「まる」や「てん」
最近の若い人たちはチャットなどのやり取りで「まる」や「てん」をあまり使わないらしいですね。こういう話題自体がすでに古いと言われそうですが。。。
私はどちらかというと句読点の使い方が苦手です。でも、句読点は使いたい。
中学生の頃、本田勝一さんの「日本語の作文技術」を読んだときには句読点の使い方に関してなんだか光明を見出したような気がしました。しかし、すぐにまた句読点の泥沼にはまりこんでしまいました。
いまでも頭を悩ませています。しかし、やっぱり句読点はきっちりと打ちたい。
句読点といえば、中学生の時の国語の課題を思い出します。
中学生の時に国語の授業の課題で詩を書いたことがありました。
たしか「冬」を題材にした詩を書いてくるように言われました。詩には情景をうたった詩もあれば心情をうたった詩もありますが、とにかく口語の自由詩を書いてくるという課題だったと思います。
私は「冬の朝」というタイトルで詩を書きました。冬の早朝のきりりとした夜明けの情景を読んでみようと思ったのです。
課題を提出して何日か経った後、先生が数人の詩を選んでプリントにして国語の授業でみんなに配りました。その中に私の詩も選ばれていました。
先生がそれぞれの詩の作者に詩を読ませて解説させ、先生が講評するという授業でした。
先生が私の詩に対する講評として言われたのは、「句読点が君の性格を表しているようだ」ということでした。そして「不意に」とか「何気なく突然」というような意味で普通なら「ふと」とか「ふっと」と書くのに、どうして「っと、」と書いたのかその意図を説明するように求められて、説明に窮したことを思い出します。
この時の課題でたまたま私の詩とまったく同じ「冬の朝」というタイトルで詩を書いてきた女の子がいて、その子の詩もプリントで取り上げられていました。
その子の詩は、句読点など気にしない感じで、カタカナやビックリマーク(!) が出てきて、自由でポップで元気な明るい心情をうたった詩でした。先生からは私の詩とはまったく対照をなす詩として紹介されていました。私はこんな詩が書けるなんてすごいなと思いながら聞いていました。
このとき課題で作った自分の詩は今でもはっきり覚えています。
「冬の朝」
カチカチに凍りついた朝の空気。
っと、暖かい波を感じた。
日の出だ。
むこうの森から、
こっちの森から、
かすかに聞こえる小さなため息。
生命が吹き込まれたように。
お粗末様でした。