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「アイコンが不気味」と思ったあなたへ

ちゃおちゃお。
思想家のナナシロだよ。

SNSのプロフィール画像を一新したよ。

my new profile picture…

新しいSNSのアイコン

あたしのこと知ってる人は、
「この前まで猫ちゃんを抱っこしてるニット帽の男の画像だったのに、どうして…?!」
って思っただろうし、知らない人は、
「何この気味の悪いアイコン…」
って思っただろうね。

そんなあなたのために解説するね。

AIで作成した画像

これ、実はAIで作成した画像なの。

「This Anime Does Not Exist(このアニメは存在しない)」
で自動生成されたものを使っているよ。

2023年はAI元年とも言えるレベルでAIを利用したサービスが爆発的に普及しているから、馴染みがある人も多いんじゃないかな。

ChatGPTやBingが話題になっているし、画像やテキストからイラストを生成するAIも使っている人はいるだろうね。

だからこそ疑問に思った人も多いはず。

「え?もっと綺麗に生成できた画像をアイコンにすればいいんじゃ?」
と。

…実はそれではダメなんだ。

あたしのSNSアイコンには「歪み」や「違和感」が必要だった。

その理由について説明する。

AIは人間そのもの 

AI(人工知能)が何かをざ〜っくり説明すると、

世の中のたっくさんの情報を学習して、人間の思考に似た営みをおこなうプログラム

なのね。

人間の思考プロセスの模倣をしているので、当然”人間っぽく”なるわけだけど、だからこそ我々人間たちに驚きをもって迎え入れられた。

そりゃそうだよね。
「こんな感じの絵描いて!」って言ったらイメージに近いものを描いてくれたり、「この場合はどうしたらいい?」って聞いたら適切なアドバイスを返してくれるんだもん。

けど、あたしが「AIは人間そのもの」と言っているのは、このことを言っているわけじゃない。

人間もコンテクスト(情報)をもとに人間性(思考)を構築するよね

ってこと。

もうちょい砕けた表現にすると、
「みんなそれぞれいろいろなバックボーンがある中で、現在のその人を形作っているよね」
って感じ。

バックボーンってのは、遺伝子もそうだし、環境もそう。

「出来損ない」と犯罪者

話をあたしのアイコンに戻そう。

もう一度言うけど、今これを読んでいるあなたはあたしのアイコンを見て、直感的に
「気味が悪い」
と思っただろうし、AIで自動生成したと聞いてからは、
「なんで出来損ないの画像を選んだんだろう?」
と思っただろうね。

そして、出来損ないだと感じた理由は概ね、

  • 目が三つあるのはおかしくね?

  • 輪郭が歪みすぎでしょ

  • 手足は?体はどこ?

ってところだろう。

でも、思い返してみてほしい。

そもそもAIで自動生成しているので、このアイコンの画像も、他のもっと綺麗に生成された画像も、同じ情報をもとに生まれた個性の一つでしかないはずだ。

が、あなたは

綺麗に生成された画像を「すごい」と評し、あたしのアイコンのような違和感のある画像を「出来損ないで不気味だ」と評している

よね。

「何を当たり前のことを…」と思ったかもしれない。
けど、これを人間に置き換えて考えてみてほしいんだ。

例えば、障害者施設に刃物を持って侵入し、入所者を刺殺した殺人犯がいたとしよう。
そうだな〜、名前はウエマツくんとでもしておこうか。

捕まって死刑判決が出たウエマツくんは法廷で
「障害者は社会のゴミだから死ぬべきだ」
などと主張しているとしよう。

その上、ウエマツくん、
「事件を起こす少し前には薬物を使用していたらしい」
というニュースも流れてきた。

あなたは、このウエマツくんのことをどう感じるだろう?

「障害者の尊厳を奪うなんて言語道断だ!」
「頭がおかしい人間だ!厳罰に処されろ!」
「生まれながらの異常者なんじゃないか?」

とまぁ、いろいろ浮かんだんじゃないかな。

もちろん、
「彼にもいろいろあったんだろうな」
といった具合に、ちょっと俯瞰して捉えた人もいるかもしれない。

けど、たぶん
「いろいろあったんだろうけど、なんでそんなことをしたのか理解できないし、怖いから捕まって良かった」
ってのがあるんじゃないかな。

まぁね、あったりめーな話ではあるのよ。
罪を犯したんだから裁かれるのは。

でも、ウエマツくんにどういうバックボーンがあるかはそこまで突っ込んで考えた人、少ないと思うんだよな。

「どうしてそうなっちゃったのかね〜?」
くらいだと思うのよ。

あたしのアイコンを見たときに
「どうしてそんなのにしたの〜?」
と思ったのと同様に。

我々はコンテクストを無視している

まぁね、「どうして?」って考えてくれたんなら、まだいいのよ。
(少なくともこの記事を読んでくれる時点で、出来損ないアイコンをプロフ画像にした理由に興味を持ってくれているとは思うので)

「えっ、こわっ。ヤバそうな人だしフォローするのやめとこ…」
って思ってブロックした人も少なからずいると思うのよね。

思っちゃったもんはしょうがないので、別に咎める気は無いよ。

でも、ウエマツくんの事件のとき、SNSに
「とんでもない異常者め!極刑に処されろ!!」
ってな論調がめちゃくちゃ蔓延してたんだよね。

ウエマツくんだけじゃない。

世の中では多様性を尊重する風潮が広まっているのに、SNSにおける”異物叩き”は年々苛烈さを増しているよ。

パワハラ上司の愚痴投稿には、
「人の気持ちも分からないサイコパスは死ね」
と言う人がわんさか湧くし、
「デート代は男がおごるべきだろ」
というセクシー女優・フカダちゃんの発言には、
「そんな女はクソだから願い下げ」
というコメントと、
「女を責めてる男は非モテ」
というコメントが大戦争を起こしている。

で、実はね。
あたしのおニューのアイコンにも、ウエマツくんの件にも、今挙げた例にも、すべてに共通して当てはまる”ある問題”があるの。

それは、

コンテクストを無視している

ということ。

ウエマツくんは生まれてこの方、どう生きてきてその事件を起こしたのか。
パワハラ上司はどういう背景と経緯で、パワハラと受け取られた行為をおこなったのか。
フカダちゃんはどう人に囲まれる中で「男がデート代をおごるべき」と言ったのか。
それに賛成の人は、反対の人は、それぞれどんなバックボーンがあるのか。

そういったコンテクストをガン無視して、おこなった行為だけ目を向けて、脊髄反射しているわけだ。

あたしのアイコンについても同じ。
この記事を読みもしない人は、
「えっ、こわっ」
で終了している。

「いやいや、誰だって個人的な感想を持つことはあるんだし、見て『こわっ』って思うくらいいいじゃん」
って思うかもしれんな。

それじゃ聞くけど、例えばあなたが独身だとして、あたしが、
「いい年した独身って生物として欠落してるよね」
とか言ったら、「ふざけんな」ってならない?

「それは差別だ」と言うなら、じゃあどこからどこまでが差別なんだろう?

「ウエマツくんは異常者だ」と言うのは?
「フカダちゃんは傲慢な女だ」と言うのは?

”多様性”は実現不可能

…「だからコンテクストに目を向けようぜ」っていう単純な話ならいいんだけど、そうもいかない。

人間がコンテクストを無視して「えっ、こわっ」で終了させているのも、実は理由がある。

そうしないと情報処理が追いつかないから。

だってさ、友達や彼ピ、親との関係ですら頭を悩ませているっつーのに、人生で直接対面する可能性が限りなく低い、ウエマツくんやフカダちゃんのコンテクストなんざ、いちいち考えてたらキリが無いもん。

だから、どうでもいいものは「え?キモッ」「は?死ね」って感じで、表面だけ見て視界から消してるわけさ。

あと、人間の社会性は受容と排斥によって成り立っているからね。

仲間や家族を作りたいという気持ちがあるなら、それ以外を遠ざけたいって気持ちもある。

誹謗中傷でしょっぴかれた人が実は平和主義者だった〜なんてパターン、よくあるじゃん?
それよ。

…という感じで、”多様性”なんてもんは実現不可能なのよ。

ま〜、昔みたいに同じ集落の人間以外とは一切会わない生活をしていれば、その集落内での多様性は実現できるかもしれんけど、もうそれ多様じゃないからね。

それに、電波放送どころかインターネットで世界中と繋がってしまった現代、世界中の人とお手々繋がざるをえないわけだ。

世界中の人のコンテクストを知った上で尊重するとか、最早アカシックレコードの域やん。
(知らん人はググれ)

もうね、

多様性やめますか?
それとも人間やめますか?

って話よ。

というわけで。

あたしがあえて歪なアイコンにした理由。
それは、多様性は実現不可能だってことを態度で示したかったから。

(余談だけど、あたしはこういう”コンテクストを内包した態度”を示すことを「アティテュード」と呼んでいて、芸術活動の一環と捉えているわ)

これまでの多様性の課題

「た、多様性が…ッ、実現不可能だってェ?!それじゃ、戦争も…ッ、差別も…ッ、いじめでさえも…ッ!…止められねぇってことかよォ…ッ?!」

と絶望した人もいるだろうけど、何もあたしは読者を絶望させるために歪なアイコンにしたんじゃない。

ナナシロアイコンショック(なんやそれ)をきっかけに、新しい多様性の提案をしたかったからだ。

その話をする前に、いったんこれまでの多様性の課題を整理しよう。

これまでの多様性は、

  • あらゆる人を尊重しよう

一択だったわけ。

この「あらゆる人」には、実は自分自身が含まれていない

すべての人を尊重しようとすると、人を見て「こわっ」「キモッ」って感じた自分を肯定できなくなるのさ。

これだけだったら、
みんな抑うつ状態だけど誰も傷つかない優しい世界
になるはずだから、ええやんって感じなんだけど、実態は違う。

強烈なトラウマを持っている人は、逆に自分自身が強すぎるんだ。

よくSNSで見かけるけど、

すべての男性を排斥する過激で歪んだフェミニズム

が、まさにそれ。

男性から性被害を受けたなどの強烈なトラウマがあると、人は、

多様性を尊重しよう!
→差別をなくそう!
→被害者を減らそう!
→かつての自分のような人を守ろう!
→加害者予備軍を取り締まるぞ!
→(多様性どこいった…?)

となっちまう。

これが「ポリコレ棒」と呼ばれるものの正体だ。

ポリコレ棒:少しでも差別的と感じられる発言や表現に対し、過剰に反応し、激しく批判する行為。

ポリコレとは?言葉の意味や実際の使い方についてわかりやすく解説

そして、これまでの多様性の最大の課題は、

完全にすべての人が尊重される世界を実現しようとしてきた

ってこと。

それの何が問題なのかというと、まぁさっきも言ったとおりそもそも実現不可能なわけよ。

「実現不可能だからといって目指さない理由にはならない」っていうのも気持ちは分かるけど、めちゃくちゃ問題なのが、

叶えられない望みを持つ人ほど現実に絶望しやすい

ってことなのよ。

その結果、多様性の実現を目指すほどしんどくなる地獄みたいな状態が出来上がった。

新しい多様性の提案

というわけで、これまでの多様性には、

  • 自分より他者を優先しすぎて鬱

  • 一部のトラウマ持ちの自己主張が強すぎ

  • 叶わぬ夢(真の多様性)を目指すあまりに絶望

という課題がある。

なので、シンプルにこれを見直しつつ多様性の本質である、
「あらゆる人を尊重してハッピーマシマシにしようね」
を実現していく方法を提案したい。

他者と自分を同レベルで大事にする

日本人はとりわけ利他意識が高い民族なので、多くの多様性しんどい民は自分を殺しすぎてしんどくなっていると思うのよ。

匿名で誹謗中傷する人が多いのも、
「言いたい事も言えないこんな世の中じゃ POISON」
の表れだと思う。

なので、自分のことも他者と同じくらい大事にしましょ。

すべてのものの存在だけは認める

「俺、女という生物が憎いミソジニストなんやけど、『女嫌いやわ〜』って言ってええの?」
という疑問が湧く人もいるだろうけど、結論、言っていいよ。

ただ、女がこの世に存在する事実だけは認めようぜ。

そして、男が嫌いなミサンドリストに
「私、お前のこと嫌い」
と言われたとしても、その存在も認めよう。

富める者と貧しき者がいることも、加害者と被害者がいることも、幸福な人と不幸な人がいることも、すべて認める。

感情が揺らいだらコンテクストに目を向ける

堂々と思ったことを言い、思ったことを言われる。

その上で、
「なんだこいつ」
「すごい傷ついた」
「信じられない」
と感情が揺らいだときだけ、コンテクストに目を向けよう。

出来る限り、その本人と直接対話をしよう。

「そっか〜、君はそういう考えなんだね。良かったらどういう背景があったのか教えてよ。興味があるんだ」

そう言ってみよう。

もちろん、そう言ったところで
「は?うるせー死ね」
って言われるかもしれないし、無言で距離を置かれるかもしれない。

が、それもさっき言ったとおり「まぁそういう人もいるよな」と認める。

多様性を尊重できないことも認める

ちなみに、感情が揺らいだ瞬間にブチギレてしまう人もいるだろう。

それゆえに、
「自分はコンテクストに目を向ける余裕の無い、狭量な人間だよ〜」
と思うかもしれない。

いやいや、さっき言ったじゃん。
そういう自分も認めて大事にしましょ。

で、その上で落ち着いたときに改めてコンテクストに目を向けよう。

あるいは、自分自身がどうしてそういう態度になってしまうのか気になるなら、自分自身のコンテクストを深堀りしてもいいかもしれない。
茶でも飲みながら、ゆっくりと読書でもするように。

改めてあたしのアイコンを見て

さて。
ここまで言ってきたことが、あたしが新しいSNSアイコンに込めた思い、要するに、コンテクストだ。

改めてあたしのアイコンを見たら、見え方が違ってくると思うんだよね。

「う〜ん、やっぱ不気味」
という感情はもちろんあるだろうけど(笑)、どうしてその不気味なアイコンにしているかの理由は分かったと思う。

その営みこそが、新しい多様性の第一歩だ。

で、まぁね、こんな駄文をここまで読んで「なるほどそうか〜」と思えるあなたなんだから、今もし、友達とか同僚、お客さん、恋人、親、兄弟、ご近所さん…といった身近な人にモヤっているなら、ぜひ

自分の気持ちを大事にし、
その人の存在を認め、
モヤってる自分を認め、
相手のコンテクストに目を向ける

ということをやってみてほしい。

もしその相手と落ち着いて話し合える状態なら、あたしがたまにワークショップでやっている「オープンマインド対話会」を提案してみてもいいかも。

ざっくり言うと、一対一で自分の人生について胸襟を開いて語り合う会なんだけど、コンテクストを知るのにうってつけだから。

まぁ、もちろん「ヤダ」って言われるかもしれないけどね。
それはそれで認めましょ。

ほいじゃ、また。
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