しでも残っているものが、
日本独自のHIPHOP解釈につながるのではと考えたからです。

いくつかの記事を読み、個人的に気になったものが「俳諧連歌」です。

「俳諧連歌」は室町時代に盛り上がった連歌の一種で、
特定のテーマに5・7・5(上の句)と7・7(下の句)とを
単独や複数名で読み上げ、テーマに対してのアプローチや
前者が読んだ内容との繋げ方や展開の面白さを楽しんだとされています。

「俳諧連歌」の面白い点が「即興性」の高い文化であったということなのです。

ある程度のルールが定められた中で、
即興性を競い合い、展開やアプローチを楽しむ。

これって「MCバトル」と近いものを感じませんか?

「俳諧連歌」のテーマがお題であるなら、「MCバトル」はビート。
それに対するアプローチや話の展開で勝敗をつける、即興の文化。

「俳諧連歌」と「歌合わせ」の文化の融合と考えられるかも知れません。

日本におけるここ数年のMCバトルの盛り上がりの意味が
何となくわかったような気がします。

また「俳諧」は身近でありふれて、高尚でなくわかりやすいものやバカバカしいものを題材にすることが多かったようです。HIPHOPの楽曲のテーマにも通じますよね?

身近という点で考えれば、元ワルだったものでも、近所にでかけたら楽しかったなどでもいいという幅の広さは「俳諧」も「HIPHOP」も同じだと考えられます。

他のものにも注目してみます。
それは当時盛り上がっていたものの一つ「浄瑠璃」です。

浄瑠璃は「語りもの」と呼ばれる音楽・芸能のジャンルの一つですが、
この「語りもの」の特徴として以下のものが挙げられます。

・拍子にとらわれない、自由リズム
・無拍がある
・音階の音からはずれた音が用いられ、音の高さが不確定
・テンポが複雑である
・リズムや旋律の反復が少ない

これらの特徴を持ちながら、内容が何らかの物語性を持つものを指しており、この浄瑠璃をはじめとした「語りもの」は今後の日本におけるHIPHOPのアプローチのヒントを示しているのかもしれません。

日本におけるジャズシーン(上原ひろみ)や
音階を無視したようなハードコアロック
(ボアダムス・ブラッドサーティーブッチャーズ)、
複雑なリズムを操るマスロックやポストロック(空間現代など)、
楽曲で物語性を示すJPOPなど、国内での評価だけでなく、
海外でも評価されているアーティストの活動などをみていると、
「語りもの」というジャンルをヒントにすることは音楽業界において、
あながち間違った方向性では内容に感じられます。

以上のことを考えると、
今後の日本語HIPHOPのアプローチとして独自性を示していくならば、

・音階や拍子など音楽的なことを意識しすぎず、語りに近い状態でラップをする。・楽曲はワンループでもよいが、複雑なリズムの中で行う。・旋律やリズムの反復を少なくするため、ビートアプローチを幅広くする。または特定のリズムキープを放棄する。


極端な例ですが、ノイズのようなトラックの上で演説をするようにラップをするなどの、ある意味娯楽音楽としてのアプローチを切り離すことで、日本語のHIPHOPの道は大きく開けるかもしれません。

ポエトリーラップが近いのかなと思ったのですが、底抜けに明るいトラックなどではなく、即興演奏のようなピアノに乗せてラップをする志人さんのようなアプローチが歴史的にみた日本語HIPHOPの形なのかもしれません。

最後に


今回考えてみた解釈はあくまで一例ですので、
今ある日本語HIPHOPを否定するものではありません。

ただ、洋楽に近づく以外にも日本語HIPHOPが進んでも良い道、
または方向性の一つだと
考えていただければと思います。

歴史を学び、今に活かす。
温故知新
という言葉の大切さを今回は学べたように思います。

音楽関係の内容はもう少し言語学と伴って、
掘り下げてみたいなと感じたので、
何か学ぶことがありましたら、また更新していこうと思います。

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