「出来る事をすれば良い」 その言葉は正しい

MOROHAが「主題歌」を投げ銭リリースした。
Youtubeでリリックビデオが公開され、オフィシャルHPで音源もDLできる。

この新型コロナ禍で、作品に対価を支払う機会の尊さを再確認した。

だから、この新曲に対して、お金を払えるのが嬉しい。

今の僕にできるのは、価値あるものに正当な対価を払うことだけだから。


この記事のメインはここまで。
以下、些細な覚書なので、「主題歌」と投げ銭に戻ってほしい。


MVのコメントにあった、アフロ氏からのメッセージに思うことを書きたい。

俺達はこの曲で失いかけた生業としての音楽を取り返し、真っ当に金を稼ぐ。
ただコロナ禍、それぞれの経済状況が違う中で一律の値段を設定する事は今回はしたくなかった。
だから俺達はこの曲と投げ銭箱を持って路上に出る事にした。

在宅支援として、多くのミュージシャンやアーティストが作品(主に映像)を無償提供してくれた。
それ自体は嬉しかったが、長く続けば無償で享受できることが当たり前になってしまうのではないかという恐れがずっとある。

価値のあるものを無償で提供することには弊害がある。

1. 受け手が無償で享受することに慣れてしまう
Youtubeでライブを観ることに慣れてしまえば、いつまでもYoutubeでライブ映像を探し、違法アップロードされた映像を観る人はいるだろう。お金を持たない学生を中心に、そんな行動を続けてしまう人が増えてしまうと、結果的にアーティスト自身の首を締めることになる。

2. 体力勝負になってしまう
無償コンテンツでファンを楽しませるという行為は、手持ちのコンテンツが潤沢で、かつ財力的に余力のあるアーティストにしかできない。
多くのアーティストが無償提供してくれた結果、動画サイトには24時間起きていても鑑賞しきれない量のコンテンツが溢れた。そうなると、どうしても、結果的に、可処分時間の取り合いが発生して、新規発掘に使う時間は減ってしまう(ここは完全に個人の感覚)。
これからのアーティストが、打って出るチャンスが減ってしまうのではという恐れがある。
(ちなみに、外出制限下でストリーミングの再生回数が減ったという記事のなかで、「TOP200の再生数が減った」原因の候補として、201位以下の曲の再生数が増えた可能性も挙げられている。)

3. 業界内で収入が偏ってしまう
観光業では宿泊施設や交通手段だけでなく旅行代理店も厳しい。
音楽業界でいえば、ライブハウスやプロモーター、アーティストを支える様々な職種の方々の状況も察して余りある。
それぞれの仕事の価値が再考される契機かもしれないが、そんな市場原理を語る間に、今現在その職に従事している方々の生活が脅かされているのは事実。

今回、まざまざと見せつけられたのは、(日本)社会における文化的なものの地位や優先順位の低さだ。
生活が切羽詰まっている時に、文化的なものの優先度が低くなってしまうのは仕方ない。いくら「観たり聴いたりすれば元気になれる」と思っていても、そのために出せるお金には限りがある。

その状況に対して、コンテンツの無償提供をしてくれるモチベーションは、善意だと思う。(もしかしたら、ファンの熱をキープするマーケティング的な狙いもあるかもしれないが。)そもそも、自然災害などの有事の際に真っ先に善意を提供してくれるのがカルチャーに携わっている熱い人たちだ。

そんな人たちが困っているから問題なのだ。
どんな手段でもいいので、お金を集める窓口を持ってほしい。

配信技術の活用スキルが広まってきたこともあり、最近になってようやく、映像作品や配信そのものにお金を払うことができる機会も増えてきた。
映画だと、有料の配信で映画館や配給元にもお金を配分する仕組みが動き始めている。

恥ずかしいけど、今、僕の好きな世界に対して、できることがあるとするなら、お金を払うことしかできないのだ。

外の世界で稼いでくるから、お金を払わせてほしい。

「出来る事をすれば良い」 その言葉は正しい
だがしかし自分自身 出来る事だけをしてきたら
今ここに立っていられただろうか
不可能を可能にするのがラッパー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?