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『ピカソのはずが』

中学2年生の美術で、「理想の島の絵を描く」という授業があった。

「他の生徒よりも抜群いいものを描きたい」「俺だけ名指しで褒められたい」「俺こそ唯一無二の才覚の持ち主なのだ」という気持ちがすこぶる強かった。我ながらなかなか厄介なこじらせ方だ。

ただ絵自体はえげつなく下手くそで、デッサンや似顔絵は幼稚園児に毛が生えたレベルだった。単純な絵の巧さ勝負なら負けは見えていた。そんな角度から放り込んでくるかね!というような、前衛的なものが描きたくて、美術の教科書や便覧的なものを隅々まで読み込んでマイナーな技法を探した。

他の誰も使っていない技術を用いれば、自動的に唯一無二の独創性のある作品をこしらえることができるのではないか、という安直にもほどがある思考だ。

まず、真っ白の画用紙を赤・青・緑・黄・オレンジ・黒などのおなじみ色で、サイケデリックに彩る。次に細かくちぎった日経新聞をランダムにペタペタ貼っていく。その上を黒い絵の具で濡らしたタワシでゴリゴリこする。新聞が破けたりシワになったり剥がれそうになったりする。カラフルな絵の具はタワシの黒と混じってなんとも言えない色合いになる。さらにその上に金と銀の絵の具を歯ブラシにつけ指で弾いてしぶきを飛ばす。仕上げに真っ白な絵の具で、カンバスに大きく【島】と書いた。

完成した瞬間、これはキタゾと思った。名作を生み出してしまったのではないか、俺将来芸術家になる才能を、持ち合わせているのではないかと本気で思った。

「えー、先日描いてもらった理想の島の絵ですが、このクラスにとても素晴らしい作品を描いた子います。アベリョウくん、前へ。」
「アベくんの絵はピカソみたいです。すごいと思います。」
「うへへ。ありがとうございます。常軌を逸してますよねぼくの才能は。皆がアホ面さげて絵の具を混ぜていましたが、滑稽です。絵の具の色そのままでいいんですよ。そしてこの配色です。そして新聞を上から貼る。そしてタワシで汚す。汚した上で、【島】と書く。天才ですよねぼく。」

「調子のんなよクソガキ」

予想外の言葉が耳に入ってきたので、ぼくは反射的に聞き返した。今、なんと?

「調子のんなよクソガキって言うたんや。耳悪いんかボケ。一回で聞けや」

聞き間違いじゃなかった上に、聞き返したことでより怒らせてしまったらしい。

いや、ついさっきまで褒めてたやん。すごい作品があると言い、ピカソの名まで持ち出して称賛してましたやん。何があかんかったの。べらべらしゃべりすぎたのがよくなかったか。でもそこまでキレなくてもよくないか。調子のんなよクソガキって、ほぼヤクザやがな。

ふと顔をあげる。

そこにいたのは先生ではなかった。

全身灰色の男だった。目だけが黒く、皮膚も髪も爪ももちろん服も、すべてが灰色に染まった男が僕の方をじっと見ていた。見てはいけないものを見ている気がして、ゆっくり視線をみんなの方へ向けると、クラスのみんなも灰色になっていた。

ガラガラ、と教室の扉が開く音がして振り返ると大きなハンマーを持った教頭先生。教頭はかなり怒っているらしく目は真っ赤に充血し、興奮で顔を赤らめていた。勇み足で教室の中に入ってきたかと思うと、灰色のクラスメイトたちをハンマーでボッコボコに殴り始めた。

殴られた灰色は脆弱なコンクリートのように粉々に崩れていった。最初は1体壊すのに3回ほどハンマーを振り下ろしていた教頭だったが、8体目あたりからはコツを掴んだのか一撃で粉砕していった。僕は無残に壊れゆくクラスメイトを見ながら頭の中でベルリンの壁崩壊のあのシーンを思い浮かべていた。

計36体が木っ端微塵になった。僕の隣にいる灰色の男はいつの間にかいなくなっていた。

教頭は「掃除しましょうか」と明るい声で言いいながら、肘で灰色の物体と窓ガラスを一緒に割った。いつの間にか外はすっかり暗くなっていた。ずしんとしずまりかえった校内。生徒や先生もみな帰ったらしかった。仕方なく、教頭と一緒に掃き掃除をした。

「一体なんだったんですか」
「気にしなくていい。よくあることだ」
「なんで灰色になったんですか」
「多くは言えないが、灰色になったら叩き潰さなきゃいけないんだ」
「こわいですね」

掃いても掃いても減らない灰色の残骸に嫌気がさしてきたころ僕は自分の右手が灰色になっていることに気づいた。とっさに右手をポケットに入れて隠す。

教頭の視線がこちらに向いている気がした。焦りからホウキを持っている左手をぎゅっと握り締めたがその手も灰色になっていた。ホウキから手を離し、左手で首を触ってみた。ゴツゴツのとした無機質な触り心地だった。かすかな祈りを込めて顔を触ったが結果は同じだった。

背後から教頭の足音。ゆっくり迫ってくる。やがてハンマーを振りかぶる音が聞こえ、振り下ろす風を切る、ぶおんという音が聞こえた。

そこからのことは何も覚えていない。






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