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2023/12/07 12月はいつの時もあわただしく

31日ある月はほかにもあるのに、やたら12月が慌ただしく感じるのは、冬になって昼の明るい時間、つまり活動しやすい時間が短くなるから、というのと、クリスマスとお正月の支度に加えて働き人は年末進行というものがあり(思うに年末進行が無い職ってあるのかな。すべての仕事ってこれの影響何かしら受けてる気がする)その短い活動時間内に色々詰め込まれているから、と、もう一つ、それらを念頭に置いて動く人々が纏う「忙しいなあ~」って空気感が周りに伝播されていって忙しない雰囲気がマシマシになってるからと思っている。

その年の最後の月だから、総まとめとして何かやりたいこと、やり残したことをやってしまおうって思っている人もいるし(これは日本の年度の締めである3月とかにも多分発生するであろう感覚)そういう感じが街にあふれていれば、自然に影響されてしまうのは仕方がないことでしょうね。

私でさえ、あれこれやるべきことを書き出したら「なんかいっぱい用意すること、やることがある…」と不思議に思ったりしてる。

お正月の支度は毎年している。年神様を迎える支度というか、実家から持ってきた神棚があるからやりたいな、と。

こどもの頃、家でお正月を迎える支度を見るのが好きだった。
おばあちゃんを筆頭に、お母さんや、時には近所に住む叔母さんがきて餅つきマシーンでついたお餅をビニールにいれて伸ばし、切り餅や鏡餅をこしらえたり、おせちやワインゼリーを作ったり。年末は年末しかやらないようなアニメがTVでやってるのも面白かったなあ。それをあったかい茶の間でみていると、手伝ってって言われる。言われたらお餅を伸すのをやってみたりしたけど、台所リーダー(お正月の支度の時にはおばあちゃん)的には力不足だったみたいで何度もNGが出たりしてた。
おばあちゃんがそば打ちが得意だから年越しそばはいつもお手製で、こねて伸ばしての繰り返しの動作が面白くてテーブルの端で見ていた。これに関しては手伝いようがない。うどんを作った時は足で踏みのお手伝をしたけど思い出せるのは一度だった。おそば率高し。

年末の乾いたような空気も好きだった。
陽が落ちるのが早くなるのはちょっと寄り道しただけですぐ暗くなるから怒られるのも多かったかも。17時あたりに帰ると、夏なら多分怒られなかったのに冬は「暗くなる前に帰ってこなきゃだめでしょ」って。
友達としゃべっていて夢中になると薄暗くなってきて『ああ~この調子だとなんか言われるわ』と思いながらも止まらないから。寒いのに道ばたで数時間しゃべってたなあ。そういうの、冬の方が多かった。友達と別れがたいなあって気持ちが高かったのも冬。

言いつけを守ってまだ日が翳る前に帰ると、家の離れの八畳に落ちる障子越しの影が、秋のころよりも弱々しく感じて、何となく寂しい気持にさせられたり。でもそういう感じも好きになっていった。
冬はずっと好きな方だった。今も夏より冬が好きだし。秋が一番だけど、最近…ここ4~5年くらい? 秋らしい秋に巡り合ってない気がするな…。

家族が亡くなったり、家庭をもって独立したり、ホームに入ったりして年末誰も帰ってこず、一人実家で初めて年越しを迎えた年末は確かとても寂しかったと思う。
もうあんまりあの頃のこと覚えてないんだなあと今書きながら茫然としてしまった…。帰省録をいつからか書いてたから、どこかのノートにその時の気持ちは書いてるとは思うけど、寂しい気持ちのことをつらつら書いていたんじゃないのかな。

それでも実家に帰ること、おばあちゃんがやっていたように神棚の神具や仏壇の仏具を見様見真似でお磨きをして、お榊を取り換えて、2~3種類の少な目のお節やお雑煮の汁の用意をし、その合間に都合を合わせて地元の友達と会ってあちこち車で連れまわしてもらったり…やっぱり色々慌ただしく過ごしてたなあって思い出した。あれやこれや、ってなんだか詰め込んじゃうんだね。

実家を解体するときまで、育った家で年末を過ごせることは、自分にとってすごく大事な、外せないことだったなあ。

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