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パラレルワールドで生きていく

心に潜っていく夜もあっていいよね。
深く深く。


2021年秋に父が亡くなった。

父のことは『オトン→トントン』と変化を遂げてトントンと中高校生くらいからか呼んでいたので、本当はトントンなんだけど、
パンダみたいになってしまうから文章では父と呼ぶことにしよう。

父がとてもとても大事にしていた猫が亡くなった次の日の早朝に、一緒に後を追うようにして亡くなった。

あの朝の、静かな、金木犀の香るひんやりとした空気を忘れない。

父は持病はあったものの、他のところが良くなくて検査をすると入院してから、あっという間だった。
面会はコロナで出来ないから隣の部屋からリモートでということで、亡くなった2日後に家族で行く予定を組んでいたけれど、それは叶わなかった。

母もそばにいて見ていたので、もう長くないことは直感でわかったらしい。
私と弟に正直に話してくれて、何があるかわからないから伝えたいことは今のうちにと真剣なメッセージがきた。
震える手で、だけど現実味もなく、
ただ急いで想いを伝えた。
言葉ではありきたりになってしまうけど、
なんとなく全て伝わっているのもわかった。


その時がついにきたのか

だけど、もう少しだけ時間はあると思ってた。

そのすぐあと猫のビッケが亡くなった。
猫は20歳で大往生だったので、本当によくがんばったねという気持ちで、悲しさよりはお礼の方が大きかった。
連絡をもらって、母のいる実家に弟とかけつけた。
父はビッケのことを本当に心配していたので、それをこの状況で報告するか?という家族会議が行われ、
自分だったら知りたいよねってところで
家族でスピーカーにして電話をしたのである。
それが最後だった。

あの時、電話して家族で声が聞けたこと
ほんとうに良かったな。

電話を切ったあと、家族全員にメッセージが届く。
ものすごい重いメッセージなんじゃないかと、緊張しながら開くと、

初めてみる長文。

それはトントン秘伝のチャーシューのレシピと鶏皮の煮込みのレシピだったのだ!!!

多分、最後はメッセージを打つのもしんどくなっていただろうに、そんな長文をよく細かく書いたね、、、

父は料理が趣味、、、というより
美味しいものを作って、みんなに喜んでもらえるのが生きがいであったので、
そのレシピは家族はじめ、私たちの友人の中でも定番メニューだった。

そして、それが最後のメッセージだった。
ぜったい、伝えたかったんだね。

母と弟と泣き笑いする。

一旦解散して、次の日の早朝
やっと夜があけたころ。
電話が鳴って
もう直感でわかった。

急いで病院へ向かう。

そんな秋の朝だった。

それからはバタバタで、猫も死んじゃってるから、
わたしが遺体を運ぶんで、、、
ああ、違います猫の方ね!
ってなったり、 

じゃあ一回葬儀場にトントンと向かった後に解散して、私1人でビッケお寺に連れてくから、そのあとまた葬儀場もどって打ち合わせね!!よし、それぞれの持ち場について連絡とりあおー!
みたいな感じで
立て続けにこんなことあんのかー!
と伊丹十三さんの映画の中に入り込んだようだった。

悲しいけど、泣いてばかりもいられないし、
そこまで気持ちが追いつかないし、
決める事がやまほどあるし、
うちの家族はみんなポジティブすぎて
なんか笑えることが起こっちゃうし。

そのあと、ひとりでビッケの火葬に行って、
午後の晴れた景色を見ながら
どんな気持ちなのかよくわからなくなってぼんやりと煙を目で追っていたことをたまに思い出す。
あの時はなんだか時が止まっていたようだった。世界はキラキラと光ってキレイだった。
銀杏の木と広がる山々、高く澄んだ秋の空。

ビッケがトントンを苦しまないよう、連れて行ってくれたんだ。
良くできた猫だったなあ。
ありがとうだよ。
一緒にいると思うだけで、気持ちが全然違った。

葬儀には、少年サッカーの監督を長い事やっていた父だったので、たくさんの教え子や関係者の方々が来てくれた。
コロナ禍だったけど、本当にそのタイミングだけ自粛などが緩和していた時期だったので、みんなが来れたのだ。
本当に感謝してもしきれない。
たくさんの人に愛される監督だった。

いろんなことがバタバタと終わり、
日常が戻ったのはしばらくしてからだった。

父はわたしにとってはスーパーヒーロー。
絶対の味方であり、いつだってとんできてくれる。
そりゃ家族だから色んなことはあるけど、
でもずっとずっと仲良しでした。

わたしは何か失うことに対して小さい頃からすごく敏感で、
いつもどこかで「いつかはお別れがくる」と覚悟を決めながら生きていた。
とくに父に対してはそれが強く、
家を出てからは特に毎回「これが最後かも」と思い、後悔しないように精一杯やってきた。しょっちゅうご飯を食べに行ったし、ライブにもよく来てくれた。
帰る時はハイタッチをして、心の中で少し覚悟を決める。
それは頭の隅で起こる出来事なので、そればっかりに捉えられているわけではないが、
なんとなく切ない作業、少しずつ受け入れる準備をしていくのを人生をかけてやってきたように思う。

だから、今回のことが起こった時に一番強く思ったのが

ついに来たか

だったのだ。

頭で理解することと、心で受け止めることは全く違う機能であって、
しかもそれぞれが複雑に絡み合い、枝別れしているのでほんとうにむつかしい。

父は人のために生きることを人生をかけてやっていたので、これから病気がひどくなって
だれかの世話になることは耐え難いだろう。
そして、最後まで自分で管理して行き切った。
さすが、かっこいい。それでこそトントンだ。
年齢的には世間から見たら早いかもしれないけれど、ちゃんと生き切ったんだ。

わたしはそう受け入れている。

ただ、半分では
もうこの世界にほとほと絶望してしまって、
そのことを考えられない自分がいる。
足元から崩れていく感覚だった。

世界は続いていて、朝がきて、気づくとすごいスピードで変わっていく。

半分の私は準備をしてきたので、ものすごく受け入れているけれど、
もう半分はとても小さすぎて受け止めたら壊れてしまいそうだから、
分厚いフィルターをかけないととても生きていけない。

当時よく思っていたのは、なんでだかよくわからないけれど
自分の体より大きな大きなチョコチップクッキーを食べているような感覚だなーと想像していた。
食べても食べても終わらない。
急にチョコレート部分がでてきて、また一生懸命食べ進めるとまたクッキーにもどる。
なんとなく慣れてくると今度はナッツがで出てきて、かってぇー!こんなもんも入ってんのか!ってなる。
なぜチョコチップクッキーなのかは全然わからないけど、
よくそう考えていた。

人間の脳みそ、感情、心、複雑すぎる。

わたしは無理やりそのフィルターを分厚く分厚くしていって、日常をとにかく送った。

でないと、朝起きるのも嫌だし、ご飯を食べるのも嫌だし、仕事なんて行けるかこのやろー!ってなっちゃうから。

だから半分のやつには「向き合うのやーめた!」っていうのを許可した。

受け入れなくてもいいし、
見て見ぬふりをしてもいいし、
全力で逃げてもいい。

その先に何があるのかはわからなかったけど、生きるためにその選択をした。

今の本当の世界の中ではとても無理だったので、パラレルワールドで生きていくことにした。
ただ、もう半分のずっと準備をして受け入れるぞーってやってる自分と切り離して。
そっちはずっとチョコチップクッキーを今も食べ続けている。
毎日、そのことを考えない日はないし、
そちらに浸ることはいつだってできる。

でもつないでいくために、パラレルワールドがわたしを救ってくれる。

大切にしたいもの、楽しみたいこと、
たくさんあって、それもまた現実で本物のことなんだ。

敬愛してやまないBUMP OF CHICKENのrayの歌詞に今も救われ続けている

「あまり泣かなくなっても
ごまかして笑っていくよ
大丈夫だ
あの痛みは
忘れたって消えやしない」

気づいたら、あの日からは遠くまで歩いてきたけれど、まだトントンへ向けてのメッセージをここにサラッとかけるほどは追いついていないんだ。

だけど、とても幸せで、楽しく生きている。
パラレルワールドの中で、どうせだから
わたしらしく生きていくのである。
明日も。



※個人的な記録です。
文章を組み立てずにつらつらと長文で出てくるままに書かせていただきました。
お読みいただい方、ありがとうございました。

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