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『The Days After 3.11』 当たり前の日常の大切さを、歌で届けたい :牛来美佳さん#1

“歌で伝え続けていく”
そう心に誓い、一歩踏み出したのは、あの日があったお陰でもある。
一人ひとりの魂を揺さぶり、心に届ける歌を届けるシンガーソングライター・牛来美佳さんのものがたり。

おうたをうたうひと・牛来美佳 (ごらい みか)

福島県双葉郡浪江町出身。
2011.3.11に発生した東日本大震災により被災。
居住地の浪江町が原発事故で全町民強制避難指示となり、 母子家庭として育てている当時5歳の娘と2人で最終的に辿り着いた群馬県にて避難生活を送る。震災当時は福島第一原子力内で 事務員として勤務。
本当になんともなかった当たり前の日常がなくなってしまった経験の中で、 伝えるべきことを伝えたい、伝えるための歌を歌いたいと決心し、幼少期に夢見ていたシンガーソングライターとしてデビュー。


「震災を通して当たり前の日常や生活がどんなに愛おしくて、どんなに尊いものだったのかをものすごく気づかされました。
それが私が歌を始めるきっかけにもなりましたから。当たり前の日常に感謝して、愛をもって生きていきたいです。」

聞き手を優しく包み込むような言葉を表現する牛来さん。
シンガーソングライターとして活躍する一方で、震災で得たことや失ったこと、そして体験した本人だからこそ伝えたい大切なこと。
歌や立ち振る舞いは愛に満ちあふれ、インタビューしているわたしたちの心を動かされた。

牛来さんは初めから歌手になったのではなく、震災がきっかけだった。
「どうしたらこの想いが伝わるの?」

震災後、原発事故によって故郷だった浪江町に帰れない苦しさを長いこと感じていた。昨日まで普通に生活していたところに帰ることができない。
想像してみてほしい。
避難生活がいつまで続くのか先行きが見えない中で日常生活を送ることを。

そんな時、避難先で景色を眺めていると、 本当になんともなかった当たり前の日常がなくなってしまった経験が自分にはある。
伝えるべきことを伝えたい、伝えるための歌を歌いたいと決心し、幼少期に夢見ていたシンガーソングライターになった。

「2015年に発表した代表曲、“いつかまた浪江の空を” は、一流アーティストにも楽曲提供している、音楽家の山本加津彦 (やまもとかつひこ)さんと作りました。
浪江の空の下で、またたくさんの人が集って、当たり前の生活がそこに戻ることを願い、歌に込めました。」

「震災後に地元に戻ったとき、生活の音もなく無音だったんです。また自然の鳴き声や人が生活している音が、故郷に戻ってくること。浪江の空の下で繰り広げられますようにって。」

ぜひ聴いてみてほしい。浪江の部分を馴染みのある地域や地元に置き換えて聴いても良いかもしれない。

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