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有益な発信をしているつもりでも誰にも聞いてもらえない場合の対処法

久しぶりにnoteでも投稿しようかなという気分になったので、何か書くことにしよう。今まではnoteは有料コンテンツのみを投げていく感じの使い方をしていたが、最近はこの使い方は勿体無いように感じている。noteは性質上、SNSとほぼ変わらず、上手に活用すれば、Twitterと同様の役割を果たす。いわば、Twitterの長文バージョンだ。

僕はTwitterのように短文で何かを表現するというよりかは長文で自分の主張をダラダラと書き連ねることの方が向いているし、こっちの方がやっていて楽しいので、これからはnoteで無料のコラムもちょいちょい投稿していけたらなと考えている。ワードプレスのブログも700記事くらいは書いたんだけど、今の時代はnoteの方が集客に圧倒的に強いよなぁと思ったので、こっちにシフトする。まぁ、ワードプレスはドメインを寝かせれば寝かせるほど、SEOパワーは強くなるから、放置しておいて損はない。長期株を保有していると思って、気が向いたらまたそちらにもコンテンツを投げていこう。

前置きはさておき、今日はTwitterって向き不向きがあるようなぁというお話。ほとんどの人がやっているようなTwitter運用、特にビジネス系のアカウントに多いのが、どこからか引っ張ってきた知識を自分の言葉に置き換えて発信しているということだ。一見、それでいいことを言えれば、フォロワーは増えそうな気がする。

しかし、残酷なことにどれだけいいことを言おうが、どんなに綺麗な文章を書こうが、ほとんどの場合は読まれない。良いことを言えば、自動的に読者が集まって、物事がうまく生き始める。そんな時代は塔の昔に終わったのだ。それはインターネットが発達してなく、情報の価値が高かった時代の話だ。今はその逆の情報過多の時代で、人々は情報に溺れて、何が正しいのか、何を信じればいいのかわかんなくなっている。

だから、その辺のよくわかんないツイッタラーが仮にすごいことを言っていたとしても、それを信じるに値する何かがなければ、そもそも見向きすらされない。「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」ということは耳にタコができるくらい聞き飽きたセリフであり、使い古された言葉感が否めないが、これは非常に重要な概念だと思う。

そもそも「誰が言うか」とはどういうことか。あなたが僕のnoteを読んでくれているということは何らかの「誰が言うか」の部分に引っかかっているのではなかろうか。もしくはこいつはどのくらいのレベルなのか?ということを図りながら読んでいるのかもしれない。

まぁ、いいや。そんなことは本質的な問題ではない。僕の考えるフォロワーにとっての「誰が言うか」の存在になるためには二つのうち一つの要素が必要になると思っている。

一つ目は珍しい人生を送っており、その物語を発信している人が面白い発信者のケースで、ファンでなくともついつい見てしまう場合だ。物語というのはそれほどに人を惹きつける力がある。物語で人を惹きつけた後に、自分なりの思想、哲学などを語れば、「誰が言うか」のポジションを獲得しているからふむふむと話を聞いてもらえる確率が高くなる。イチローが言うから、ホリエモンが言うから、メイウェザーが言うから、という現象が起きるのは少なくともその人たちの物語の一部を僕らが消費しているからだろう。物語に巻き込まれた後に、関心するような言葉を投げかけられれば、そこに説得力が生まれる。説得力というのはバイアスかもしれないが、人間はそういうものだ。客観的に正しいことよりも自分が信頼している「あの人」の言うことが正しいと思い込む。

この前提があるのにも関わらず、多くの人は客観的に正しいことばかりを勉強して、それらを何の工夫も施さずに発信する。これでは人を惹きつけることはできない。麻原彰晃が客観的に正しくないということについては99%の国民が同意すると思うが、それでもほんの一握りの信者、つまり「麻原彰晃が言うから」という状態になっている人々は麻原の発言に賛同するのだ。

物語を作ることができている人は多くの人々の目に留まり、興味を引くことができるのだが、僕も含めてほとんどの人は普通の生活をしているが故に、物語の演出が難しい。

物語のない人間が教育コンテンツを投げ続けたところで、それは誰も聞いていない、足すらも止めてくれない道路で街頭演説を永遠としているようなものだ。私はこんなにすごいんです!!こんなことを知っているんです!!と言ったところで、興味すらも持たれないという痛い状態だ。実際にビジネス系アカウントの大半はこのような状態に見えはしないだろうか。

マーケティングがうんぬんかんぬん、ビジネスの原理原則うんぬんかんぬん、確かに頑張って勉強したことを発信しているんだねということは伝わってくるが、そもそも同じようなことを発信している人は腐るほどいるのに、なぜ君からその発信を聞く必要があるの?という部分が全く見えない。そう、これも物語がないからだ。

僕自身もTwitter上では物語の演出はしていないが、それでも多少は人を惹きつけることができている。最初にも書いた通り、短文で物語を演出するのはすごく難しいし、僕はそのやり方は苦手だから、別のやり方で物語を演出している。それは自分と最も距離の近いフォロワーの信頼残高をあげまくること、つまり、「この人からはめちゃくちゃ信頼されている」という状態を作ることで、その信頼の輪が伝染するようなイメージで活動しているのだ。

僕も昔はTwitter上でフォロワーと共にコンテンツを作ったり、他者を巻き込んで、ストーリーが生まれる工夫を施していたが、最近はTwitter上ではたまに思いついたことを適当に呟くだけ。これでは新規フォロワーにとっての「誰が言うか」のポジションが取れないから、僕の身近な人間数人から信頼されているような演出をし、「よくわかんないけど、この人なんか一部の人には信頼されているんだなぁ」という状態を作っている。規模は小さくてもいいからこの状態を作るだけで、わずかだが発信に「説得力」が生まれるのだ。

チャンネル登録者数が多いYouTuberはあなたが仮にそれまで認知していなかったとしても、「人気がある人たちなんだなぁ」ということがわかると、面白いと感じるかどうかは別として、少なくとも全く知らない人たちから「人気がある人たち」というように、ポジションが移り変わる。だから、人気のYouTuberほどどんどん人気になり、「誰が言っているか」のポジションが取れない人ほど日の目を見る機会が少なくなるのだ。

「説得力」を持っている人々はその輪をどんどんデカくすることができ、「説得力」を持たない人々は何を言っても誰にも聞いてもらえない。今はそんな世界だ。この状況を打破するには最初に書いた通り、物語を演出して人を惹きつけた後、自分の思想を語ることが一つ。もう一つは最初は少数精鋭でいいから自分のことを信頼してくれている数人を集め、自らの発言に説得力を作る。そして、その説得力の輪を少しずつ大きくしていくことで、自分の発信を聞いてもらえる層を広げることができるのだ。

このように戦略立てて、自分を売り込んでいかなければ、努力はただの徒労と化す。何も考えずに、適当に学んだことを発信していれば、勝手に人は寄ってくるだろうという考えでは壁打ちを繰り返すだけになるので、自分をいかにしてプロデュースしていくか?という視点で発信していくことが好ましい。

僕自身は多くの人が思い付かないであろう視点で面白い記事を書いて差別化していこうかなということは常に意識している。まだまだ修行が甘く、視座が低いが、思考訓練を繰り返して、ちょっとずつレベルアップしていきたい。この進化の過程が気が付いたらストーリーになってたりして。

ということで終わり。では。
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