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恋人はカフェテリア⑤(居心地のよさは空間の広さに比例するか?)

こうやってさまざまな種類のカフェを訪れることで、ときおり、私にもふと疑問に思うことが出てきます。

『居心地のよさ』とは、客観的に評価できるものなのだろうか?ということです。


さて、結論から言うと『居心地のよさ』とは、

空間の広さ+お客さん同士の『すき』のシンクロ率

(ここでいう『すき』とは、お店に何を求めているのかということ)

だと思っています。


人は大昔から、いくつかに分けて考えることで、むずかしい問題を解決してきました。

『困難は分割せよ』

はじめに、どなたがおっしゃったのか分かりませんが、この言葉は私の人生の中での、生きる指標のひとつとなっています。

なにか壁にぶち当たったとき、いちど深呼吸をしてこころを落ち着かせ、目の前にある問題をどうにかふたつ、いや――みっつか、それ以上に分けられないかを考え生きてきました。


たとえば、あなたがカフェを運営しているとして、月々の売上げがなかなかあがらないとしましょう。

このままでは、大好きなカフェを続けることが出来なくなってしまう――。

「どうしたらいいのだろう?」

あなたは頭をかかえます。


こういう場合に大切なのは『売上げ』という雲をつかむようなことばが、一体なんの要素で構成されているのか考えることなのだ、と私の先生はおっしゃいました。

くわしいことは割愛しますが、先生によると、『売上げ』というのはいくつかのエレメントの掛け算によって成り立っているものだ、とのことです。

そのなかのひとつとして、『来客数』があるでしょう。

それから、『単価(お店の商品の値段)』もあります。

『売上げ』という抽象的なことばを、はっきりとより具体性のある塊に分けることによって、本当の問題がどこにあるのか、ピンポイントで知ることができますね。


話をもどしましょうか。

では『居心地のよさ』を構成する要素は、いったいなんなのか。(こうやっていま、文章を打っていてはじめて気が付いたんですけど、『もう一回お客さんが来てくれる確率(リピート率)』を構成する要素の中に、『居心地のよさ』というものがあるのかもしれないなーなんて。)

まいど文章を読んでいただいている皆さんになら、覚えがあるかもしれませんが、私は今までさんざん、カフェにおける空間の使い方について話をしてきました。

だから、私は今まで『居心地のよさ』を構成する要素の中に、『空間の広さ』は当然はいっているだろう、と思っていましたし、それが大部分を占めているのだと思っていました。

物理的に広々とした空間がある、または外と内の空間が、かんたんにつながることができる機能性。

空間的に開放感があるカフェの方が、おのずと居心地がいいというのは、自身の経験からもあたり前のことなのですが、もしかすると『来てくれるお客さんが、そのカフェでのふるまい方をなんとなく知っている』というのも大きな指標のひとつなのかもしれません。


言い換えると、さいしょにカフェ側が『どういうお客さんに、うちのカフェをすきになってもらいたいか』を、はっきり示していれば示しているほど、居心地のよい空間ができやすい、ということです。


先日訪れたカフェは、空間がこじんまりとしているのにもかかわらず、どうしたわけか居心地悪くなく、自分のスペースというものがきちんと保たれているような気がしたのですね。

少しうでを伸ばしただけで、となりの人の二の腕をひじでこづいてしまいそうなのに。

テーブルだって、パソコンを置けるかどうかも分からないくらいせまい。

いすだって、ウェスタンテイストの薄っぺらい生地が一枚ひいてあるだけで、おしりがすぐに悲鳴をあげそう。


でも――ふしぎと何時間でもいられるんですよね。

きっと私は空間の広さではなくて、この場合、そのカフェでの暗黙のルールに乗っかっている客だったので、心地よかったんでしょう。


カフェがまず、はっきりとした『すき』を表わすことで、それを好きなお客さんが徐々にあつまりはじめます。

そして時が経つとお客さんが、似たような感性を持つお客さんをつれてきます。

同じ『すき』をもつ、同じセンスのお客さんがあつまって、次第にそのカフェ独特の空気、『居心地のよさ』をつくっていくのです。


さて、このカフェは、なぜか外国の観光客から絶大な支持を得ているようです。

Googleのレビューに書かれているのは、どれも外国人観光客からの『I Love You.』。

もしかしたら外国のお客さんたちは、このカフェで自国にあるカフェを思い出しているのでしょうか。


入ってすぐの通路の壁に向かい合い、私は大好きなチャイティーをすすりました。

シナモンが苦手な人には申しわけないのですが、反対に、私は残念ながらコーヒーが呑めないので、お茶をいただいてこの店主の舌をたしかめます。

きめ細やかでふわふわのホイップクリームが、くちびるをやさしく撫でてくれるのと同時に、その下のピリピリとした刺激が舌を刺激して、それがとても心地よかったです。

ねこ舌なので、口のなかではいつも大火事が起こりますけどもね(笑)。


右隣ではキャップを乱暴にかぶったロン毛の外国人男性が、ハリーポッターの洋書を片手に、クズをお皿のうえにポロポロとこぼしつつ、スコーンをむしゃむしゃと食べています。

もう一つ右に座っているStylishな格好をした女性は、さっきからずーっとファッション雑誌をパラパラとめくりながら、異常なほど頻繁にカップへ口をつけています。

まるで、無限のコーヒーが底からわいてきているかのように見えて、可笑しかったです。

カウンターでは一人の日本人男性が、となりにすわった外国人男性に日本語をおしえています。


私は思いました。

このカフェでは、みなが気ままな旅人なのだと。

ひとりひとりが好きに過ごし、せまいスペースでも、誰ひとりとして他の旅人を邪魔したりはしません。

大声で話もしませんし、隣の人を不快な気持ちにさせることもしません。

満席になると新しいお客さんが入ってきても、「すみません、満席なんです……。」と申し訳なさそうにことわる店主。

お客さんのたいせつな時間と孤独を重んじる彼のこころづかいは、旅人たちにとって、きっと忘れられない想い出になるでしょう。


人は何を求めて旅をしていると思いますか?

『わたしはいま、ここにいても良いんだ』という安心、じゃないでしょうか。


私は、こういうカフェがすきだ。

こんな人たちに来てもらって、ウチのここを好きになってもらいたい。

そして、来てもらった人たちにまた来てもらいたいから、できることをしたい。

なにかできると信じたい。


そういう想いが分かりやすく全面に出ているカフェには、空間の小ささうんぬんにもかかわらず、居心地のよさが店全体にしっとりと広がります。

それは、お客さん同士の『すき』が、しぜんと重なりあうからなのです。



――ななびのちっちゃなあとがき――

本日でやっと、私のGWもお亡くなりになりました(笑)

でも皆さんはズルい!と思うかもしれませんね、私は有給をいただいていましたから。

新しいカフェに行って、こうやって毎日文字を書く毎日を過ごしていると、気付くことがあります。

私は自分が思うよりも、人と関わりあうことをさけて生きてきたのかなー、なんて。(最近のはなしですが)

会社でいそがしかったりして、自分の行動範囲がカゴの中の鳥レベルになると、どうしても人と一緒にいるのが億劫になります。

でも、店員さんと話をしたり、こうやって読んでくれる皆さんと交流できたりすると、心がゆるみます。

コメントを時々いただくこともふえ、本当にうれしいです。

書き手、冥利につきるって感じです。

これからも、読んでいただけるとうれしいです、ありがとうございます。

また、お話しましょう。

書くことは私にとって、会話だからです。

私はいま全国でヒーリングの旅をしようと、画策しています。もしも、サポートいただけたら、それは旅の資金にしようとしていますので、私の作品に少しでも感銘を受けてくださいましたら、ぜひ、サポートよろしくお願いします。旅のレポートが書けるのを楽しみにしています。今からワクワクです☆☆☆