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ネットにまた撃たれる
カウンセリングの日が近づく。この間まで、わくわくしてたのに。この数日は
「どうしよう、どうしよう」と頭を抱えている。
わたしのイヤなことを言われたらどうしよう。
受け入れられないことを言われたらどうしよう。
戦うことをやめろ、と言われたらどうしよう。
パニック障害の予期不安か。
自己受容をネットで検索したら、現状で出来ないこと、叶えられないこと、あきらめるしかないことはあきらめるワークがあると書いてあった。
あるがまま受け入れる、いいも悪いも。だけど、絶対に受け入れたくないことがある。
わたしを操作したり攻撃したり、わたしの仕事場を奪ったりしている人が、今までの蛮行が世間にあらわにならず、罰せられることもなく無罪と認められてしまうことだ。
その人が望んでいることをそのまま受け入れたら、わたしはここから出ていかないと、地球上のどこにもない、実家に帰らないといけないと。わたしはしなないといけない。
そのことを考えるだけで、体が震えて、涙が止まらず、しばらくなかった「しにたい」「消えたい」と思うようになってしまった。
望んでいる通り受け入れることは、わたしがこの世からいなくなることなのだ。
自己受容は暴力や蛮行も許すんですか。
暴力被害者の自己受容について書いてる人はいない。なんて無責任なんだ。
しんでしまったら、そもそも受容させる意味などない。今時、この手の検索をしてる人の大半は、被害者だ。設置者は自分のコンテンツで儲けることしか考えてないのか。
ネットの記事に、わたしの心は銃撃された。
わたしは現状を認めてほしいのだ。わたしの望みは20年前決意した、ハンドメイドで生きていくこと。それが全く許されないから、作品を作るたびに、これでもかとわたしを追い詰めてくる。やめろ、やめろと常に言う。警察まで呼ぶくらいだ。
この数日で、いっきに良くなっていた症状が悪化し、絶望感で頭を抱えてのたうち回るようになった。今までは見たことがなかった、まるで別人になるようになった。
考えてみれば、ありのままが素敵なら病気になってないだろう。
自己受容できていない人に受容してもらうためには、カウンセラーの手腕で、どこをどうするか、調整するようだ。
つまり、自己受容の手順をそのままブログに載せると、患者に不適切な言葉を浴びせてしまうことになる。安易にアフェリエイトブログにしてしまうと、傷口に塩を塗る。ダメブログのいい例だ。
自己受容はカウンセリング技術としては相当高度な方にあたると思われる。施術中暴れたりなきわめいたり、時に薬で落ち着かせることもあるという。何十という苦しみを乗り越えて和解しないといけないため、病院かネットならzoomなど相手が見える場所で、患者の様子見て施術するのだ。
心が健康な人はメンタルのページなど読んでいないと思うのだ。だから自分を見失っている人の中に、少なからず自己受容がそうとう難しい方もいる。
コーチングで最初にブレを指摘して下さった方は、無理に完全治癒はしなくていい、といっていました。出来る範囲で自分らしくすればいいし、何度も修正をかけていくもの。だと。
同じ自分など、存在しない。本人だって、毎日変わるものだ。
ありのままを受け入れられないのは、そうしないと生きていけないからだ。自己受容をすすめる人に、ありのまま生きられないほど苦しい人生を送っていることも受け入れた上、慎重に言葉を選んで頂くことを提案したい。これも、ありのままなのだ。
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