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竜血の契り ー翼よ、光を解き放て#3

 ――さーて、…………は、あらかた……したか?
 ――……よしよし、じゃあ……

 遠くから、何事かを話す声をユルクは聞いた。何を話しているのか。そもそも、夢なのか現実なのかも分からない。ただ、反射的に息を吸おうとして、咳き込んだ。

 ――……なに、生き残りだって? ……だし見捨て……
 ――うん……? ……だって? はあ、しょうがないな。

 先程よりも声が近い。ユルクは目を開けようとした。しかし、体中が熱く、痛みにまみれ、力が入らなかった。まぶた一つ動かすことも困難だった。

 ぐったりと、ただ倒れていたユルクの体を、何者かが抱え上げた。

 そこで再びユルクの意識は途切れた。

 ユルクが次に目を覚ましたのは、それから半日以上が経ってからだった。水の膜が張ったような目に、ぼんやりと暗い天井が映る。天井は教会の、石造りのそれではなく、布を張ったようなものに見えた。背中には、振動を感じる。
 ユルクは今自分が、どこで何をしているのか、さっぱり分からなかった。
(おれ……森に行って……それ、から……)
 思い返そうとするが、全身に走る痛みに上手く思考が回らない。それでもどうにか、一つずつ起きた出来事を思い出そうとする。大イノシシが出たこと。それを倒したこと。村を挙げての宴。そして、人里に大イノシシが出てきた理由を探しに森に行き――
(……竜。そうだ、竜が!)
 青黒い鱗に長い尾、そして広い翼。蹂躙された、焼け落ちた村と畑。そして、あちこちに無惨に転がる村の人々の屍。悪夢のような現実。
 ユルクは飛び起きた。
 ……いや、飛び起きようとした。しかし、体がついてこなかった。意識が覚醒するとまず、痛みが襲いかかってきた。身を起こそうと腹に力を入れただけで、皮膚も骨も筋も痛んだ。思わず咳き込むと、その動きだけでまた痛みが走った。しかも、痛みははっきりと感じるのに、それ以外の五感が鈍い。それに、頭がぼんやりとして視界が波にさらわれているように揺らいでいた。
「……ありゃ、起きちゃったかー」
 ユルクが苦痛と戦っていると、気の抜けた声がした。顔をどうにか向けて声のした方を見ると、そこには一人の青年が、壁に寄りかかるようにして立っていた。
「薬湯に睡眠薬を混ぜたんだけど、効きが悪かったかな」
「あ、んた、は……」
「おっと、喋らない方がいい。骨か内蔵か……ともかく酷くやられてる。分かるかい? 君は死にかけてるんだ」
 死、と聞いてもユルクはそれを実感できなかった。ともかく、熱と痛みが酷くて、そればかりしか感じ取れなかった。
「君はともかく、体を休めることだけを考えるんだ」
「……村は……」
「考えちゃダメだ」
 駄目だ、という禁止の言葉に、ユルクは不思議と強制力を感じた。一時は遠ざかっていた眠気がまたやってきた。

 ユルクは再び眠った。今度の眠りは、更に深いものになった。昏々と眠る間に、口元に苦い湯やほとんど粒の残らない麦粥を流し込まれた気がしたが、夢現の中でそれが何度あったことかユルクは覚えられなかった。

 ――ユルクが目を覚ましたのは、それから三日後だった。

 ある夜に、ユルクはぽっかりと目を開けた。
 まだ頭は熱っぽく鈍っていたが、それでも意識ははっきりとしていた。ユルクは気配を感じ、首を横に向けた。
「うわ」
 若い男の声がした。青年はシェードを被せたランタンを持っていた。明かりは絞られていたが、それでもその顔は辛うじて見えていた。声の通りその顔も若々しく、目の虹彩は緑で、珍しいことに、髪は炎のように明るい赤色をしていた。ユルクはすぐに、その青年が夢現の最中に話しかけてきた人物であることに気付いた。
「あんた、あの時に……」
「あ、ああ、うん。あの時以来だね。えーと、体の調子はどうだい?」
「どうって……なんか、全身痛い……」
 ユルクの答弁に、青年は「だろうねえ」と相槌を打つ。
「医者に見せてみたけど、あちこちの骨が折れていたよ。背骨や臓腑がほぼ無事だったのが奇跡みたいなもんさ。……ああ、奇跡と言えばそもそも生きてることがそうさ。竜に襲われて、生き残るなんて」
「奇跡……? いいや、奇跡でもなんでもないさ。俺は……」
 デボラが命をかけた懇願があったからこそ、自分は生き残ることができたのだ。それは奇跡でも何でもない。もしこれが奇跡だというのなら、それは人の命を運命に捧げるような、悪魔的なものだろう。しかし現実はより惨く、ユルクが生き残ったのは一人の女の願いに、竜が気まぐれを起こしたというだけの話だった。
 ユルクは吐き気を覚えてえづいた。青年が慌てて手桶を差し出してくれたが、口から出るものは何もなかった。
「いったいあの村で何があったんだい? って、今の君に聞くのは酷な話か。もっと元気になってから話を――」
「待ってくれ」
 踵を返しかけた青年をユルクは引き止めた。
「話させてくれ。俺たちの村で、何があったのかを」
「うーん……まあ、いいか。君の話を聞こう。ああそうだ、それより先に自己紹介を。僕はミック。薬師のミックさ。君は?」
「ユルク。騎士グスタフの息子、ヴァイツ村のユルクだ」
 ユルクのことを頭に刻み込むように、ミックは「グスタフの息子、ヴァイツ村のユルク、ね」と繰り返し、そして手近な椅子を引き寄せてそこに腰掛けた。
「じゃあ、聞かせてもらおうか。ヴァイツ村に何があったのか」

 ――ユルクは村で起きたことを語った。
 と言っても、話せることはさして多く無い。大イノシシのこと、村に現れた竜の特徴……そして、自分が生き残ることができたその理由について伝えるのがせいぜいだった。
 だがその程度の話でも、聞く内にミックの顔はみるみる険しくなっていった。

「青い鱗の竜、か。……そりゃ北の暴竜ニドラだろうね」
「知っているのか?」
 ユルクは驚いた。自分と二つか三つほどしか年が違わなそうなこの青年が、もはや書物でしか語られない竜について知っている――しかも名前まで分かるとは思いもよらなかった。
「……いや、家の蔵書を最近ちょっとひっくり返しててね? 北の竜がウン十年ぶりに動き始めてるって噂が都の方じゃ出回ってたんだ。そういうわけで調べてたんだけど」
「都で? うちの方が北の山に近いのに、何で……」
「さあね。これも噂だけど、王に使者が来たって話だよ。竜の里からね」
「竜の里……」
 ユルクが知るおとぎ話にも出てきた話だった。竜は山に里を築いている。そしてこの国には、北と東に山脈があり、東の山の竜は人と共存する道を選び、国旗にも東の山の赤い竜が描かれている。そして、暴れているのはいつも決まって北の山の竜だった。
「君も寝物語に聞いたことが無いかな? 竜は人に姿を変えられる。人に化けた東の山の竜が、ちょっと前に王に警句を与えに来たんだってさ」
「え、東の山の竜が? ……北の山の竜は、どうしたんだ」
「うーん……君の故郷は相当田舎だったんだね? あ、いや馬鹿にしてるわけじゃあなくってさ……そうだねぇ、ちょっと込み入った話だから、この話は夜が明けてからにしよう」
「いや、俺は……」
「僕が眠いんで。あと、君も怪我を治すために、夜はちゃんと寝なよ」
 納得はいかなかったが、そう言われてはユルクも反抗できなかった。渋々首を縦に振って、起こしていた上体をベッドに横たえる。
「おやすみ、ユルク」
 ミックは軽く手を振り、部屋から出ていった。ユルクは目を閉じた。話を中途半端に投げ出されて、寝付けるわけがない――そう思っていたが、悶々と考えを巡らせていたのは五分にも満たない時間だった。


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