デジタル社会の行き着く先にある虚無

いまどきの若い子の部屋には我々世代には欠かせないある物がない。
それは棚。本棚、収納棚。
なぜなら、本は読まないか電子書籍、雑誌はdマガジンなどの電子書籍、音楽はストリーミング、映画はオンデマンド配信、さらに学校や会社などもペーパーレス化で紙を配らないので本棚みたいのが無い。

これは結構衝撃的で、ゲームもカートリッジ版買わずダウンロード版を買う。のでパッケージも置かない。
つまり棚はスマホのアプリ無いにあるライブラリがそれになったのである。
それにより、部屋には洋服を入れるクローゼットだのタンスくらいしかなく、オタクでもない限りモノがない。

物がないならモノをしまう家もいらないので家も買わずに借りる。車も借りる。ベビーカーすらもレンタル。しまいには家電もレンタルでカメラとかまでレンタル。あらゆる物がレンタルで借り暮らし。
その価値観によりモノを持つということは基本的になく、あえて持つならそれは意図して持っているということになっている。
例えば写真を印刷することは我々世代には当たり前だがそれは我々世代にとってそれが当たり前だっただけで、若い世代は現像なんてしない。携帯時代から撮ったら端末で見たり送ったりするのが当たり前で現像しない。だからプリクラとかを面白がって撮ったりする。なんでスマホでただで自撮りできる世の中で金かけて写真撮るんだろう???って感じだろうが、彼らには撮った物が印刷されてシールになったりすることは面白いことらしい。価値観まで変わってしまうのだ。まぁ次はスマホもなくなって子供みたいに腕時計で電話したりするんだろうな。そうなるとスマホみたいのも珍しいとか言い出すんだろうし、まったく時代の変化が激しすぎるよ。

我々世代が何たって良かったのはそういうのとは無縁の世界で子供時代を過ごせたことだ。時間の流れはもっとゆっくりだったし、今みたいにせわしなく生きてなかった。電車でみんな本を読んだり新聞を読んだりしていた時代だ。

私は回顧趣味的なノスタルジーに浸ってるわけではないが、そのアナログな世界の良さが無くなってデジタル一辺倒になっていることに危機感や危険を感じる。物がなくなるとかペーパーレスっていうのは、そんなにいい話ではない。
例えば音楽がストリーミングとか映画もオンデマンドであるので常に見れると思ってるかも知れないが、かなりの映画のみオンデマンドも配信が終了していたり音楽も聞けなくなっている音楽もいっぱいある。
だが、音楽や映画といった物は人間の思い出であるので全く同じでないと意味がない。デジタルリマスターみたいのとかリメイクみたいのでは当時の感動は蘇らない。

実は記憶と物とはセットであるのでその物がないと記憶は蘇らない。若い世代はその物を持たないことによって、あとあと思い出を振り返ろうとしても、物がないので振り返れない。

話が長すぎたのでそろそろ結論をいおう。
我々がレトロゲームをわざわざ実機とROMを手に入れてまで得たい物はなんだろうか

それは決してリメイクでは得られない、ゲーム体験は当時と全く同じでないといけない。だから当時の機械とカートリッジが必要なのでは?
その意味をよく理解している我々世代はレトロゲームを買って思い出を取り戻している。若い世代は果たしてどうするのだろうか?


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