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大学生活の思い出のひとこま

大学時代4年間暮らしていたのは、玄関、電話、キッチン、お風呂、トイレが共同の6畳ひと間のアパートでした。

このタイプのアパートにしては珍しく、住んでいた学生の半分は女子学生で、共有部分はそれなりに清潔に管理されていました。ただお風呂の順番がなかなかまわってこないのが難点と言えば難点でした。

ピンクのコイン電話に一番近かった私は、電話の取次ぎ係をよくやっていました。

普段はほとんど顔を合わすことはありませんでしたが、たまに実家に帰った学生がお土産を部屋の入口のドアノブにかけておいてくれたりして、住人たちはそれなりに仲良くやっていたと思います。

大家さんは離れたところに住んでいて、管理人を任された学生の一人が、いろいろとみんなのことを気にかけてくれていました。たまにアパートのコンパをアレンジしてくれたり、おそろいのTシャツを作ったりしていました。

大学一年生の時、アパートの文系4年生の先輩から、「あなた理系なんだから、家庭教師で教えている中学生二人の理科を、1日で志望校合格レベルに仕上げてくれない?」と頼まれました。

「時間は無制限。かかっただけバイト代は払うから、とにかくわからないところを聞き出して、全部優しく教えてあげてね」という無茶な注文でした。

当日、先輩は「私は用事があるからあとはよろしくー」と、私に地図を渡し、どこかへ行ってしまいました。

受験直前の生徒も大変ですが、私もえらいことを引き受けてしまったと後悔しました。

結局その日、朝から夕方までみっちりと、理科に限らずわからないところを頑張って突貫工事で説明し、そのあと間もなくして彼女たちは高校受験に突入したのでした。

後ほど先輩から二人とも志望校に合格したと聞きました。私のおかげだとはとても思えませんが、私が地質調査で山にこもっている間に、先輩と私を訪ねて、アパートまでわざわざお礼に来てくれたそうです。合格してくれて本当に良かった。さもなければ先輩にどやされるところでした。

11月は大学祭の季節です。地質学科もまじめに外部から来た人向けに学術的な展示も行っていました。

担当者を決めて展示ポスターを作ったのですが、ポスターの出来がどうしても気に入らず、大学祭前日、有志で全面的に作り直すことになりました。

テンションマックスで徹夜して、大学祭当日の早朝にすべてのポスターが完成して展示し終わったところで、一度解散して、アパートに戻り、ひと風呂、ひと眠りして、大学祭本番に備えるつもりでした。

しかし、アパートで目を覚ました時は夕方でした。

あわてて大学に行くも、すでに片付けが始まっていました。友人は親切にも疲れているだろうからと気を利かせてほっといてくれたのでした。幸い展示は盛況だったとのことです。

ちょっと寂しい大学祭の思い出となりました。

そういえば、毎年恒例で、大学祭で張りぼてをつくり、市中パレードを行っていたのですが、ある年、私が張りぼて係の隊長となり、ローカルテレビの取材を受けたことがあります。私のテレビデビューでした。その後はありませんけど。

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