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世界中から日本語教師が集まるセミナーに出たら想像以上に色々な人がいて、不安が消えた

カンボジアの日本語教育では有名なCJCC(カンボジア日本人材開発センター)のzoomセミナーに参加してみました!

一般ルートと全く違った方法で日本語を教えることになった私

今でこそ「日本語教えています」と人に言えるようになりましたが、初めは成り行きでした。ベトナムに住んで1年ほど経った頃に、友人から「知り合いのベトナム人社長さんが日本語を習いたがっている。やってみない?」と言われて、日本語のことよりもベトナム人の社長さんで日本に興味があるという方はどういう方なのか、興味本位で会ってみたいと思い、「やる!」と言ってしまいました。

小さいながらも綺麗な自社ビルの社長室に通され、その後会議室でレッスンは始まりました。渡されたのは「新日本語の基礎」のコピー本。社長さんは全然日本語は話せませんでしたが、この本で社長さんのベトナム人知人は勉強し、技能実習に行って日本語がペラペラになったということで、自分もやってみたいとのことでした。

結局レッスンは社長さんが忙しく、続けられませんでしたが、なぜか私は気に入られて色々なお土産を頂いたり、息子の誕生日プレゼントにレゴを頂いたり、ベトナム戦争以前の貴重な話を聞いたりしました。

素人なのに芋づる式に生徒さんが…2週間で辞める人も2年続ける人も

その後も、「日本語を教えた経験のある日本人がいる」ということで、私が日本人というだけで(海外あるある)日本語を教えることになりました。みな教科書は持っていて、「みんなの日本語」「GENKI」「Japanese From Zero」など色々教科書があるなあと知りました。

Japanese From Zeroはおそらく正規の日本語教育機関から見たら衝撃のテキストですが、こんな考え方もあるんだなあと面白く感じました。いつかご紹介します。

この頃教えていた生徒さんは、ベトナム、フランス、シンガポール、韓国、イギリスの出身でした。私は普段は会社で働いていたので、楽しい国際交流イベント感覚でした。

カンボジアでも副業で日本語を教える

夫の仕事の都合でカンボジアに移ってからも、時短社員をしながら個人で日本語を教え続けていました。最初は「GENKI」を使っていましたが、そのうちカンボジアに進出した紀伊国屋書店でJapan Foundationが出版している「まるごと」を発見しました。

英語のESLテキストのようなレイアウトや実践的な内容に「日本語の教科書もここまで進化したのか…」と感激して、以降「まるごと」中心に教えよう、と心に決めます。

NGO失業で副業が半本業?に

カンボジアのNGOで働いていた時にパンデミックが起き、日本の寄付で成り立っていた事業の先行きが見えなくなって失業してしまいました。

しかし日本語の生徒さんはまだいます。むしろ「仕事が少なくなったので、今こそ日本語をもっと勉強したい。レッスンを増やしたい」と言ってくださいました。その言葉に感謝しながら、今まで何となく教科書通りに進めていたレッスンを改めました。

自分の学生時代の恩師(韓流以前の1990年代に、何とか日本人生徒に韓国語に興味を持たせようと創意工夫した韓国人の先生)を思い出しながら、教科書を読み込んだり文法のスライドを作ったり、関連動画や話すトピックをいくつか事前に用意したり、一回一回のレッスンに無駄がないように、目の前の生徒さんを大切にしようと思いました。

外国での経験ばかり長く、正規の方法で教師にならなかった引け目

こんな感じで、全く未経験から手探りで6年、日本語を教えています。
日本語を教えているというとよく「大学の先生なんですか?」「どこの日本語学校?」と聞かれて、答えるのに躊躇してしまっていました。

私の知っている日本語教師は、日本で国文科などを卒業するか、420時間のトレーニングを積むか、日本語教育能力試験を突破してライセンスを持つかだったので、どれにも当てはまらない自分はやはり日本語教師は名乗れないのかなと思っていました。

CJCCの日本語教師セミナーは、世界から日本語教師が集まっていた

今日参加したセミナーはカンボジア主催ですが、zoomなのでヨーロッパ、オセアニア、日本、東南アジアと色々な国から約50人の日本語教師が集まりました。

驚いたのは、属性も私と同じフリーランス/オンラインの講師も思った以上にいて、自分以外は「学校で教えている教師」で、自分は「外国に住んでいる上にフリーランス」で異端だと思っていたのが完全に思いこみだと分かりました(フリーランスに横のつながりは薄いので、情報が入ってこなかったのですね)。

初めてこれでもいいんだと思った

さて、セミナーに出ていると、意外にも自分がやっていたことが日本語教育全体の向かっている方向に近いことが分かりました。

今教えている生徒さんは、基本的には自分で学習して、ネイティブスピーカーに確認するために私と話すような方ばかりです。私の外国語学習(英語・クメール語)もそのタイプなので、やり方が似ている生徒さんはレッスンが続いています。外国語学習にアプリをどう使うかなど、情報交換もしたりしています。

自分が学生の時(先生はしっかり教えて、学生はノートに取り暗記する)とあまりに違うのでこのやり方は邪道だと思っていましたが、楽しいし自分がラクなのでここ2年ほどはそのスタイルでした。

セミナーでは、何とそれは

21世紀型スキル(AIに代わることのないスキル)

ATC21s

と言われていて、生徒が自立して学習する(自律学習)をサポートするのが新しい教師の役割ということでした。

私の場合は、結果的にでしたが、自己学習する生徒さんがずっとレッスンを続けてくれていて、知らずに新しいやり方?を取り入れていました。驚きです。

理想の教師像に近づかなくてもいいのかもしれない

セミナーの中で

人は長所で尊敬され、短所で愛される

という言葉がありました。私もベトナム時代は、先生と呼ばれるからには完璧に分かりやすく文法を(英語で)伝え、質問にはその場で素早く答えなければならないというプレッシャーがありました。

しかし自分を縛っていた思い込みから解放されて、(大人の)学習者とフラットな立場を作ろうと心がけてみたら、途端に日本語教師は楽しい職業になりました。
大学の先生でも日本語学校の先生でもなく、ライセンスもないモグリ講師と自分を卑下していたのが、まあそういう講師もそこそこ需要もあるし、世界には他にも結構な人数で同じような講師がいたし、このまま楽しく続けていこうと心が軽くなったzoomセミナーでした。

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