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みんな関係なくない

先日実家に帰省したとき、父の小さい頃の写真をはじめて見る機会がありました。生まれたばかりの父、無邪気に遊ぶ小学生の父、弟の面倒を見る兄の顔の父、母と初めてのデートにでかける父、ゼミ仲間とはしゃぐ父、新卒の父…父と、そして父を包み込む祖父祖母の笑顔を見ていると、父も人の子だったんだなぁという当たり前のことに改めて気付かされます。どうしてだか、母の幼い頃を見てもそうは思わない。異性だからか、父はどこか遠い人で、あまり想像がつかない場所にいるイメージがずっとあったのかもしれない。

父になるまでのいろんな姿を見ることで、大きな変化がありました。それは、街中の人たちを無関係の他人と思えなくなったこと。例えば背中の曲がったおばあさんを見ても、電車の中で大騒ぎしているキッズに遭遇しても、休日にスーパーに買い物に来ている白髪混じりのオジさんを見ても。このおばあちゃんも父くらいの歳の息子を育て上げた人なんだ。この幼児もいつかは父となるんだ。この奥さんも、夫を支え子を育てるという大変な仕事の最中なんだ。この余裕のないおっさんも、非行に走る子の親なのかもしれない。と、目で見える情報だけでなくその人の背景を立体的に想像するようになりました。なんだか自分の想像できる領域が広がったように思います。そうしたら、いろんな人にやさしくしなきゃいけない!と強く思うようになりました。一人でここまで生きてきたわけじゃなくって、この人に何かしらの思い入れを持っている誰かが必ずいるんだと思うと、手を差し伸べたくなってしまう。なんだこの気持ち!わたしは聖女かなにかでしょうか。

でも、この感覚、前にも感じたことがあるんです。住民税を払い始めたときや選挙に行って抱き始めた感覚と似ています。街の見え方が変わり、もっと真摯に考えなければという意識が徐々に芽生えてきました。社会に参加している一員という意識が、年齢ごとに、そのステージごとに芽生えてきている。人間ってうまくできているなぁ。社会ってすごい仕組みだなぁ。改めて感心してしまいます。

最近家族のことをよく書いているなぁと思いますが、14歳、22歳と度々襲来してきた家族観変革期のようです。30のいま、第三次変革期中。周りの家族を見ていても、家族を新しくはじめた人たちを見ていても、なんかいろいろ考えちゃう。難しく考えすぎなのかもしれませんが。いざとなったら、考えているヒマなんてないのかもね。

また明日。

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