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過去を包んで、心にも雨が降る。

ここ数日、豪雨のニュースが多かったのですが、こちらは一ミリも降っていませんでした。が、朝から土砂降りです。上の子は泣きながら仕事場へ行きました。。降る時はバケツひっくり返すような降り方。これからの地球って、どうなってしまうんだろう。

昨日、懐かしいビデオを見たので年代とか調べていたんですが、その頃にちょうどパニック障害にかかったんです。発作はきつかったけど、彼女たちが頑張ってる姿に何度も励まされました。この記事とは別にしたいので、語りたいことが山ほどあるので、明日はそっちを書き、今日の記事で悪い方は吐き出したいと思います。

当時、母も病気で倒れてしまって、余命宣言されてました。
さらに毎日の宗教やセミナー勧誘、子供の夜泣き。それだけじゃなく、どうもその時期、すでに家のものから「子育てがしんどいのはお前が悪い」と言われてた。

わたしはホームページに日記を書いてまして、現在は非公開にしていますが、手元に記録が残っていました。こんなにひどい環境にいたから、パニック障害になったんじゃないか?

母はその2年後に亡くなりましたが、発作がひどすぎてわたしは葬儀に参列出来なかったのです。その後もずっと、家のものは何かとわたしの行動に口を出していたことがわかりました。母はまだ若かったし、父のためにも生きていてほしかった。わたしも相当つらい思いをして、ただハンドメイドだけを希望に必死で耐えていたことが、つらつらと書かれていました。

それから15年近くたった今も、ほとんど状況が変わってなかった。

ただわかったことは、母や父の死はわたしに精神的ダメージを与えている。
生きていてほしいけどダメそうだ、っていうのは、ものすごい無力感。なのに近くにいる人間と無力感を共有出来てなかった。ふたりの愛を一心に受けて育ってなかったら、そしてハンドメイドをしてなかったら、今まで耐えられなかったかもしれない。

父が「母の死がきっかけで病院が嫌いになった」と言っていたらしい。そりゃそうだよね。手術したけどすぐに再発したもんね。その悔しさは、わたしにも伝わっていた。

だからお前がみんな悪い、みたいな言われ方されて、反論せず飲み込んでわたしは病魔に襲われた。母のことまでわたしのせい、と思ってしまった可能性もある。

あの当時、今みたいな情報や、本に救いを求めていればもう少し違う方向に考えられたかもしれないけど、今考えてもしょうがない。救いのない15年は、もう終わった。

今のわたしは、当時とはもう違う。まだ落とし込みがきちんと出来てないかもしれないけど、わたしのせいにもしないし、人のせいにもしない。

「ネガティブ」って言葉の意味も、一般的な意味と違うみたい。怒ったり悲しんだりするのは、ネガティブじゃなかった。本当のネガティブは、感情を飲み込んだり、なかったことにしたり他人事にすることだった。

当時の日記から、当時ネガティブだったとわかる。感情を表に出せるようになったので、今はポジティブになった。

そういう意味では、今回古いビデオを見たことで、結果、当時自分が思ってた以上に過酷な状況だった→病気にかかった ことに気づいた。
母の病状の悪化はかなり早かったので、みんな何も出来なかったのです。

当時苦しんでいたことは明らかで、解決策を模索しなかったから、経験が積めず15年も同じことをしてしまった、ことに現在のわたしは気づいた。そしてこのループから抜け出そうとしている。

だが、この際方法として、楽になる言葉を探すのはやめにする。
この間、マニュアル探しをやめる、と言ったばかりだ。

宗教と同じく、スピリチュアル系にも色々あり、依存にならないよう、あくまでも自分の参考書程度にとどめる。

甘い言葉を言う人は、大体裏に目的がある。それはわたしの未来の夢ではない。

結局は自分で目標を立て、行動しないと、現実は変わらない。

今、やるべき事はすでに終わって、わたしは子育ても介護も出来たのだ。全部ではないが、そこにいて、関わったのだ。それを認めない人の話は聞かなくていい。

ハンドメイドで助けられたのも間違いないので、それを認めない人の話も聞かないことにする。

これからは、自分がしたいことを一番に、自分の動きを封じることは後回しにする。行動でしか、わたしを証明するものは、ない。

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