見出し画像

【遺跡探訪40】あと少しのところで断念、プラサット・スララウ(Prasat Sralao 12-13世紀)

「東南アジアの美術(フィリップ・ローソン著)」という本を読んでいると、バンテアイスレイの項で、「東南アジア美術の中でも最高峰の様式、バンテアイスレイ様式で現在まで残っているのは、バンテアイスレイとプラサット・スララウの2つの寺院だけ」という記述が気になりました。

プラサット・スララウ…初めて聞きました。ガイドブックにも書いてありません。実はバンテアイスレイにまだ行っていないのですが、地図で調べるとプラサットスララウの方が行きやすいのではないかと、挑戦してみました。先に結果から言うと、道がひどく悪く、あと500mくらいのところで泣く泣く断念したのですが…。

本日のマップ

アンコールワット西を通り、南大門からアンコールトムに入ります。バイヨンを逆時計回りに3/4周して、西大門から出ます。(アンコールトムを通らない方法もありますが、私はバイヨンを見たいので城壁内へ)突き当たりの道をひたすら北上して、畦道へ。

今日の南大門

朝の気温が下がり、26度くらいで気持ち良かったです。国によっては夏休みに入ったのか、外国人観光客も結構多かったです。

バイヨンは日本の協力で修復しているのでした。このボードをじっくり読んだのは初めてです。
先日、アンコール日本人会主催の、バイヨン修復に携わった方によるレクチャーがzoomであり、気の遠くなるような長い期間(クメールルージュ後カンボジアで初めて選挙が行われた翌年の1994年〜現在)遺跡修復のために尽力していることを知りました。

バイヨンは猿が多かったです。一時期全然見なくなったのですが、観光客が増えてからまた猿も増えてきたようです。

改めて、バイヨン。アンコールワットだと、写真で見てもここが第二回廊、ここが第三回廊とわかるのですが、バイヨンは複雑で分からないですね…

西大門から出ました

西大門からアンコールトムを出ました。

ここ、通るたびに阿修羅が3体鎮座しているのが気になります。いつからここにいたのでしょう…本当は外濠にかかる橋の欄干の阿修羅なのでしょうが、なぜか門の内側にいます。

いつの間にか案内板もできていました。ここからもプラサットチュルンに行けます。

外に出ました。最近、来るたびに欄干の修復が進んでいます。ここの修復は上智大学主導なのだそう(バイヨンは早稲田大学だそうです)

アンコールトム を抜けて北上します。ずっとこんな景色が続きます。

こ、ここを入るのですね…

きついです。雨季とはいえ、数日雨は降っていないのでコンディションは良い方だと思うのですが、それにしても道が悪い。トゥクトゥクでは多分拒否される道です。

プラサット・スララウ訪問断念

あの林を抜けるとプラサットスララウがあるはずなのですが、転倒を考えるとリスクが大きく、今回諦めました。バイク・トゥクトゥクはちょっと無理がありそうです。舗装道路まで何かの交通手段で行って、そこから徒歩がいいかもしれません。

アンコールワット正面の道まで戻ってきました。

プラサット・スララウの彫刻は東京国立博物館にあった

改めて家に帰って調べてみると、プラサット・スララウは「コーケー遺跡群」に属し、ジャヤヴァルマン7世の時代に施術院の一つとして建てられたものだそうです(Wikipedia Koh Ker)

こちらに、プラサット・スララウの詳しい情報もありました。

「かなり荒廃していますが、古代寺院に関心がある人にとっては非常に興味深い建築です」とのことです。こちらにも、幹線道路からは自転車か徒歩でアクセスと書いてありました。先に読めば良かった!

そして、バンテアイスレイ様式の美しいリンテルは現在プノンペンの国立博物館に展示されており、一つは現地に埋まっていて、一つはなんと東京国立博物館で展示されているそうです。

東京国立博物館の東洋館で展示されているリンテル

そのための、東京国立博物館の東洋館なのか…と考えると、感慨深いです。建築を学んでいた学生時代に、東洋館の改修という課題がありましたが、当時は展示品に関してはさほど知識がなく、本館の華やかな企画展に目を奪われていました。

そしてその頃聞いた話で思い出したのは、「子供時代を大都会か田舎で過ごした人は強い」ということで、それがどういう意味だったのか森の中の遺跡に通うようになって実感しています。知識(都会)か体験(田舎)かどちらかを持っていることが、大学教育のような高度な教育を受ける土台となるのだな、と感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?