レディ・バードとクリスティン

映画『レディ・バード』を観た。

青春というより、思春期の、または17歳の映画だった。

あの時期特有の、自分から遠いものほど信じたくなるあの現象は、きっとアイデンティティ形成の裏返しなのだろう。自分の差別化をしたいがために、親を否定し、それまでの友達と別れ、地元から離れようとする。そうして自分の構成要素をつぶさに評価して、やがて自分を信じられるようになる。

劇中では、クリスティンがレディ・バード(自分でつけた愛称)になり、やがてクリスティンに戻って行くまでが丹念に描かれている。レディ・バードをきちんと全うしたクリスティンは、きっと、きちんとクリスティンを生きていけるだろう。そして、レディー・バードだったことは、きっとその支えになるはずだ。

僕の場合は、レディー・バードを引きずっている状態と言えよう。
露骨な反抗期がなかったせいで親の子離れができていない。
誰とも深い関係を気づけていないような気がする。
自信がなく、なりたい自分もなく、でも今の自分は違うという思いだけがある。

最近は、さすがにそんな自分も受け入れなくては、と思っている。変化を焦っても仕方がないし。
青春が終わらないように、思春期だって終わらないと信じよう。
いつか、自分を信じられるようになる日が来るだろう。
それまでは、車から飛び降りる覚悟と、自分の好き嫌いに従う心を持っておこう。

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