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少年はウルトラのケツで目覚めた

 『ナンブ君出たよー』

骨董の業者市場で荷物運びをしていると、また呼ばれた。

最近はありがたいことに、市場で人さまの書いた日記や資料が出ると呼んでもらえるようになったのだ。

ツイッターなどでも公言しているが、僕の趣味は個人の記した日記や手紙、時には落書きなどの収集である。

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当用日記、手帳、夏休み日誌とか↑こう言うやつ

書き手は歴史的な有名人などでは無く、ごく普通の人で良い。全くもって見せる前提で書かれはいない、市井の人々の生活を覗き見たいのである。

当然そんなモノを好きこのんで買うのは僕しかいないし、他の業者も売りつけるあては無いのだと思う。おかげで出品されたらすぐさま呼んでもらえるようになったのだ。ありがて〜

小躍りしながら見に行くと、そこにあったのは数冊の落書きが施されたノートだった。

大方どこかの骨董業者が、解体前の家か蔵から出してきたのであろう。

こう言う特撮グッズは未使用だったら高いんだけどねーとか言い合いながら、面白げな落書きを期待して落札。

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ウルトラ大作戦、帰ってきたウルトラマン、タイガーマスク・・・どれも人気な子供向け作品が施された、1970年代前半のノートや落書き帳である。

状態はなかなかにジャンク、角なんか齧られてるし。

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もっとも齧ったのは子供ではなく、ネズミだと思います。長年置いておかれた紙モノだとたまにこうなってるんですよね。

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中身はこんな感じ。

ウルトラマン好きなガキが好き放題描き殴ったんでしょうね。当時のガキの興奮が匂い立つよい落書きです。

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これなんか左右対称で良いですね。アウトサイダーアートとして額装しようかな。

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これも良い、偶然であろう濡れにより滲んでいて幻想的ですね。夢うつつで見たウルトラマンという感じ。

とまあどれもウルトラマンの勇姿を描いた微笑ましい落書きだなーと思ってたんですが、どうも残りの1冊の雰囲気がおかしい。

おかしいと言うか、他の落書きノートと比べてかなり異質な仕上がりなのである。

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他のノートより横長で大きいのでダイナミックに描けたのかもしれないが、そう言う手合いでは無さそう。とにかく見てもらいたい。

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表紙裏には何やら劣勢なウルトラマンが、それものそのはずである。

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”マケたマン”

そう、この落書き帳のタイトルは”マケたマン”なのだ。

今までは無秩序に書き殴られていた落書きは、ついに一つのテーマを持って描かれることになったのだ!成長したね。でもなぜ敗北をテーマに・・・?

描き手の成長をほほえましく思いつつ、珠玉の”マケたマン”を眺める。

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踏まれたマン


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巻きつかれたマン

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溶けた?マン

よくもまあこれだけ・・・とマケたマンを堪能していたのだが、あるページで指が止まった。

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ん?

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!?

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!!!???!??!????!?

エロじゃん!

なんとそこには、ムチムチで大きく、そしていやにリアルに描かれたウルトラマンのケツの絵が描かれていたのだ。

ここで一つの話を思い出し、この落書きノートに抱いていた疑問も解消できた。

思い出したのは『我が名は青春のエッセイドラゴン!』(大槻ケンヂ 2004)のテレビ・キルド・ザ・テレビスターと言う章である。

彼はそこで、自分は「ウルトラセブン」で性に目覚めたのだと言う話をしているのだ。(153-157p)

目覚めたのは27話の下に記したシーンらしい。

「登場するボーグ星人は全身が西洋の甲冑のようになっている宇宙人で・・・セブンに馬乗りになって襲いかかる。」

「苦しみもがくセブン。」

「エナメル質の赤いボディーが水に濡れ、それでも容赦のない無表情のボーグ星人。」

氏はウルトラセブンで描かれたSMと、ボンテージなエナメル質にやられたのだ。

ここで改めて落書きノートを見返して欲しい。

数々のマケたマンに、ついにはエナメル質に包まれた肉感のあるケツまで・・・そうか、きっと彼も大槻ケンヂの同士だったのだ。

彼はきっと、ウルトラセブンを見てもやもやとした気分をこの落書きノートにブチまけたのではないだろうか。

そう、これはある少年の性の目覚めを克明に記録したノートだったのだ。

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その後もケツを重視した絵が何枚か続くも、童心に帰ったのか後半ページは癖を感じさせない落書きで終わってゆく。

買ったのは一昨年だったか、もうどの業者が出したのかも思い出せないし、どこから出てきたのか今更聞くのも野暮であろう。この描き手が今どうなっているかは知る由も無い。

でもきっと、彼はどこかのSMクラブで真っ赤なボンテージの嬢王様のケツに敷かれているのではないだろうか。それとも全身真っ赤なタイツを履いて、踏みにじられているのだろうか。きっとそうだと思いたい。

僕はそんな彼の、人生の転換点の証を覗き見ることが出来た。これは非常に愉悦なことである。

彼の癖に目覚めた証は、また別の人間の癖の糧となったのだ。

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おわり

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