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自分の外を知り、自分の感情を知る

色々なテストで、超外向きに診断される。HSS型HSPもそうでしたが、MBTI診断でもENFP(広報運動家)になりました。

この手の診断でこうなるのは、そもそも50年も生きていればわかりきっている。わたしは、大勢の人に囲まれ会話をすることで輝くタイプで、かつ芸術方面とカルチャー方面に長けていること。

なのに自己主張が強くない。SNSが苦手というのもうなずける。

プロデューサー、サポーター両方に向いている。アイデアを常に持ち歩き実行する。

自由を尊び、他人がどう動こうが全部許してしまう。常に交流をし、それを楽しむ。仲間に不満を持つ人が現れると、冷静さをなくして取り乱す。この辺りは、集まりでもめ事を何度も経験しているので、心当たりがあります。結局、その集まりは解散しました。

現在のように、「他人と絡まずに活動しなさい」と言われるとまったく実力を発揮できない。
そして交流は、人とどうすればつながれるのか、どんなイベントをすれば喜んでくれるのか、ということに興味が旺盛なため、なくなると何をすればよいのかわからなくなる。コロナ禍、ハラスメントにめっぽう弱いタイプともいえる。

外向型人間は、内向型に理解されず敵扱いされることも多い。
本来は、わたしのようなタイプは内向型と外向型の両面を持っており、まとめ役になることが多いのだが、ネットでは外向型を敵とみなす人がたまにいる。そのため、キャラクターを隠し活動することも(大半バレますけどね)

逆に自己主張が強くないため、内向的ととらえる人もいるが、嫌われるのがいやで使うメディアを選んでいるため。基本的には絡みたいタイプ。

嫌われたくない、人の機嫌を取りたいがために、自分を放置して他人軸に考えやすい。仕事なら問題ないが、プライベートでは自分軸で動いた方がいい。
ハラスメントを経験して、自分軸で動くことの大切さを痛感している。
赤の他人に操作され、悪人に仕立てられるくらいなら、自分で悪人をデザインして笑ってエンタメ化する方が楽しめるじゃないか。

非常に自己肯定感が強い。嫌いだと言われ、詰め寄って無駄な喧嘩をすることも多い。しかし、この自己肯定感が強かったおかげで、激しいハラスメントに遭っても自分を取り戻したのかもしれない。


判断しても基本軸は変わらない。
なぜ、今不快に思い、活動が止まるのか。何故ごきげんにならないのか、そこを考えず過ごしてきた。

わたしがありのままを生きて不快に思う人がいる。その人達は、人間関係スキルが稚拙なので、脅しによって現状を変えようとしている。

わたしのモノを壊したり捨てたり移動したりしている。

いずれも、法に触れているし、わたしのごきげんを損ね、心に剣を突き刺している。

わたしの活かし方などどうでもよく、自分さえ良ければ周りが不幸になっても平気な人たち。

こういう人たちは生きづらくなってくるよ、これからの時代。
どんなに苦しませても、わたしは復活し、輝く時代になったのだから。そして周辺の人をダメにしている人は、居場所を失う。

だからわたしは毎日、壊されたものを治し、捨てられたものに気づき涙し、感情や現状をメモし、作業を再開し、作品を完成させる。

ごきげんになるためには、感情のメモを取り続けることからスタートする、と本にあった。

しかし、感情って確かに文章に出にくい。わたしがくやしい、怒っている、苦しい、と感じながら仕事をしていても、文章には反映しない。

実は現代人の大半が、感情を言葉に出来ないんだそうだ。「お腹すいた」「しんどい」は身体の言葉なので、感情ではない。「ほめられる」も他人の言葉なので、感情ではない。

あらためて最近思う感情を書き出してみる。
苦しい、つらい、寂しい、悲しい、うらやましいなどが、家で作業をしはじめる前の感情。

作品制作をはじめるため、対象物を観察。かわいい、おもしろい、ふしぎ、すごい。

作品が完成した。うれしい。かわいい。すごい。おもしろい。楽しい。

この作業のポイントは、感情には良い悪いはない、ということ。

ひとの感情は「そう感じた」事実のみで、それに良い悪いはない。
ここをきちんと意識しないと心が病むのだ。

ありのままの、今の感情を書く。
結果を出さないで。

実はこの感情の中に、心がごきげんになる、楽しく次の作業に移れるものがある。それを探すのだ。

そのために、悲しい、つらい、と書くのを恐れないで。

たくさんつらい感情を書くと、不思議なもので、楽しかった事を思い出す。充実してた時の感情は?

そのワクワクする言葉を探し出し、いざという時に唱える。
楽しかった時の状態に、すばやく帰って来るようにするため。

素晴らしいパフォーマンスをし続けるために、ゾーンに入るために。

外の環境は、パフォーマンスを下げる理由ではない。環境がうるさすぎて、自分の感情を見失うのがパフォーマンスを下げること。

日本語は英語と違って感情をストレートに言葉にする機会が少ない。
しかし、ゾーンに入れる方法さえあれば日本語でも充分。その人なりのやり方を見つける過程で、良かったことを見つけられる。

って、わたしもここまで理解するのが大変でした。
「自分のとらえかた次第で、今起きてることの印象は変わる」とは言われてたけど、目に飛び込む情報がイヤすぎて、変換が追いつかなかった。

目の前の情報も、劣悪な言葉も、わたしではない。
わたしは今やるべき事に集中し、楽しかった時のことで周りを満たせばいい。そして、皆を喜ばせるモノを作ればいい。

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