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竜血の契り ー翼よ、光を解き放て#9

 地の果てまで続くかのような王都外壁。その玄関口である門も、外壁に見合う堅牢さを誇る外見をしていた。開け放たれたアーチ門は厚く、木の表面には鉄が打ち付けられている。

 ――しかし、そこに立つ兵の警備は、お世辞にも強固とは言い難いものだった。

「あー、王都へ? いやあ、最近ちょっと不届きな人も多いもんでね。その書類も本物だかどうだか……」
 外壁の門は検問所も兼ねている。城壁の片側は小屋のように張り出しており、そこに兵士が座っていた。兵士は検問所の出窓にだらしなく腕をかけ、ミックが預けた書類を見て、にやにやとした笑みを浮かべていた。
「えー! 何言ってんだこの――もごむぐ!」
「ヨハン、お前は黙ってろって……!」
 明らかに不誠実な対応に声を上げようとするヨハンの口を後ろから塞ぎ、ユルクは馬車の奥に引っ込む。二人が奥に行ったタイミングで、ミックが半笑いで、傍らにあった箱から何かを取り出しつつ口を開いた。
「すみませんねえ騒がしくて! ああそうだ、お詫びにこちらのボトルをどうぞ。上等な麦を使ったビールですよ。試供品としてこちらのジャーキーもどうぞ」
 酒のボトルとジャーキーの瓶を受け取った兵士は、笑みを深めて書類に判を押した。
「へっへ、いいもん持ってんじゃねーか。ほら、通ってヨシ!」
「どうも。これからもバルボ商会をご贔屓に!」
 返却された書類を受け取ると、ミックは頭を下げて馬の手綱を振るった。馬車はゆっくりと歩みを進め、外壁の門をくぐっていく。

 視界が一度壁に遮られ、そして開ける。
「……おわ……すっげ、え……のかぁ?」
 幌から顔を突き出し壁の向こうを見たヨハンは、困惑の声を上げた。
 そこに広がっていたのは、華やかな王都の町並み――などではなかった。
 そこにあったのは、今にも崩れそうな屋根や、ボロボロになった漆喰の壁をした家屋ばかりだった。あばら家、という雰囲気でもない。それはまるで、元あった都市を数十年も放置したような、廃墟街だった。
「なんだこれ。人がいねー」
「ゴーストタウン、って感じだな……どうやったら町がこんなになるんだ?」
「酷いねこりゃあ。まるで十年も二十年も放置されたみたいな感じだ」
「そういやミックは前ここに来たんだよな? どんぐらい前だったんだ?」
「うーん、だいたい半年ぐらい前だったかな」
 ミックの言葉に「半年!?」とユルクとヨハンは同時に驚きの声を上げた。
「待てよ、半年だって? 半年で王都みたいなデカイ町が、こんなになっちまうってのか?」
「この辺は元々、王都の中でも治安が悪かったんだ。だいたい十年くらい前からかな? まあまあの貧民街だったんだけど」
「にしたって、こんな風に人がいなくなることなんてあるのか……?」
「全くいないってわけじゃあないと思うけどね」
 ミックはそう言うと、一度口を閉ざした。ユルクとヨハンが釣られて黙ると、見えないところから、這うような足音や、息遣いのようなものが微かに聞こえてきた。
「ユルク。念のため荷台の後部にいてくれる?」
「ああ。……襲ってくるかな」
「どうだろね。もう、そんな元気も無いのかもしれない」
 ユルクは、荷台の後ろの方へと回った。後ろには荷物の昇降口がある。すぐに剣を抜けるよう耳をそばだてるが、物音は近づいては来ないようだった。
「なーんか、王都って嫌な場所だなー。おれ、もっとすごいとこだと思ってたよ」
「まあねえ、初めて見る人にはちょっと期待外れだろうね」
「昔、村長から聞いた王都はもっときらびやかな感じだったぞ。本当にここって王都の中なのか?」
「昔は確かにもっとまともでキレイだったんだよ。……こうなったのは、今の王様になってから、かな」
「王様? って、どんなの?」
 ヨハンの言葉に、ミックはすぐには言葉を返さなかった。少しばかり周囲を見渡し、そして近くに人の気配が無いのを見て取ると、ようやく口を開いた。
「町の中に入ると言いにくくなるから、ここで教えよう。簡単に言うと、今の王は愚王さ。王位継承者だった兄を追放したばかりか、私腹を肥やし、彼の子のカール王子と共に放蕩三昧。貧乏人や犯罪者を内壁の外に放り出し、結果としてこのあたりの地区は荒れに荒れてしまったんだよ」
「……なんか、良くない王様ってのはおれにも分かった。でさ。内壁って何」
「あれだよ」
 ユルクは馬車の正面を見た。ヨハンが幌をそっと開けて外の景色を見ている。そこには、先程見た外壁よりも少しだけ低い、石造りの壁があった。
「町が外へ外へと広がるにつれ、人は新しく壁を作った。あれはその名残さ」
「へえ……じゃ、あの内側が王都っぽい王都?」
「……うーん、まあ、そうだね」
 ミックは歯切れの悪い返事を寄越した。――その濁した言葉の真意を、ユルクはすぐに知ることとなった。

 馬車は淡々と進み、内壁を通って廃墟街を後にする。そして、壁の内側にいよいよ足を踏み入れた。
 壁一枚を隔て、新たな景色が広がる。
 ――そこは、全くの別世界だった。
 内壁の外、そして王都とそれ以外の町と、明らかにその様相は違っていた。
 まず、真っ直ぐに伸びる大通りの先に、城が見えた。丘の上にあるらしく、城壁の向こうに白い壁や尖塔が見えている。
 だがしかし、ユルクの目はすぐさま王城ではなく、その手前の町並みに引き寄せられた。そこにあったのは、内壁の外とはまた違った意味で、雑然とした景色だった。あちこちから、目が痛くなるような看板が突き出し、色ガラスのシェードをかけられたランプがあちこちに吊り下がっていた。未知には派手な格好の男や女が立ち、道行く者を呼び込んでいた。
「うわぁ……」
 感嘆とも驚嘆ともつかない、しかし決して好意的ではない声をヨハンが上げる。ユルクも顔をしかめた。確かに、これは村長が言うようにきらびやかかもしれない。ただ、想像していたものとは、だいぶ違った光景だった。
「この歓楽街は王子様肝いりの都市計画さ。……間違っても、大っぴらに批判しないように」
 ミックは声を潜めて付け加える。ユルクもヨハンも、硬い表情で黙って頷いた。

 馬車は大通りを更に先へと進む。まだ日が傾ききっていない時間だというのに、通りには酒に酔った者の姿がよく見られた。しかも、それに混じってこの享楽的な雰囲気に全く見合わない、首元を詰めた襟の服を着込んだ、どこか物々しい雰囲気の人間の姿もあった。騎士、いや軍人だろうか。幌の隙間から一瞬見ただけでは、詳しいことまでユルクには分からなかったが、それでも明らかに一般人という雰囲気ではなかった。
 時たま、御者台に乗るミックにも客引きの声がかかった。ミックは適当にそれに応じながら、王城の方へと馬車を走らせ続けた。城に近づくに連れて、流石に吊り下げランプや看板を出すような店は減っていった。歓楽街の喧騒を背後に、道は緩やかな登り坂になっていく。
「……ところで、僕たちの目的地だけど」
 出し抜けに、ミックが言った。
「この先の貴族街に住む、ヘーガー将軍の家だよ」
「え、城に行くんじゃないの?」
「そりゃ行かないよ。ヨハン、考えてもみなよ。僕らは王様には内緒で、軍の偉い人と話に行くんだよ? 大っぴらに城でお話なんてできないんだ。ユルクも、分かってるよね?」
「え? あ、ああ! 大丈夫、分かってる分かってる」
「……ホントかなぁ。怪しいもんだけど、まあいいや。ともかく、そのヘーガー将軍にだけはどうにか渡りが付いたからさ。その人、偉い人だし気難しいから。君らは下手なこと言わないように」
 ミックの世渡り的な忠告に、ユルクとヨハンは声を揃えて「はーい」と返事を返したのだった。


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