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あるがまま、ここにいていい(アドラー心理学第二夜)

アドラー心理学を勉強していますが、アドラーは他人に介入することを徹底して嫌います。

例えば上下関係は凄く嫌う。相手の人生を操作してしまうから。

人を褒める、というものも嫌います。褒めるというのは、上下関係があるから成立するらしく、相手を下に見ているという意味にとらえている。
だから、ほめられて調子に乗ってすることは、相手の意のまま操作されてる、ということで、アドラーは相手の人生への介入と言っています。

人間関係は対等。横の関係を好む。
決めるのはいつも自分。

このアドラーの考え方でいくと、例えばSNSで自分ではなく他人の悪口を書くということは、他人に介入していると宣言している、ということになる。アドラー心理学を学んでいたら、出来ないだろう。

確かに自分がした行動をいちいち他人にチェックされ、これダメあれダメと言われるのは、ただただ人生の邪魔だ。

しかし、あれいいよ、それいいよもダメなんだね。

あれをしてくれてありがとう、助かりました、なら良いのだそうだ。
これなら、介入でなく共助になる。

最近子供が「プレバト」という番組をよく見ているが、あれは良く考えられているなあ、と思う。

有名人がアートや俳句などにチャレンジして順位づけをしている番組ですが、特に俳句という、一見わかりづらいジャンルでも、何故良い句のなのか、説明されるととても納得がいく。

順位づけすることによって、些細なことにも気を付ける、という俳句の極意がわかる。
沢山の方の指導に当たっている専門家だということも、同じ言葉を使いすぎると「もったいない」と言っていることでわかる。

文字の無駄遣いは、時間の無駄使いだ。本当に勉強になる。

アートも一応わたしもやっているので、定期で心がズキズキしますが(汗)

これもちょっとした工夫で改善出来る、という説明があるので納得出来る。

やっている方は大変だと思いますが、実際のクリエイターだって常に本番なので、やっていることはあまり変わらないです。

何を選んで、何を使うか。限られた時間の中で、一瞬を極めていく。

だって、この時間だってその人の人生のわずか一点なので、それで人生を操作されているのではなく、途中過程を放送することで、創作していることを「見える化」している。

なので、出来た作品の途中過程の「選ぶ」の時、本人以外ノータッチであることが、はっきり見えている。

そこが見てて気持ちいいんだよね。

ランク付けしてはいますが、結局お題に沿った作品作りというフェアな場所を毎回用意しているので、上下関係になってはいないのです。

わたしも、作品途中にあれこれ言われたらイヤだもん。

以前ある方が、わたしのプライベートまで心配と称して口出ししたり、していない事をしたと言われたり…
他人への介入をしてきました。

結局、上下関係でものを捉えられてたんですね、操作されないためにも、プライベートなことは出来るだけ公表しない方がいいと、つくづく思い知らされました。。

だから、たとえ一瞬でも、上下関係になったりすると、相手の理想の押し付けがはじまり、しなかったら怒られたりする。

アドラーは、人は怒ると嘘をつく、と言います。その嘘で、人間関係は簡単に壊れてしまう。

つまり怒って発言してる人の言葉に真実はない。

わたしの経験でも、怒った人の言葉にウソは多いと感じています。

20年以上したことがない事をいつもしてるかのように、この何年か言われているのですが、行動だけでわたしを判断されたり、下僕のように扱われたりと、アドラーが嫌う関係ばかりになってしまっていた。
お金返せ、金遣いが荒い、なんて個人の価値観への介入そのものだ。

いわゆる成果主義。これも、アドラーが嫌っているものです。

その人は「いる」のです。
あるがままに、生きていい。
居ること、それ自体が尊い。

その人が何をしても、邪魔をしてはいけないし、理想を押し付けてはいけない。
ただ、同じ時間を共に過ごす。
そのことが尊い。

あるがまま生きること。
その人(動物や植物、モノも含めて)の存在がある時、その尊厳を守る。

わたしの父は3年前に亡くなりましたが、わたしが到着する前に、妹はもうしゃべれる状態ではない、と言っていました。
しかし、面会して声をかけたら、手を握って離さなかったのです。
意識はほとんどないです。周りがびっくりしてしまい、当時面会者が一人だけという決まりがあったため、妹が行けなくなってしまい困ったことがありました。

色々話を聞きましたが、残念ながら意識不明状態の人間の尊厳は守られてはいないようでした。
介護関係の方は心理学は学んでいないのでしょうか。。
それから1週間もたたず、父は他界しました。
さすがに、葬儀会社の方はお見送りのプロなので、きちんと送ることが出来ました。
お世話になったとはいえ、わたしの面会時間が過ぎたからと靴を雨の庭に放り投げた人もいましたよ。。いい人も、ずっと怒ってるような人もいました。なんというか、情緒不安定。待遇よくないのか?

これから常世へ送られるだろう、わたしたちは、大金払って手荒な扱いを受けるのでは、と心配になってしまいました。

最近、心を病む方が学生に非常に増えていて、授業が成り立たないという話も聞いています。なので、心理学は小学生のうちから、必須科目にした方がいいのでは、、と。

アドラーでなくても構わないけど、人がありのままで、いていいという概念は、なくなったら人間は滅ぶよ。。

わたしも病んでからわかりましたが、心理学は占いでもゆるふわスピリチュアルでも洗脳でもなく、医学でした。体のしくみは学ぶのに、心のしくみは学んだことがありませんでした。(フロイトやユングは、小学生の時に自分で本を買って知ってましたけど)

日本はお金を稼げない人への扱いがひどすぎる。
上下関係、成果主義さえなかったら、わたしは病まなかっただろうし、3年前の父のようなこともなかっただろう。
ここにいてさえくれればいい、なんてわたしの親くらいしか言われたことがない。。

よく子供が産まれたとき、「産まれて来てくれてありがとう」という言葉を聞きますが、他の人へなぜ、その言葉が言えないんだ。

それを言える人が一人でも増えれば、世界はぐんと良くなると思うんです。。

あとは、定期チェックが必要だなと思うのは、自分が他人の問題に介入したり、他人の課題を自分の課題として取り込みすぎてないか?という点。

ノウハウジプシー、なんてまさにそれ。他人の「提案」を自分ごとのように解くように、講師は言いますが、ひとつ間違えれば「洗脳」にもなりかねない。
本当に自分の問題なのか、ちゃんと吟味し、必要ないならさっさと縁を切る判断は、常に自分に問いたい。

最近の講師はビデオ映像を公開しているので、聞いてたら「カルマの解消」とか言った講師を実際に見ています。

新興宗教と変わらないのが、ビジネスセミナーにもいるんだよな。

アドラーは過去も未来も今も全て自分の問題だけを解決せよ、先祖の問題はあくまでも先祖たちの問題と言っているので、そこは否定している。

あと、横の繋がりの真意は、自分肯定→他者信頼→他者貢献。まずありのままの自分を受け入れ、他者のありのままを認め受け入れる。その結果、「ここにいていい」と実感し、わたしが誰かの役に立っている」と思える。例として「仕事をする」を上げている。

確かに仕事をすることで、地域からも他者からも認められて、自分や他人への肯定感が増し、居場所が出来る。
だから、どんなに富を得た富豪でも、仕事はやめない。

というわけで、アドラーの教えは、難しくはあるけれど、人間関係の極意を突いているのは間違いないし、日頃、人との関係について考えるよい基準になる。

「自分で選んだんだ」の件も、
自立していて初めて人間関係が健全になるわけで、とにかく自己を受け入れ認め赦して、そこから「自立」がはじまる。
自立していないから、健全でない人間関係が生まれる。

アドラー心理学の順番は変えられない掟のようなのですが、今苦しんでいる人はおそらく順番がおかしくなっているかもしれない。

アドラーをマスターするのに20年かかるそうですが、わたし死んでるよ汗

でも、もともとわたしが生まれた時は両親や周囲がいい関係でしたので、自然と自立した自分を作れていました。
問題が起きたのは、結婚してから。

なのですでに、自分は肯定出来ていた。逆に20年かけて、アドラーが否定する世界に堕とされてしまっていたようです。。

だから、理解するのに20年はかからないだろう。

今の人間関係を改善し、結婚前に持っていた、あるがままのわたしを取り戻す。

そのために、今の仕事や居場所が用意されたのだろう。
これから、この技術と意志で、自分の世界を、作っていく。

わたしにとっては、嫌われる勇気というよりは、好きになる勇気、かもしれないな。

仕事についてまだ先に教えがあるので、次の夜があるかも。。

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