【スポーツ観戦記】応援とダイコンと
今年は正月に箱根駅伝を見ました。熱狂的な箱根駅伝ファンというわけでもないので、飛ばし飛ばしにですが。
で、見ていてふと目についたのが、ダイコン。
ダイコン持って応援してる……。
箱根駅伝見ないよ~って人は何だそりゃみたいな話ですが、本当にそういうのがあるんですよ。
東京農業大学名物、大根踊り。
調べてみたところ、この応援の正式名称は『青山ほとり』というそう。
東京農大が箱根駅伝に出場したのは実に10年ぶり。当然この大根踊りも10年ぶりに箱根路で披露された。
しかし10年ぶりに見て、10年前にも思ったことだけど、
……これって応援になってるんだろうか?
そんなもんは当事者にしか分からないとして、そもそもどうして人は応援するのだろう?と、そんなことを箱根駅伝を見ながら思った。大根踊りが目立っていたけど、道中応援に来た人が道路からはみ出しそうなほどの列を作っていた。声援だって当然聞こえる。先導車からも監督の激励が飛ぶ。
箱根駅伝に限らず、応援とスポーツは切っても切れない。野球やサッカーともなると観戦者が鳴り物も持ち込んでくる。
スポーツに限らず、最近ではネットの世界にも応援が入り込んできている。最近RTA(リアルタイムアタック、英語圏ではスピードランとも)をよく見るが、配信動画に応援のコメントがついていたりするのをよく見る。
あと、応援とは少し違うかもしれないが、文学、文芸においても、いまや人からのコメントがリアルタイムで来る時代になって来ている。創作、特にイラストの作業配信はもう珍しいものではない。リアルタイムで無くとも、作者に応援を届ける色んなツールが出てきている。
こう考えていて思うのは、応援っていうのはどこまで励みになるのだろう?もっと言うと、どこまで元の力をブーストするのだろう?ということ。
もちろん応援してもらうとやる気が出る、というのは感覚としては分かる。分かるんだけど、正直『限界を引き出してくれる』とか『限界を超える』とか、そこまでのことが本当に起きるのだろうか?応援に応えるために全力を出すということは本当にあるのかな?世のスペシャリストは、何もなくとも最高の結果を出そうとするものではないだろうか?
そんなことを考えましたが、たぶんだけど、やっぱり応援の力っていうのはあるんだろうなぁ。と、私は思います。
全部無意味だったなら、そう言ってる人が少なくない数、応援される側から出ると思うんですよね。もちろん、スポーツには実益が伴うっていう側面もあると思うけれど。応援っていうのは意味があって、する側がしたいからってだけで続いているんじゃないんだろう、と。
全部想像ですけれど。ただ、こんな場末の字書きでも♡ひとつもらうだけで『あ、また書いてみるか』『この話の続きを書こうかな』という気分になるので、応援っていうのは、どういう形であっても人の背を押してくれるものなんだろうと……世のトップクラスの人々が受ける応援とはまた全然違う形や熱量だとは思いますが。それでも、私が感じるんなら、凄い活躍する人たちだって『応援があるから頑張ろう』って気持ちがあるんだろう。
大根踊りという、変わった形での応援。でも、走っている側からはひと目見て分かるような目立つ応援。全くの第三者にも伝わる応援の精神は、ランナーだけではなく、そこに居合わせた人や、テレビの前の人にも伝わってくるような気がします。だからこそ、応援はあればあるほどきっと良い。
……だから応援してね!
というのはちょっと図々しいかもしれませんが。人に応援されるかどうかは今後次第ということで、応援されるのを待つだけでなく、誰かをちょっとでも応援できるようになりたいものです。
まずはRTAの動画に応援のコメントでも残しますかね。
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