シングルマザーの暮らしぶりとお金のマインドセット
文章講義の講師がZoom講義中に質問してきた。
「Nancyさん、文章から未婚のシングルマザーってわかるけど、あなたいったいどんな人なの?中流なの底辺なの?」
え・・・
「上流」は初めから・・・はずされている・・・だと!?
とまず、心の中でツッコみ、まぁ上流ではないわな、と納得したうえで質問された意図を考えてみた。
4月からオンラインの文章講座を始めた。
子育て以外に新しいこと始めてみたかったからと、アウトプットの場を強制的に作りたかったからだ。
私の文章からはシングルマザーになった経緯や、どんな思考の持ち主かなどはわかるが、暮らしぶりがまるで分らないと。
謎めいた女というコトだろうか。(違う)
そんなこんなでどこに需要があるかわからないが、私の暮らしぶりと、シングルマザーになるにあたって私のお金のマインドセットの仕方を書いてみようと思う。
シングルマザーになった経緯はこちら。
現在3歳の息子と2人暮らし。
住まいは2K(30平米)の木造アパート、確か築45年ほど。
東京都内、私鉄のさびれた駅から徒歩11分。
外観は昭和ハウスと自分でも呼んでいるが、内装はリフォームされていて普通の洋間である。
家賃は・・・・あまり言いたくないのだが、片手で表せる。
恥ずかしいくらい、とても安いのである。
冒頭の文章講義の講師が「都内で一番住んではいけない」という葛飾区。
The下町でご近所さんも優しく、住みよいまちだと思うが、言わんとすることはわかる。
葛飾区に引っ越しするとき、もう本当にこれからどうなるかわからないから、とにかく安い家賃のところを探した。
優しいアパマンの恐らく社会人3年目くらいのかわいい女性スタッフが、私をかわいそうに思ったのか、一生懸命安いアパートを探しまくってくれた。
こんな安い家賃希望なのに彼女の一生懸命さに感動して、事後のアンケート(本部に行くやつ)にめっちゃ誉め言葉を書いておいた。
引っ越してすぐに、両隣と上の階にお菓子をもって挨拶に行った(私は1階に引っ越した)。
左隣のおばあちゃんは80歳くらい(しばらくして老人ホーム的なところに移った)。
右隣のおじいさんは70歳くらいだろうか。
上の階のガテン系お兄さんはちらっとドアから見えた部屋の中が黒くて汚すぎてビビった。
きっとこのアパートはゴキブリの王国だ(実際出た)。
そして、数年のうちにこのアパートから老衰で死者が出るに違いない、と思った(実際出た)。
引っ越ししたのは妊娠7~8か月目くらいだっただろうか。
その後切迫早産で1か月入院し、退院して1か月後くらに昭和ハウスで陣痛が来て、無事出産した。
産後の体調が不安だったため、九州にいる母にお願いし3週間ほど来てもらったが、私の昭和ハウスを見て「あんたもここまで落ちてしまったのか・・・」と本当に悲しそうだった。
ただでさえ娘が未婚のシングルマザーになったのに、こんなに落ちぶれた家屋に住むとは。
母は私が結婚してタワマンに住んで、高級車に乗り回しリッチな暮らしをすると信じていた。
母よ親不孝で本当に申し訳ない。
まだ結婚届を出さず一切会話しなくなった元パートナーと一緒に暮らしているとき、シングルになると決めるために、私は自分の背中を押す材料にとシングルマザーに関する本を読み漁った。
当時の読んだ本はこちらの写真。
これらを読んで最悪売春もあり得るのでそこは回避するべく生きていこうと決める。
底の覚悟も一応したうえで、シングルマザーも様々であることを理解する(「シングルマザー=すべて貧困」、というわけではない)。
幸いにも私は正社員で働いており、産休育休中も育児休業給付金が振り込まれている。
復職後も時短にはなるものの、なんとか会社に貢献して辞めさせられるということがないようにしなければならない。
子供が大学に行くまでのシュミレーションをし、自分の貯蓄や保険の見直しをし、まずは自分の収支を徹底改善した。
妊娠前は普通に社会人生活を楽しんでいた。
家賃は1Kで8万円、快速が止まる駅徒歩5分。
食費は外食も多く月5万円は超える。
シーズンごとに服を買い、靴や下着も羽振りよくポンポンよく高いのを買った。
年間50万円以上は被服費に使っていたのではないか。
洗顔や化粧水もこだわりのもの。
営業だったころはバレンタインチョコレートを4-5万円分お客様や職場の人に配っていたことも。
値段を気にして普段の買い物をすることはなかった。
しかしシングルマザーとなり、私は一切の無駄を排除した。
10円レベルで食費を削り、見切り品を求め安いスーパーを渡り歩く。
化粧水を使わないことにしたら顔がひどいことになったので最低限のケア用品のみ。
服はユニクロ。
というか服も靴もよほど必要性が出ない限り買わなくなった。
ティシュペーパーでごみを拭きとるのも、2枚重ねてあるのを1枚にはがし使うほど。
会社に復職後、以前は外食だったランチも弁当に切り替え、月の食費は息子と二人で2万円前後に。
4歳近くなり食欲も増し、お菓子も食べるため今は3万円弱というところか。
時短は2時間減だったので、8分の6の収入となり、意外と応えた。
収支が毎月赤になり結構焦った。
もちろん残業もできないし、副業するような余裕もない。
ボーナスを足すと年間でマイナスになる事はないが、今後何が起こるかわからないからとにかく切り詰めた。
4月に時短で復帰し、8月には早々にフルタイムに戻す。
朝7時半に保育園に預け、夜7時半に迎えに行く。
目まぐるしい毎日に追われる。
そんな暮らしを3年ほどすると収支がしっかり把握でき落ち着いたため、焦る必要はないと考えれるようになった。
物欲が一切なくなった今、一番の幸せは息子と楽しい時間を過ごすこと。
それにはお金はあまり関係なかった。
見栄やプライドは昔からあまりないので、住居に対しての恥ずかしさはまるでなかった。
遊びに来た友達や同僚は、昭和ハウスを見て唖然とし、「シングルマザーだからしょうがないよね・・・」と勝手に私を励ましていた。
戸建ての家でかわいいわんこを買っている保育園の息子の友達を少し羨ましい(ペット欲しい!)と思うが、ボロアパートで貧乏でもサイゼリヤを食べながら、「幸せだねーおいしいねー」と息子と二人でにっこりできる心の余裕がある。
かわいい息子の成長を見ながら毎日不便なく暮らせる、それだけで本当に幸せだ。
幸せってお金じゃない。
強がりではなく、お金と幸せがイコールじゃないと理解できると、その中で幸せを感じることができる。
そして、そのマインドを持って、どんな境遇でも生きている気がしている。
お金に対しての価値観を変えたもう一つの気づきは、老後のために貯める必要はないと思えたことだ。
自分がたとえ100歳まで生きるにしても、年を取ってから海外旅行に頻繁にいく体力あるか?フレンチコース満腹食べられるか?
それより、今お金を使ったほうが身体も動くし美味しいものもたくさん食べれる。
もちろん健康な年寄りではいたいが、今40~50代のうちに息子とたくさんお金を使って遊んだほうが幸せなはずだと思えた。
自分の老後の費用が心配。俗に言われる2000万円問題。
それらの不安がなくなったため、今を楽しむ余裕ができた。
老後も何とかなるように考える必要はあるが、根拠のない不安から老後のためにお金を節約してためるのはやめた。
あと、子供を産むまで全く知らなかったが巷では中学受験が流行っている。
中学受験のために幼稚園受験もするらしい。
私はそういった親の異常さ(失礼)を息子が赤ちゃんのうちに客観的に知ることができたため、子供のうちはのびのび過ごせるように塾などはあまり考えないようにしようと考えた。
というかお金ないから塾とか私立とか無理だわ、とあきらめているから、初めから高校までは公立で大学も家から通える国立を狙ってほしいと願っている。
親が子供の将来への道を作るというより、自己責任で自分の未来をもぎ取ってほしい。
(もちろん親も責任放棄ではなく、やることはやってあげるが)
まとめ
①シングルマザーの現状を書籍から全体把握し、理解したうえで踏み切る。
②収支を把握・改善し、生活していけることを確認する。
③老後にはお金は使わない。今の自分と息子のためにお金を使う。
④子供の受験・学費などは用意しない。自力で頑張ってもらう。
⑤幸せとお金は直接関係ないと理解する。
非正規雇用の場合や多子世帯のシングルの場合はそう悠長に言っていられないとは思う。
ただ、周りと比較してしまうときりがない。
相対的に幸せを測るのではなく、自分の中での絶対的な幸せをもつこと。
これは貧困・裕福関係なく必要な軸ではないだろうか。
これから息子が小学生になったらまた状況は変わるかもしれない。
自分は周りの友達より貧乏だと気が付き母に文句を言うだろう。
しかし、住生活は切り詰めているが、心の豊かな子供に育ててみせよう。
あぁ・・・。
現状に満足してしまっているので、憧れの上流、世田谷区は程遠いです、講師の先生。
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