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自分の考えをまとめてから発言するか、発言しながら落としどころを見つけるか

いろいろな国籍の人たちが働く南国の石油操業会社。

ここでのミーティングの様子は、わたしがそれまで日本でミーティングに臨んでいた態度を考え直させるものでした。

もちろん会議出席者のパーソナリティーによるところも大きいのですが、概して南国のミーティングでは積極的に発言する人が多いです。脊髄反射的に発言しているように見える人もかなりいます。以前の自分の発言との一貫性とか、論理的かどうかとか、いろいろな側面から検討したかどうかとか、そんなことはとりあえずお構いなしに、まずその時思ったことをポンポン発言していく人が多い気がします。

私などは、発言する前に、自分の意見を頭の中で反芻し、以前の自分の意見と一貫性があるかどうか、論理的かどうか、いろいろな点をちゃんと考慮しているかどうか、いろいろ考えてしまっていました。

要するに、「ミーティングの中で一度発言したことを訂正したくない」「一回でちゃんと筋の通った発言をしてしまいたい」「結論に通じるような理路整然とした発言で、周りを納得させたい」という気持ちが強かったのだと思います。一貫性の無さや、間違いや、不十分な検討を指摘されたくないという気持ちが強かったのだと思います。

だからミーティング中も、頭の中で自分の意見を反芻し、理論固めをし、納得できてから発言しようとして、なかなか発言できませんでした。ミーティング中に人の意見を真剣に聞いて、その意見の長所・短所を分析して、意見をぶつけてより良いものにしていこうというよりも、ぐるぐると自分の頭の中で意見をまとめるのに時間を割いてしまっていたという感じです。

それでも自分の発言がまわりにうまく認められれば良いのですが、一生懸命自分だけで考えても最適解が出てくるとは限りません。一生懸命考えた自分の意見が、反論を受けたり欠点を指摘されたりすると、萎縮してしまって、その後はあまり発言できないということもありました。

しかし、こちらのミーティングではどうも発想が違うようです。まず思っていることをどんどん吐き出す。良いところ、悪いところ、間違い、検討不足、なんでも指摘しあう。自分の発言をほかの人の意見でどんどん軌道修正していくことも厭わないようです。

いろいろな意見がでれば、検討の幅が広がります。自分が発言することで、ミーティングの結論に対して当事者意識が生まれます。ミーティングで初めから結論につながる理路整然としたことを発言することが重要なのではなく、議論のきっかけを作ったり、議論をブラッシュアップさせたり、自分が満足するほど話せたり、そんなことが重要なようです。

すごいのは、別に自分が間違っていました、検討不足でしたなどと認めるわけでもなく、いつのまにかミーティング中に自分の意見を軌道修正してしまい、ミーティングの最後には、まるで最初からそのような意見だったかのようにみごとにさらっとまとめてしまう人がいるということです。

最後は落ち着くところに落ち着く。南国に20年近くいて、わたしはそれでもいいのかなと思っています。

公式のハイレベルミーティングなどでは、自分なりの、あるいは自分が代表している部署が望む落としどころをあらかじめ設定してミーティングに臨み、ミーティングでの発言のタイミングや、発言の仕方など綿密に考えておくこともします。

しかし、部署内の通常の技術ミーティングなどでは、こちらのミーティングのスタイルにかなり慣らされて、ミーティングで発言しながら軌道修正していくことに抵抗感が少なくなってきました。

気心の知れた南国人からは、日本から来たばかりの日本人について、「発言するときはまとまった良い発言をするけど、意見を戦わせない。それではこちらのミーティングでは通用しないよ。」と言われたことがあります。一方で、こちらに長くいる日本人については、「日本人っぽくないよね。彼(彼女)とのミーティングでのディスカッションがいつもむちゃくちゃハードだよ。」とにやにやしながら話してきます。意見を言い合いたいのでしょうね。

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