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大雪で心折れそうになる

私は埼玉の平地育ちなのであまり大雪に遭遇することなく育ちました。

両親もスキーなどの趣味はなく、冬にわざわざ雪深い地方に旅行することもほとんどありませんでした。冬の天気で「西高東低」と言われれば、真っ先に思い浮かべるのはからっからに晴れている光景です。

知識としては「西高東低」の気圧配置となれば日本海側は天気が悪いとは知っていましたが、実感として「西高東低」の気圧配置は晴れて「秩父おろしのからっ風」のイメージでした。

子供の頃、埼玉の平地で20cmも雪が積もれば「大雪」で、30cmも積もればまず学校は休みになりました。雪が降り始めると本当にワクワクしたものです。

「地学を学ぶなら新潟大学」と高校の地学の先生に勧められて新潟大学に進学することになり、日本海側の冬の厳しさを痛感することになりました。

まず、3月初めの受験の時から「これはえらいところに来てしまった」と思いました。一日中晴れているのが当たり前のような関東から、それこそ「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国」でした。

それからの4年間、新潟の冬を満喫?させていただきました。4輪全部がスリップするバス。バス停でバスに乗り込もうとして滑ってバスの下に滑り込んでしまう人。坂道の道路わきに置かれたスリップ止めの砂が入った箱、スパイクタイヤで轍がへこんだ舗装道路。ワイパーを持ち上げて駐車場に止められた車たち。ほとんどの人が履いているスノーシューズやスノーブーツ。

何もかもが珍しく感じられました。けれどもすぐに物珍しさよりも、埼玉の静電気に満ち溢れたからからの天気を懐かしむようになりました。冬の稲妻にも度肝を抜かれました。アリスの「冬の稲妻」はとても好きなのですが。。

新潟県の道路管理課のページの「過去の雪のデータ(道路管理課調べ)」を見てみますと、私が大学に在籍していたころと重なる1983年暮れから1986年3月にかけて3冬連続で豪雪 (59豪雪、60豪雪、61豪雪) だったことがわかります。

新潟県道路管理課「過去の雪のデータ(道路管理課調べ)」より

たまたまとはいえ、特に雪が多い年と大学生活が重なってしまったのですね。

私は新潟の冬に耐えきれず4年間で新潟から逃げ出してしまいましが、今となれば新潟の冬も少し懐かしく思うこともあります。しかし、新潟はこの冬も大変な大雪に見舞われているようです。現在豪雪被害にあわれている皆さん、事故や怪我がないことをお祈りしています。


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