賢さについて書かれた本を読んでみた2
『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』と言う本を読んでみました。
20代の頃に5年程ショッピングモールで警備員をしていたのですが、警備員って意外と暇なんですよね。特に平日の昼間なんかは駐車場からの出庫も少なくボーっとしている時間が結構あります。そういったときに私は色々と妄想して楽しんでいたのですが、そんな妄想の中でも一番時間がつぶせたのは頭の良さの定義を考えることだったりします。そんな経緯もあって、普通の人よりは頭が良いというのがどういうものなのかに興味がある私なんですが、この本はそういった頭の良さについて書かれていて非常に楽しく読めました。東大思考と書かれていて東大と言うブランドを前面に押し出している点だけは残念ですが。。。
この本に書かれている賢いの定義と言うのは「ミクロとマクロや、抽象と具体、表と裏と一つの出来事について色々な方向から検討できること」だと書かれているように思いました。これは以前以下の記事で紹介した『賢さをつくる 頭はよくなる。よくなりたければ。』と言う本とも共通していますし、
私が座右の書にしている、エリアフ・ゴールドラッド氏の『ザ・チョイス』とも共通しています。3冊だけでが、同じような定義が書かれていることから少なくともある面から見ればそれは真実なのかもしれないですね。
惜しむらくは例題で出てくる理論に飛躍が多々見られることです。私の理解力が足りない可能性も高いですが、私の評価なのでわからんもんは分からんとさせていただきます。
↓全然関係ない思い出話
この本には後半「本質」と言う言葉が何度か出てきます。この本では本質を「知るとその物事についての理解や活用が楽になること」と定義してありその理解の基、文章が書かれているので特に問題はないのですが、「本質」と言う言葉は私の中では過去のトラウマと共に「禁句」に設定されています。
今思うと冗談みたいな話ですが、私が若かりし頃に働いていた会社(警備員ではない)では、定義を明確にせずに、さらに内容もないまま「本質」という言葉だけを振り回して力業で議論を押し切っている人が何人もいたので、「本質」と言う言葉は議論の空洞化を招く言葉だと刷り込まれていたんですよね。同じような言葉で「成長」と言うのもあります。
どちらも場所が変われば用途も変わって自分に変なバイアスがかかっていただけだと気付くことが出来ましたが、その言葉を見たり聞いた瞬間に来る嫌悪感と言うのは中々消えないものですね。怖い
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