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初現場MCバトルの話 ~もやしがマイクを握るまで~

2023年2月4日。

その日、岐阜→名古屋間をつなぐガラガラの快速列車に、めちゃくちゃ顔色悪い男が座っていた。
さもあろう、彼はこれから一世一代の挑戦に身を投じるのだ。

彼の名をGARYOという。わたくしGALOWの当時の芸名である。

・もやし、クラブへ行く

当時から僕はかっこいいラップ音楽を目指して一心に活動をしていた(つもり)だが、所詮はもやしである。
運動は苦手だし、休み時間は教室の隅っこで読書をして過ごしている。
学生なので自由にできるお金が少ないこともあり、楽曲製作は全て自宅で完結させていた。クラブにも当然行ったことがなく、何ならラップをやっている同志にも現実で会ったことはなかった。
そんな僕に、同じ東海地方のラップの先輩MさんからDMが届く。

「こんど名古屋でMCバトルのイベントあるんだけど、GARYOくん出てみませんか?」

テンパった。

コンビニでヤンキーっぽい見た目の人とすれ違うのも若干怖い自分である。
怖い人達(イメージ)の渦へ足を踏み入れ、あまつさえマイクを握って罵声を浴びせかけるビジョンなんて湧くわけがない。観客側のライブにすらまだ行ったことないんだぞ。
断るか?
当然だが逡巡する。しかし、どこかに言い知れないワクワクがあったのも事実だった。
MCバトルからこの界隈に入った自分にとって、その舞台は普通の認識よりちょっとだけ神聖であり、そこに立つ人々はみんな等しくヒーローだった。
もしうっかり上手くやれたらどうなる?
そのヒーローたちの一員に、自分も加われるのではないか。

「出てもいいですか」

なかばナチュラルハイになりながら、そうDMを返す。
本番2ヶ月前のことだった。

・緊張は挙動不審へ

限界の状態であげたストーリー。
名古屋が久しぶりがどうかはこの際どうでもいい


愛知県名古屋市中村区。
閑静な雑居ビルの地下1階に、僕の初舞台は設定されているようだった。
前日の夜、布団の中でルート検索をしている時から止まらない緊張。
寝れば治ってるかもしれない。
明日の朝の自分は無敵かもしれない。
そう思って眠りにつくが別に全然そんなことはなく、名古屋へ繋がる快速の座席に座る頃には緊張がピークに達する。
もはや逆に頭は冷静なのだが、心臓だけが恒常的にバクバク鳴っており、手足の先が痺れる。
あんなにリラックスできない移動は後にも先にもこれだけである。処刑台へ向かうかのような心持ちの30分。
現実逃避のため、インダストリアル(工事現場みたいなドラムに地割れみたいなベース系)音楽を爆音で聴いたり、普段絶対やらないフィルター加工付きの自撮りをしたりしていたのを覚えている。本当に限界だった。

快速は徐々に減速し、僕は名古屋駅の雑踏に投げ出される。

・回れ右をしたくなる光景

会場廊下の壁面

名古屋駅を出、スパイラルタワーズの脇を抜け納屋橋周辺へ着く頃には、もはや「もう逃げられない」という諦めにも似た落ち着きが頭を支配していた。
ここで心配になってくるのは、はたして会場へたどり着けるのかという不安である。
というのも、こういったクラブは騒音対策などをふまえて地下に作られることが多く、入り口は「本当にここ?」となるレベルで素っ気ないことが多いのだ。

しかしこの心配は杞憂に終わる。

納屋橋(という橋もある)を渡ってしばらく歩くと、何でもない雑居ビル前の狭いエントランスに、ストリートファッションの兄さんたちがごろごろと溜まっているではないか。
絶対ここやん。
まばらに人が入っていくエントランス内の狭いエレベーター、その下に件の会場はあるようだった。

このときから僕は既に「場違い感」を感じていた。

近くでエレベーターを待つ兄さんの「え?こいつもイベント来んの?マジで?」「なんかと間違えてるんちゃうの?」みたいな視線がもうすごく伝わってくるのだ。
当たり前だよもやしだから。

到着したエレベーターに、隣の兄さんがさっさと乗り込む。
今から考えれば何故か分からないのだが、僕はそこで同じエレベーターに乗るのを躊躇した。
さすがにまだテンパっていたのかもしれないし、懐疑の視線を向けていた兄さんと2人で密閉空間に入ることが恐ろしかったのかもしれない。
閉まってゆくエレベーター。
ここまで来て何やってんだ自分は。しかたない、次が来るのを待つか___。

ガンッッ。

前方のエレベーターから奇妙な音が聞こえた。
視線を上げるとさっきの兄さん。
……が、エレベーターの扉から生えている。
彼は閉まる扉にむりやり胴体を挟み、力技でエレベーターを食い止めていたのだった。
「もしかして下行く人ですか?」
そんな感じで話しかけられた。
下行く人だけど、今目の前でエレベーターの扉に挟まれてる人に話しかけられてる事実のほうが気になって返事がおくれる。
「は、はい」
どうにか返事をすると、兄さんはエレベーターを止めて僕を乗せてくれた。
緊張しているのがわかったのだろうか。エレベーターが止まるまでの間、彼は気さくに僕に話しかけてくれる。
「水だけちょっと隠しといたほうがいいです」
兄さんはにこやかに僕が持っていた水を指さす。訊くとワンドリンク購入制で、飲料物の持ち込みは基本NGだという。
動画でMCバトルに出る人を見るとみんな水を持参していたので、あったほうがいいかと思って買ったのだ。恥ずかしい。
ここも悪い場所ではないかもしれない。そう最初に思わせてくれたこの兄さんは、SNS上でほんの少し関わりがあったラッパーのKさんだとのちに知る。

エレベーターはとうとう止まり、Kさんは「それじゃ」と出ていってしまう。

いよいよである。

僕は落書きだらけの廊下を抜け、ドアの前に立つ。
この扉の先が会場だ。人生初のクラブ。
意を決してやたら軽い扉を開けると、そこには___。

ここで僕の目に飛び込んできたものを箇条書きで並べさせていただく。

・もうスモークみたいになってるタバコの煙
・閉鎖空間に終結する怖い人達(イメージ)
・えげつなく重い808を響かせるスピーカー
・叫びながら暴れるドレッドサングラス

「すみません間違えました!!」 

そう宣誓して回れ右したくなったのは言うまでもない。このときが1番怖かった。
明らかに自分のいていい場所ではない。そう思った。
ここでただイベントを観戦するだけならまだしも、自分がこれから奥のステージに立つことを考えるとちょっと泣きそうだった。情けなさすぎる。
なんとか根性だけで踏み止まり、どうしたらいいかもわからないので誘ってくれた先輩Mさんの到着を待つ。
ここでも完全アウェー。「あいつ何だ?」「なにと間違えてんだ?」みたいな視線をリアルに浴びる。
しかし僥倖、事ここに至ると逆に“やってやるよ”的なテンションになってきた。
逆境に強いのが僕の長所である(?)

・運がいいのか悪いのか

そんなこんなでMさんが到着。
はじめて会うMさんは、想像よりもずっと落ち着いた印象で、両親が離婚してから会っていない父方の従兄弟を思い出した。夜勤明けで大変だと言っていたのを覚えている。
Mさんは僕にここでの立ち居振る舞いを教えてくれる。
受付(といってもふつうの長テーブル)に行くとイベントのエントリー受付ができる。そこで対戦順を決めるクジとドリンクチケットを貰うらしい。

「ドリンクにはお酒もあるから飲んでいいけど、あくまで自己責任ね」

Mさんの言葉にここでも面食らう。
マジかよ、こんな保健体育の教科書みたいな状況現実にあるんだなと思いながら、僕はコーラをオーダーした。偉い。
それからMCネームを伝えてクジを引く。
引いたクジには数字が書かれていたように思うが、その数字が必ずしも順番に直結するわけでもないらしい。
受付の男性がトーナメント表に何かを書き込む。
そのすぐあとにMさんが「何試合目だった?」と訊いてきたあたり、その場で順番は分かるようなのだが、いかんせん僕は見方がよくわからず、受付前は人が多かったのですぐに離れてしまった。

マズい。
順番が分からないのはメンタリティに大きく影響する。

何番目かが分かっていれば心の準備のしようもあるが、いつ名前を呼ばれるか分からないのではどうしようもない。宙ぶらりんだ。
もっと最悪の事態を想定するなら、第一試合、トップバッターだったときが本当にヤバい。
それ以降であれば場の雰囲気、流れ、どこまで言っていいかなどの空気感を掴むことができる。
が、もし1番最初にステージに呼ばれるようなら本当に判断材料がゼロだ。
なんせこっちは初めてなのである。

イベントが始まる。
やけに長身イケメンの司会者(DJの方らしい)が開始前の口上を述べ、ぶち上がる会場。いよいよ第一試合の対戦者が呼び込まれる。
スリザリンは嫌だ……ではないが、そんな心持ちである。ここさえ回避すればあとはいい。1回でも試合が見られればだいたいは把握できる。トップバッターだけは勘弁してくれ。頼む納屋橋の神様。

「第一試合、GARYO vs…」

がりょう、のがr、の部分でもう悟った。
納屋橋の神様は味方してくれなかったのだ。
自分のクジ運のなさを恨む。対戦相手が自分のクジ運ならいくらでもディスれる。
フラフラとステージへ上がる。頭は真っ白だ。

・現場初めてのバトル

で?何をしたらいいんですか?と心中で謎の逆ギレをしていると対戦相手があがってくる。
対戦相手はDさん(本当は枕詞にKがつくのでK-Dさんなのだが、エレベーター兄さんことKさんとは別人なのでDさんとする)。
Dさんはオレンジのシャカシャカ素材ジャンパーに身を包んだ若めの風貌をしていた。よく見ると柔和で親しめそうな方なのだが、この時の僕には恐怖の対象にしか見えていない(すみません)。
ビートが流れ、先攻後攻を決めるジャンケンをする。ここではギリギリセーフ、ジャンケンに勝ち後攻をとることができた。

「それでは、先攻D、後攻GARYO…」

司会者が試合開始の口上を述べ、DJのスクラッチ音が響く。
すごい、いつも動画で見てるやつだ。

本来、ここがこの記事の1番の見せ場なのだが、申し訳ないことに必死すぎて試合の内容をあまり覚えていない。 

1バース目でDさんは僕を「オカマちゃん」とディスった。確かに僕は女顔だし、服もポップめである。
誰にでもすぐにわかる見た目ディスは現場で非常に効果的だ。すでに大きく差が開く。
僕はなんと返したか不明瞭なのだが、とてもラップと呼べるものではなかったことだけは確か。
では何かと聞かれると、なんだろう、演説?
もう頭がぶっ飛んでいて、いつもなら浮かぶ「次これ言おう」などの思考がまったく働かないのだ。もう口が勝手に動くのに任せていたと言っていい。
似たような流れで2バース目も過ぎ、Dさんに「声が小せえよ」と言われた記憶もある。

この経験を経ての教訓だが、現場でのマイキングは本当に重要である。ずっと叫ぶようにして発声しなければ声量が劣り、それだけでも劣勢に見えてしまうことがわかった。
今でこそマイクを口に近づけるなどのテクニックもあることを知っているが、この時は本当にそれどころではない。

ラストの3バース目、僕はアドバイスを有難く頂戴してめっちゃ叫んでいた。

Dさんに音楽性がない、みたいなことを吐いて終わったのだけは覚えていて、そこだけは自分でも多少アツかったかな、と思える。

ビートが鳴り止み、判定の時間。
まずは先攻のDさんの名が呼ばれる。
観客席のほとんどの手が上がった。
まあ当たり前である。贔屓目に見ても、僕は1、2バース目と通らない声でよく分からない演説をし、ラストで急にキレて叫びだした奴にしか見えない。
票が入らないのは自明の理___。

と思いきや、僕の名前が呼ばれると、決して多くはないもののちらほらと手が上がったのだ。

Dさんの票を見た時点で勝敗は決しているので同情票かもしれないが、それでも嬉しかった。
火照った体に風が当たったような感覚がし、負けてるのに不思議な達成感があった。ここしばらくのエグい緊張からも、このときようやく解き放たれる。
ステージを降りたあと、Dさんが僕に話しかけてきた。

「ありがとうございました。かっこよかったです」

明らかにDさんのほうが年上、かつラップの腕も遙かに上なのに敬語。こちらを労う言葉とともに握手を求めてくれた。
さらにDさんはこうも言ってくれる。
「どんな曲作ってるか気になるんで、インスタ交換しませんか」
MCバトルで広がる輪。この時すでにDさんは僕の中で“戦友”認定されていた。あるだろうか、日常で戦友ができること。
「すみません、音楽性ないとか言っちゃって」
野暮かもしれなかったが一応謝ると、
「いえいえ、全然いいんです。こちらこそ」
静かな声音で許してくれた。
皆さん、MCバトルという舞台の上で演者はいがみ合い、殺し合うかのような勢いで罵声を浴びせ合うだろう。しかし、舞台裏ではこうしたやりとりがある(かもしれない)ことを覚えておいてほしい。

ステージ上で僕をボコボコにしたDさんは、ステージの下では誰よりも優しく思いやりがあった。
負けたことへの悔しさなんてどこかへ吹っ飛ぶほどに。

・なんやかんやで楽しい夜

帰り際調子に乗ってあげたストーリー。
何はともあれ幸せそうである

そのあとはひたすら楽しんだ。
肩の荷が降りた解放感もあり、僕は再びナチュラルハイ状態に陥っていた。
MさんやDさん、Kさんのバトルを観戦し、ヤバいパンチラインに歓声とゴンフィンガーをもって応えた。ライブ枠のラッパーの、HIPHOPにかける情熱に胸を熱くした。DJの流すAwich“洗脳”に合わせて、みんなで輪をつくって踊った。

同世代のHくん、もうすぐ高校受験だというEくん、ストリートファッションまみれの中カジュアルな服装とハットで酒を酌み交わしていたYさんなどとは、話してみて物腰の柔らかさに感動した。
クラブでの挨拶は握手からのグータッチが基本という噂も本当だった。
あれは一気に人と人との距離を縮める気がしていて、日常でも仲良くなりたい人に実践するようになった。

年齢、性別、職業___。全てがバラバラな人々が、同じ音楽を求めて一同に会しマーブル模様を描く。
その不思議で美しいコミュニティの一員でいられたことは、今でも大切な思い出だ。

21時を回った頃、僕は特に良くしてくれた数人に挨拶をして会場を辞した。
たった今してきた経験がドデカすぎて、名古屋の夜の喧騒すら夢のように思える。

僕の2月4日はそのようにして終わっていったのだった。

後日、「クラブに出向いてMCバトルをする」ということをよく理解していなかった母親が、タバコの匂いをさせて帰ってきた僕を見咎め、「とりあえず18になるまでクラブは禁止」というルールを課した。
若干残念ではあったが、扶養してもらっている身である以上仕方ない。2度と行けない訳でもないし。

1年半近く経った今でも、あの夜のことを鮮明に思い出す。
まだ何者でもない僕をラッパーとして受け入れてくれたあの場所へ、また行ける未来を夢見ずにはいられないのである。

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