ロシア美女にお世話になっていても、ロシアを悪と決めちゃうのん?
税務署の帰りに久方ぶりに地元の中華料理屋さんに入った時に、久しぶりにテレビジョンを観てみた。すでに我が家のリビングにはテレヴィジョンは撤去されている。
さて、映像では、民間個人からのウクライナへの無償の援助物資が届いている模様などが報道されていた。また、千円を寄付するとおにぎりがもらえるというボランティアなども紹介されていた。
まあ、いい宣伝機会にもなるし、そういうのはアリだとは思うけれど、あからさまな「ウクライナが善でロシアが悪」という構図はどうよと思ったのだ。不気味だなと思った。政治にはもはや興味の欠片もない私だけれども。
世の中、善悪がきっかりと別れることって主観的なレベルを除けば、まずないと思う。というより実証できないことだろう。もしかしたら、絶対普遍的なものはあるかもしれないし、実は私はそれがあると思っているけれど、それすらも個人の主観レベルのいわば「信仰」にとどまるに過ぎない。
「可哀そうなウクライナと横暴なロシア」という二項対立的な図式がありありと滲んでいたことに違和感を持っていたけれど、ロシアでは様々な規制があり、ロシア国民はそれなりに苦労していることもあると思うし、それではロシアの最高責任者や幹部だけに責任を負わせるのかといえば、そういうもんでもないと思う。そんなにシンプルに色分けできるものだろうか。
どこかの敗戦大日本帝国の有様と同様だと思う。天皇にこそ塁は及ぼさなかったけれども、「軍部が悪かったのだ」という形で、臣民たちは無事に国民になりおおせた幸せな東方の島国のことを仄聞したことがあるが、いまはさておく。
アメリカを中心とした西欧諸国が団結してウクライナを支援しているそうで、どちらかに肩入れするのはいいけれど、実にわかりやすい二項対立の図式はキリスト教やゾロアスター教などを彷彿させるもので、八百万の神々と仏様が混交するような土地の人間にとっては違和感しかないと思っていたのだけれど、「右へ倣え」「赤信号みんなで渡れば怖くない」という国柄なのだなということが改めてわかった。紙面や映像でロシア美女にお世話になっている諸氏もいるかと思うけれど、それとこれとは別なんだろうか。まあ、ウクライナ美女というのもいるだろうし。洋物好き諸氏にお聞きしたい点である。
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