(ショートショート)水曜日が休みなんだ。

時刻は20:00。俺はいつも通りあの店に向かう。まだ週の半ばも迎えていないからか、人通りは少ない。店に歩みを進めるにつれ、人の姿はおろか、人の声すらも聞こえなくなってくる。この静寂を俺は愛している。今日も至福の時間を過ごせそうだ。

店に入ると、店主がいつものように挨拶をしてくる。今日は常連に加えて、一見の客もいるみたいだ。俺はカウンターの一番奥に座る。ここが特等席なんだ。店主からは「いつもの?」とだけ。俺は微笑みながら頷く。

酒を浴びるように飲む奴もいるが、俺はそんな野暮なことはしない。周囲の会話に耳を傾けながら、ゆっくりと味わうのが大人ってもんだ。

店主から出されたいつもの一杯。肴は頼まない、野暮だからな。この一杯だけをじっくり味わうのが大人ってもんだ。

今日は常連と一見の兄ちゃんとの会話が盛り上がってるみたいだ。兄ちゃんはどうやら転職した会社の愚痴を熱く語っているらしい。まだまだ青いやつだが、可愛げがあるなと思っていたら、兄ちゃんが「おじさんはお仕事何されてるんですか?」と聞いてきた。

店長の慌てる姿が目に見えたが、俺は若者の口調ごときで怒るような野暮なやつじゃない。ゆっくりと彼の目を見て、「水曜日が休みなんだ。後はわかってくれるかい?皆まで言うのは野暮ってもんだろ?」

兄ちゃんの顔が少し強張っているが、彼もまた俺の出す空気に気圧されたのだろう。

悪気は無いが、楽しい空気に水を刺してしまったようだ。この空気のなかで過ごすのは、少し野暮だ。今日は早いが帰ることにしよう。

代金をカウンターに置き、店主に合図を送り、店を後にする。釣りはもらわない。野暮だからな。

そうして俺は休みに向かって歩いていく。もう次週の至福の一杯を身体が欲している。自分でも欲張りだとは思うが、嫌いにはなれない。自分で言うのも野暮だが、俺の憎めないところだ。

さぁ、長いカウントダウンをはじめて、あの一杯を待つとしよう。


「店長さん、あのおじさん何なんですか?」

「ああ、あの人はね……説明が難しいんだけど……。」

「ルンペンだよ!ルンペン!」
「ちょっと澤さん!それはちょっとひどいよ!」
「そうはいっても事実なんだから、仕方ねぇだろうが。」
「え?あの人ルンペンなんすか?スーツ着てましたし……水曜日が休みって不動産関係の人じゃないんすか?」
「お前あの話信じるのか!純粋だなぁ。近いうちに詐欺にあうね。断言できる!」
「澤さん。飲み過ぎですよ。まぁ事実なんだけどね。あの人、毎週火曜日だけ髪型をセットして、髭も剃って、スーツもわざわざ着て、この店に来てくれるんだよ。」
「何でそんなこと……?」
「んなことより!今日の着こなしは傑作だな!この寒い時期にノーネクタイで、あれいくつボタン開けてたよ?ほぼ鳩尾見えてたぞ!ははは!」
「澤さん、もういいから。んー何でかはちゃんと聞いたことは無いんだよね。話しかけても、会話を流されて終わってしまうしね。」
「じゃあそもそも素性なんてわからないんじゃ?」

「それがね、この澤さんは近所の風呂屋で働いててさ、日雇いの人らに混じったあの人を見つけちゃったんだよ。そこから、ずっとこんな扱い。辞めなって言ってんだけどさ。あと、木曜日にいつもくる役所勤めの人がいてさ、その人が偶然火曜日に来た時に『あの人、公園で寝泊まりしてたましたよ…』って教えてくれて、素性がわかっちゃったわけ。」
「役所の人それ言ってよかったんですか?」
「本人は反省してるよ。それ聞いてから澤さんイキイキしちゃったもんだから。」

「なるほどな〜でもやっぱり気になるな〜。来週も来ていいっすか?あの人に話聞きたいです!」
「お!いいねぇ兄ちゃん!俺も聞きてえ!どうだい店長!いいだろ?」
「ダメです。」

「「なんでぇ!」」

「ここにきてわざわざ不動産屋のふりしたり、わざわざウーロン茶をウイスキーのグラスに入れさせたり、やってることはたしかに変だし、私も気になりますよ?でもそれで本人が幸せなら、それをわざわざ深入りして、その楽しみ奪うのは……ねぇ?」

「なんだよ。」
「なんですか?」


「野暮ってもんでしょ。」

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