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指紋を鑑定する技術は、縄文土器が由来ってホント!?【6/18は考古学出発の日】


本日、6月18日は考古学出発の日とされています。

1877年の今日、大森貝塚を発見・発掘したアメリカの動物学者、エドワード・モース博士が来日しました。モースは横浜から汽車に乗って新橋へ向かう途中、大森付近を通過する車窓から貝殻が堆積している場所を発見して、発掘調査を行いました。これが日本で初めての科学的な発掘調査で、日本の考古学の出発点となったことから、この来日の日が考古学出発の日となったのです。

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本日はこの日本の考古学の原点となった大森貝塚にちなんだ雑学をご紹介します。


指紋鑑定法の原点

私たち人間の手指には、一人ずつに違った指紋があります。一人ずつ固有のものなので、スマホのロック解除から犯罪捜査まで幅広く使われています。

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この一人ずつ違った指紋を識別する方法を「指紋鑑定法」と言いますが、これが大森貝塚にルーツがあった、ということを知る人は少ないかもしれません。

指紋鑑定法の生みの親は、ヘンリー・フォールズというイギリス人医師です。

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1874(明治7)年に来日したフォールズは、なんとこの日本で指紋鑑定法のアイデアを思いつきました。
その場所は、冒頭でもご紹介した、あの大森貝塚です。

フォールズは出土した縄文土器に、成形のときについた指紋があるのを確認しました。その指紋は、現代人となんら変わらない指紋。縄文時代の人間と、明治初期の人間に同じ指紋がついている――これに気づいたフォールズは、指紋に興味を抱いて研究を始めました。

そして1880(明治13)年、フォールズは日本に滞在しながら、イギリスの『ネイチャー』誌に研究論文「手の皮膚のしわについて」を投稿します。
この論文が、世界最初の指紋鑑定法になりました。

フォールズは、日本で健康社築地病院(のちの聖路加国際病院)を設立し、医学生を指導しましたが、ここには今も、指紋鑑定法の生みの親であることを記した石の銘板があります。
現代社会に溶け込んでいる指紋の技術が、なんと縄文土器が由来だったとは、意外な驚きですね。

Ⓒオモシロなんでも雑学編集部

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