善いと幸せはいっち?

画像1

「ハチが針を必要とするように、人間は徳を必要とする」
(ピーターギーチ 『倫理学原理』)

これはイギリスの哲学者ピーターギーチの言葉です。
蜂は女王の宮殿を守るために針を身にそなえています。
それは蜂が種を保存するために必要なものですが、
人間は徳を必要とする。
「徳」とはたとえば「親切する」「約束を守る」など
よい習慣といえるでしょう。
「自分の利益を考えたらこうしたい」と思っても
まず周りの人の利益を考えて行動する。
そんな人は尊敬され「徳」ある人になります。
「徳」は多くの人と友情や信頼をはぐくみ、
人生が喜びにあふれた豊かなものになる。
これは確かに人として「善い」「幸せ」な状態と言えそうです。

しかし人間の生き方は多様で、人生色々。
人に共通した「善さ」とは何か?
考えるのは難しい問題ですね。
そもそもそんなものはあるんでしょうか。

東日本大震災では押し寄せる津波を前に
南三陸町の24歳の女性職員は防災無線を流し続けました。
「6メートルの津波が予想されます」
「異常な潮の引き方です」
「逃げて下さい」
南三陸町の住民約1万7700人の中、
半数近くが避難して命拾いしました。
女性は震災のあった前の年に結婚、
9月には松島町のホテルで挙式する予定だったといいます。

命の危険をかえりみず、多くの人を助けるために
勇敢に行動した女性は、ギーチにしたがえば
これ以上無い「善い」人だと言えるでしょう。
しかし家族の元に帰り始まったであろう、
「幸せ」な結婚生活は犠牲になりました。
ご両親やご主人の悲しみは察するにあまりあります。
この彼女の行為は本当に善かったのでしょうか?

思いやりのある「善い」行いは「幸せ」を育みます。
ただ想定外の自然災害などで、
「幸せ」が壊れてしまうことがあります。
南三陸町の女性のように「幸せ」を犠牲にしなければならない場面に
直面するかも知れません。
でもその時ほんとうに
「幸せを犠牲にした」と感じるでしょうか。
仮に津波警報と共に仕事をなげだし、
避難したとしましょう。
家族の元に戻り、平穏な生活を営んだでしょうが、
自分の選択のせいで多くの命が犠牲になった、
と罪悪感を背負うかも知れません。
それが「幸せ」な人生と言えるか?
選択を迫られたとき彼女は、自分を優先することに幸福があるとは
思えなかったのかも知れません。

画像2

イギリスの倫理学者フィリッパフットの言葉を借りれば
幸福は「善いものを楽しむ」ことであり
「正しい目的を成就し追求することを楽しむ」ことです。
この世は人間の力ではどうにもならないことが起きます。
たとえば仏教で人間の運命は因縁果の法則で生じると言われます。 
因=行為 縁=環境 果=運命 です。
行為が変われば、運命も変わりますが、
環境も結果に大きく影響します。
自然災害は大変な環境要因といえるでしょう。
不慮の事態に見舞われれば、最善の努力をするひとも
幸福になれないことがあります。
でもたとえどんな苦境に立たされても
人間として生きている意味を感じられる、
正しい目的に向かっているという喜びや誇りが
「幸せ」と言えるのではないでしょうか?
では生きる目的は何か?
めまぐるしく変わる世界の中で、
人生のビジョンを描くのは難しいことです。
みなさんと考えていきたいと思います。

参考図書:フィリッパフット『人間にとって善とは何か』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?