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始まりは父の死
2021年3月
コロナ禍二年目
緊急事態宣言が出たり、引っ込んだり。県を跨いでの移動が制限されたりしていた頃。
肝臓がんが見つかってから5年目。
何度も再発しながらどうにか暮らしてきた父の具合が相当悪くなり、一人で見ている母の疲労も溜まってきた。
「そっちに行っても良い?」
神奈川から新潟へ細心の注意を払いながら移動。
既に黄疸も出て全身が痒くて仕方ない、腹水も溜まり、だるさもあり、身の置き場がないような父の姿だった。
その後、家で母のサポートをし、一週間後の外来で最後の入院が決まった。
コロナ禍の入院。
まだ医療従事者のワクチンがやっと始まったばかりの頃。
入院させてもらったけど、面会制限もあり、かわいそうだから家に連れて帰りたいと、母。
あんなに大変だったのに。そして、母の体力もギリギリだろう。
結局はそのまま2週間入院して亡くなった。
私は一旦神奈川に帰っていたが、亡くなる前日に看護師さんが連絡を下さり、一晩付き添うことができ妹と共に最後を見届けた。
お通夜、葬儀などが終わり、いろいろな手続きは弟も含め3人でバタバタと。
母は大勢でガヤガヤ話すと、どうも聞き取れないのか、反応が鈍いような感じ。
耳が遠くなった?
まさか、認知機能が低下してきたとは思いもせず。
ちゃんと聞いて!
自分のやることくらい覚えといて!
なんて、意地の悪い娘だ。
何しろ本当に父との生活が大変過ぎたので、母はこれから伸び伸び暮らせるって、父が亡くなったばかりなのに。
そんなことを考えていた。
今思えばノンキ過ぎたし、罰当たりだった。
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