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先生になるために受けていた講座

昔から編み物をしていた私は、いつか資格がほしいなと思っていました。

それで、イラスト関連の仕事がなくなってフラフラしていた時期、突然編み物をもう一度習いたくなり、当時仕事場に近かった大阪のヴォーグ学園という老舗の学校へ。

歩いていて突然申し込んで、夕方には京橋へ行っていた。なんだったろう、あの行動力。

習ってわかったのですが、我流と教室で習った人との作品の差が凄かった。早いし、目も綺麗、仕上げもバッチリ。

小学生から編み物はしていたけど、作品の仕上がりまできちんとしていなかった。

テディベアを習いに行った時もそうでしたが、写真ではワタの詰め加減がわからない。ここまでガチガチに詰め込まないと、かわいくならないとは。(例えて言うなら、野球の硬球くらいガチガチ)

この差は編み物にはもっとあり、編み地の差だけでなく、端の処理、そもそも編む量を割り出すための製図やゲージ、素材の選び方、などなど、習っているとないとで、すぐわかるほどの違いを、教室で数年叩き込まれました。

結局講座は最後のカリキュラムに。講師になるための講座、と銘打ってあります。

私は講師目指してはいませんでしたが、講座がそれなので容赦なし。
一番の違いは、人の前に立つことと、黒板に大きな字で文字を書くことでした。

これが難しいのなんのって。
製図を黒板に書いて用意するといっても、みんなにみえるよう大きく書くことが、マラソンしてるかのようにきつかったとは。。

すらすらと黒板に字を書いてる先生がいかに凄かったのか、今更ながらわかりました。。

あとは人の前に立って先生の代わりに講座をすすめることを、交代でさせられました。

声の張りとかもチェックされる。
顔の位置とか、生徒さんが何してるのかなど、きめ細かい指導。
言われて気づく、自分がどう見られてるか。指摘されるたびに顔が真っ赤になるレベルです💦

考えてることは、ほとんど見えてしまっていることに気がつきました。

店員してたから、人の前に立つことには慣れていたけど、人を指導するのと商品を売るのとでは、立ち姿が全く違う。
指導では自分の姿は隠せない。

全身を見られて堂々と喋ることが、全く違うスキルだった。

オンライン時代になって、どちらにしてもそれを出す機会などなくなってしまったのですが、どなたかが、そういう部分はSNSにこそ出せるとおっしゃっていた。

うーん、うちらの世界でアー写で活動してる人はほぼいないけど、どこでどう表現するのか?

なんでも、SNSは書き手がみんな講師のように立っているようなものなんだとか。???

そう「見られている」意識をして、発信していった方が人は集まるとの事。

今ひとつ、私が書いてて噛み砕きそこねてます。実際プロフ写真の画像とかプロフいじりましたが、どこをどうすればいいのやら。

まだ試行錯誤の日々。
波に乗る必要はあるみたい。SNSは集客手段の1つなのは間違いない。ならそこを工夫して、自分が際立つようにする、のか?

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