抵抗権
最近、世界のニュースだけではなく、国内のニュースを聞いていても、「抵抗権」という言葉が頭に浮かぶことがあります。
たとえば女性の権利が著しく制限された国のニュース。少数民族への弾圧のニュース。民主化運動を弾圧する軍事政権のニュース。住民の意向を無視した基地建設のニュース。
世界の歴史を見てみると、人々は政府など国家権力から人権抑圧を受けたときに、自らその権利や自由や人間としての尊厳を守るために、国家権力からの圧力に抵抗してきた歴史があります。
日本では「抵抗権」が明確に規定された法律はないのではないかと思いますが、日本国憲法が第11条で「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と宣言している以上、わたしは「抵抗権」も当然認められているものと思っています。
そして日本国憲法第97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と述べています。「基本的人権」は圧政への抵抗の歴史を通して人類がつかみ取ってきたものだと明確に認識されているということだと思います。
たとえ一部の地域の問題だったとしても、たとえ「抵抗」の仕方が稚拙だったとしても、私はその抵抗をちゃかしたり、あざけったり、見下したりすることはできません。
人権にかかわる問題は、連帯できることであれば声を挙げていくことが大切だと思います。そしてどうしても権利の主張が公共の福祉とコンフリクトを起こすと考えられるならば、権利を制限できるだけの強い正当性があることを説明できなければいけませんし、解決策の真剣な議論や模索、痛みを分かち合う補償の検討など、本来ならば「これ以上ないくらい」真剣にとらえるべきことだと思います。
それが、私たちが「抵抗」によって勝ち取ってきた基本的人権の守り方であり、手放さないための原則なのではないかと思います。
私たち自ら基本的人権を手放すことが無いようにしたいです。
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