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【遺跡探訪86】番外編・タイ国境バンテアイチュマール(Banteay Chhmar 12-13c)

長い間行きたかった、バンテアイチュマールにツアーを使って行くことができました。

こんなに日本語ガイドブックと英語ガイドブックの評価が分かれている遺跡はありません。
「地球の歩き方」を読むと、事故・地雷・治安の悪さなどでシソポン経由でバンテアイチュマールへ行ってはいけない、バンテアイチュマール周辺も地雷が相当数あり、治安が悪いと書いてあります。読むと普通の人が行くのは無理だなと思います。

一方で、Focusing on the Angkor Templesをはじめ、英語のガイドブックやサイトを読んでいると、ジャヤヴァルマン7世時代の黄金期の魅力に溢れたバンテアイチュマールは、一度は行くべき遺跡のような気がします。

長年クメール語を習っている先生方の中にシソポン近郊の出身の先生がいること、今年の初めにシソポン経由でバッタンバンに行って、実際シソポンの街を見たことから、ツアーを使えば行ける、と思い始めました。そして機会があったので迷わず参加しました。


本日のマップ

シェムリアップを朝7時に出発、到着したのは夜9時でした。

まさかのカメラ忘れ

ぎゃー!集合場所に向かうトゥクトゥクの中で思い出しました。充電して家を出る時にかばんの中に入れようと思ったFujifilm X10をそのまま忘れたのでした。あんなに楽しみにしていた遺跡でなぜ…。今日は全てiPhoneで撮ろうと覚悟をしました。

言い訳としては、次の日に早朝5:00にアンコールワットに集合するマラソンがあり、この遺跡ツアーとアンコールマラソンの支度を同時進行でして物が多かったということなのですが…それにしても悔しい…ですが行けただけで良しとします!

バンテアイチュマール到着

遺跡の環濠の外でランチを食べた後、遺跡正門に到着。

カンボジア人観光客を乗せています

十字テラス前では、牛車が家族を乗せている姿がありました。

バンテアイ・チュマール
年代: 12世紀末~13世紀初頭
国王: ジャヤヴァルマン7世
宗教: 仏教
見どころ: 午前中に東側の浮き彫りを見てから、寺院を訪れると良い。西側の浮き彫りは昼12時以降に見るのがベスト。

Banteay Chhmar (បន្ទាយឆ្មារ)
Date: Late 12th- early 13th century.
King: Jayavarman Ⅶ
Cult: Buddhist.
Best seen: Visit the eastern bas-reliefs when you arrive in the morning, then visit the temple. The western bas-reliefs are vest seen after 12 PM.

Focusing on the Angkor Temples

発掘されたばかりのナーガに乗ったガルーダ

たった10数年前に地中から発掘されたのだそうです。この位置(十字テラスの欄干の先端)は大抵ナーガの彫刻がありますが、ガルーダが乗っているのは珍しいです。

細部まで美しいです。ナーガは必ず奇数なのだそう

あ、でもバッタンバンのプノンバナン(ワットバナン)ではガルーダが乗っている気がしました。写真探してみよう…

あった!やはり、ガルーダがいました。

ワットバナンのガルーダとナーガ

アンコール遺跡群から少し離れた場所になるとガルーダが現れるのでしょうか。

写真を探していたら、ベトナムの博物館にあったチャンパの彫刻の写真も発見しました。チャンパ遺跡・アンコール遺跡初心者の頃はお互い似ている気がしていましたが、こうやってアンコール様式に慣れるとチャンパの様式はかなり違ったものに見えます。

丸みを帯びていて可愛い

両方とも詳しい方がいたら、ぜひ話を聞きたいものです。

このテラスや奥の西塔門は修復後であるものの、だいぶ石材が散乱していました。

とんでもない完成度のペディメントが床に置かれています。上部のアプサラがはっきりと残っています。プリヤ・カーンやタ・ソムでも似た浮き彫りがありますが、桁違いに状態がいいです。

シェムリアップ近郊でここまで状態のいいペディメントは無い

西塔門の崩れ具合はかなりのものです。

いちいち彫刻にため息が出ます。

こちらも素晴らしいリンテル。中央には非常に珍しい、ブラフマーなのだそうです。

左はブラフミン(バラモン)がハープを演奏している。

ガイドブックを見ても、「残念ながら顔の部分は盗まれてしまった」という記述が非常に多いです。1990年代に組織的な窃盗集団により彫刻が剥ぎ取られてしまったのだそうです。

ちなみに、バンテアイチュマールはかなり広い遺跡(700m × 600m)であるものの、空中回廊のような橋が東から西にかかっていて、進行方向は一方向なので、寄り道はできません。最近のベンメリアのようです。

デヴァターもありますが、近づけません。

顔の部分が残念ながら剥ぎ取られています。

アンコールトム、バンテアイ・クデイ、タ・ソムと同じような四面仏が見られました。ジャヤヴァルマン7世時代の遺跡に多いです。四面仏、デヴァター、美しいリンテル・ペディメント、壮大なレリーフ、といいとこ取りの遺跡です。

レリーフへ

さて、内部を堪能した後は、待ってました!第一回廊外側のレリーフです。バイヨンの巨大なレリーフと非常によく似ています。

地元の人により祀られています
牛を食い荒らす怪物(どうしてこのレリーフが地元の人に祀られているのか謎です)

乳海攪拌のレリーフ

ヒンドゥー教で世界の始まりの話である乳海攪拌は、さまざまな遺跡にあるモチーフで、特に私はアンコールワットとワット・プリア・エンコサイのものが好きです。こちらにもありました。

ちょっとケチをつけるとしたら、修復の際の石の色が揃っていなくて、モザイク状になってしまって残念です。これは、この遺跡がアンコール遺跡群(ユネスコ世界遺産)には入っておらず、地元の名士の個人資産で修復したものだったからとのことです。カンボジア人が自力で修復したとして、地元の方には心の支えとなっているようでしたが、やはり国際サポートは必要だろうなと感じる場面でした。

と、思ったらニュースでバンテアイチュマールが世界遺産の登録目前との記事を読みました。2024年中に登録資料が揃うとのことです。

また完成度の高いペディメントを発見

千手観音のレリーフ

バンテアイチュマールの見どころといえば、観世音菩薩(千手観音)です。この一番左の千手観音は、周囲のメダリオンが特徴的です。

こちらは一度は盗まれかけて、1998年にバンコクへ向かう途中で窃盗団が逮捕され戻ってきたという千手観音。1998年って最近じゃないですか…(年齢バレる)
パリ協定からまだ数年、タイ国境近くで地雷も埋まっていて、無秩序だったのだろうと思います。
びっくりするような美しいペディメントが無造作に置かれています。
無い部分(盗掘?)には木片が挿入…観光客として身近で見られることは嬉しいですが、これ以上の盗掘に遭わないように願うばかりです。
内戦で敵の頭を二体、指導者に差し出しています。この戦いはバイヨンのレリーフに描かれたものだそうです。
至る所に巨木が生えています。
クリシュナが神を何度も侮辱したシシュパーラ王を殺そうとしている場面。クリシュナは、今読んでいる「マハーバーラタ」に出るクリシュナ?と思ったら、その通りでした。インド神話、訳がわからないのですが、アンコール遺跡を理解する基礎となるのだなあと感じます。

チャンパとの戦闘のレリーフ(今日のメイン)

個人的にはこちらが私の今日のトッププライオリティでした。カンボジアの遺跡ではバイヨンとバンテアイ・チュマールの二箇所しかない、チャンパとアンコールの戦闘場面のレリーフです。

チャンパ(ベトナム中部 Mỹ Sơn遺跡)は二度、2004年と2017年に訪れました。私の遺跡好きの入り口は2004年のチャンパ遺跡の彫刻で、チャム彫刻博物館に感動し、初めてアンコールワットを見ることになった2018年までの14年間はチャンパ好きだったのです。(そんな趣味の人は当時周りにいなかったので、ベトナム在住時は徒歩圏内だったホーチミン歴史博物館に一人で行き、チャンパコーナーに何度も訪れていました…)
というわけで、チャンパ14年 & アンコール6年と、推し歴は実はチャンパの方が長いです。

2017年のチャンパ遺跡(ダナンから車で1時間くらい)

今こうやって改めてチャンパ遺跡の写真をみると、時代が明らかにアンコール遺跡(9-13世紀)より古く、カンボジア中部のサンボープレイクック遺跡(7世紀)の方が似ています。

めちゃくちゃ話が外れてしまいました。そんな訳で、個人的には「アンコール(カンボジア)は身内だが、チャンパ(ベトナム)も身内」の感覚があるのです。その二つの民族がトンレサップ湖で正面から激しく戦ったこのレリーフを見逃せるはずがありません。

バイヨンと同じく、ヘルメット風のものを被っているのがチャンパ軍
振り返っています。

シェムリアップ川でしょうか。ウェーブがかった川の流れと魚の描写がとても素敵です。アンコールのレリーフに特徴的な木の表現方法も、熱帯らしくて好きです。

アンコール側
チャンパ側
アンコール側
ジャヤヴァルマン7世なのだそうです。
あれ?座禅を組んだあのカッコいい像(プノンペン国立博物館蔵)とはだいぶ違いませんか??涅槃仏的なイメージ?
頭に何も被っていないのがアンコール軍。バイヨンの仏面を思い出す、穏やかな顔つきをしています。
はげしく戦うチャンパ軍。船から落ちた人がいたり、水の中にワニがいたりします。
水に髪の毛を流される

かなりバイヨンのレリーフと近いです。

すごい筋肉
バイヨンの方はロープが張ってあり近づけませんが、ここは間近で見ることができます。

バンテアイチュマールのバライ

さて、一旦遺跡を離れてミニバスに乗り、バライ方向に向かいました。バンテアイ・チュマールには東にバライ(人造湖)があるのでした。

iPhoneの電池の残りも危ない。持ってきたパワーバンクも何故か使えず焦った…

こちらでも、ガルーダとナーガの彫像が出土されて、テラスを再建したそうです。

非常に美しいシンハ。お尻プリッ

テラスの横には橋があり、中央の島まで歩いて行けます。
この時はバライに水がなかったので、水牛が歩いていました。

到着。長い橋を渡って中央の遺跡に着くのは、ネアックポアンのようですね。

かなり崩れていましたが、バンテアイチュマールと同時代の様式を感じました。

シソポンで夕食

帰りのシソポンで早い夕食を食べました。鍋です!
日本から東南アジアに来たときは「暑い中、よく鍋を食べられるな」と思っていました。しかし慣れてくると逆に「暑いのに冷たいものや喉越しのいいものばかりだと、栄養がなくて体が弱りそう」というイメージが自分の中で出来てきました。

スープは出汁が効いていて、さらに好みで甘いor辛い(または好みで混ぜる)ソースをつけて食べます。

想像以上に美味しかったです!というのも、バッタンバンに行った時に気づいたのですが、この辺りは食材の一大産地なのですよね。特に野菜が美味しく、たっぷりいただきました。そういえば、ノムクロラーン(竹筒のおこわ)も実はシェムリアップよりもシソポンの方が美味しいなと、バッタンバンに行く途中で思ったのでした。

10年前の地球の歩き方では「ここで車を降りてはいけない、滞在してはいけない、タイまで一直線で行きなさい」と書かれていたシソポン。昔の旅行記などを読むとおどろおどろしい話も目にします。
実際行ってみると普通のカンボジア地方都市でした。ツアーのため守られていたか、地元出身者がいたからか、たまたまラッキーだったのかもしれません。とはいえもうカンボジア7年目、ガイドブックを書いているライターより長く住んでいるかもしれません。情報と自分の感覚のバランスを取っていきたいと思いました。

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