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INFP・HSPっぽい傾向のある人は「自己肯定感を上げる」(Google検索上位に来るやつ)系の記事を参考にしない方がいいと思う話

こんにちは。INFP・HSP傾向のある自称小人属性のりさです。このnoteでは、私が「社会の中でINFP・HSPっぽい傾向を大切に生きていく」を目標に、考えたり、実行したりしたことを備忘録的に書いていこうとしています。

今回のお題は、「INFP・HSP傾向の気持ちがラクになる系」で、『自己肯定感』のことばの罠で疲れてしまっている方(主に自分)に向けて書いてみようと思います。自分の体験談なので、万人に当てはまるかはわかりません。また「もうそんなことは知っている」という内容かもしれませんが、備忘録的に書き残しておこうと思います。


注意事項としての前書き

MBTIタイプ論からのINFP、HSP自己測定上のHSP(100/125)は、私の性格のすべてを表しているものではありません(MBTI検査は専門家の元で行ったものです)。INFP、HSPにもさまざまなタイプ、濃さがありますので、結局私は私です。『INFP、HSPの傾向がある』くらいに捉えていただくのが良いと思います。また、MBTIタイプ論もHSP測定も言っていますが、それは人にレッテルを張るものではなく、私という人間の一番わかりにくく私としても説明しにくい部分を分かりやすくシェアできる可能性が高い定義として使わせていただいています。


1.巷で良く聞く『自己肯定感』への違和感

いろんなメディアで「自己肯定感を上げましょう」「自己肯定感を上げる方法」と言った言い回しが目立つのですが、私は個人的にこの言い回しに違和感があります。

「上げよう」ということは、「(何かしらの行動をして)上げた方がいいことがある」「もともとは低いもの」という前提があるように思います。

私は、もともと人間の自己肯定感は高いというか、ニュートラルと言うか、あって然るものだと思います。自己肯定感があって然るものということは、「自己否定」が常態化している状況は不自然なこと(その不自然も自然と言うことも言えるのですが、その話はまた今度にします)と言えるかもしれないというか、この記事ではそのような文脈でお話ししようと思います。

ちなみに、自己肯定感をウェブの辞書サイトで調べると

【自己肯定感】
自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。 自己否定の感情と対をなす感情とされる。

日本語表現辞典 Weblio辞書

と出てくるのですが、『自己肯定感』はもともと人間に備わっている自然な状態のことを指すことばだと思います。

ではなぜ、「もともと備わっているものをわざわざ上げるという文脈で語るのか」?ということなのですが、”自己否定の感情と対をなす感情”と出て来ているように、この「自己否定」感を感じている人が日本には多くいるらしいという調査からそんな話が出て来ている可能性があります。

「自己否定感」が自己肯定感と対をなすことばであり、自己否定感=自己肯定感が低いという文脈で語られているような気もします。なので、その状況を改善しようという意味合いで「自己肯定感を高めよう」ということばがよく使われるように思えます。

ただ、個人的にはその言い回しより「自己否定感を薄めよう」「自己否定感を解消しよう」の言い方の方が本質に近いような気がしています。

ですが、Google検索で「自己肯定感」で検索すると、その上位に表示される関連記事には「自己肯定感を高める」という内容が多くみられます。私自身も自己肯定感をもっと持ちたいという気持ちがありますが、やっぱり私にとってその記事の内容は息苦しくなるような感じがあります。

その中で、次の記事に出会いました。

この記事で書かれている「自己肯定感」は、割と私の考えに近い気がします。そして、「自己肯定感を高める」という言い回しの違和感の正体が分かったのもこの記事のおかげでした。

この記事に書かれている

自己肯定感=ありのままの自分を受け入れることが出来る
自己効力感=自分は出来る人間だ!と信じている

天才Lab.-ステキなミライ研究室

という記述ですが、これを見て私は、

巷で言われている「自己肯定感を高める」ワークとか方法とかは、この「自己効力感を高めましょう」と言っているようなニュアンスに感じます。

記事の中にも書かれていますが、自己効力感は成功体験の積み重ね、ある種条件付きの肯定感です。

自己肯定感で大切なのは、『無条件』であることですよね。どんな状態のその人個人でも受け入れられる、大丈夫だと安心できる感覚だと思います。

しかもよく思うのは、「自己肯定感」と検索して上位に出てくる記事の「自己肯定感を高める方法」として紹介されている方法なのですが、どれもしっくりくるものがありません…あったら教えてください。どれも「それができなくて困っているんだが…」と思えるものばかりです。

なぜか、ということを考えたとき、次のような考えが私に浮かびました。


2.そもそも自己肯定感は『上げる』ものではない

1でも少し触れましたが、『自己肯定感』は備われていて然るものなのではないかと考えます。

なぜか、というと、引用であった『自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情』は、身体から自然に出るものだからだと思うからです。

身体は、生きているうちは基本的に生きようとして活動します。

心臓も肺も腸も胃も血管も血流も次の瞬間にいきなり止まって死へ向かおうとすることは、特殊な状況以外ではほとんどないと思います(私が無知でそういった状況も頻繁にあるということがあれば教えてほしいです)。

自分を構成する様々な要素を『自己』、それを存続させようとする生命活動が『肯定の状況』であるなら、生命活動が然るべきあり方で持続していく状況は常に『自己肯定』である、と私は考えます。そしてそれを感じることを『自己肯定感』だと考えます。

私は自分の呼吸感、脈拍、身体を感じるのがとても好きでした。そのときは『自己肯定感』はいわゆる『高い』状態だったと思います。ただ、『自己否定』が強くなってしまった時期は、自分の身体を感じることがとても嫌になっていました。感じたくないと感覚を失くしてしまったような体験もしました。

なので、自然な状態で生きているとき、『自己肯定感』は自分にとってとても愛おしい感情であり、それが発露するのは極めて自然なことだと思います。

ではなぜ、『自己肯定感が低い』ということが起こるのか?

ひとつはことば的なニュアンスで、どちらかというと『自己肯定感が低い』と言うよりも、『自己否定感が強い』『自己否定感が自己肯定感を上回っている』という言い方の方がしっくりくる気がしています。

そこから紐解くと、『自己否定感は自己肯定感を邪魔するものである』
『自己否定感があることで自己肯定感を感じにくくなる』さらに、『自己否定感はなんらかの要因でその人に発現する』『自己否定感がなくなれば自己肯定感を取り戻せる』ということではないかなと思っています。

つまり、自然な自己肯定感を感じにくくする”自己否定感”、その要因となっていることを解消すれば、自己肯定感は勝手に出てくる、ということだと思います。

なので、自己肯定感は『上げる』ものではなく、それを邪魔しているものを見つめなおし、解消していくというほうが、本来の健やかな自己肯定感を取り戻せるのではないかというのが私の仮説です(すでにそういうことを話している人も多くいると思いますが、私はそういう考え方と言うことを明記したかったのです)。

そして、INFP・HSP傾向のある人はなぜ上記のような記事を参考にしない方がいいかというと、私はなのですが、大体その自己肯定感を上げるワーク的なものは、やはりマジョリティー(INFP・HSP系でない人)用なので、真摯に取り組んで、逆に疲れてしまったり、そもそも「そういったワークがしっくりできないから困っているんだ…」という袋小路状態になりやすい気がする(少なくとも私はそうなので、当てはまらない人、すみません…)ので、ワークで疲れるくらいなら記事を読まない方がいいような気もします。


3.不要物がなくなれば勝手にわいてくる

ということで、不要物(自己否定感)を解消すれば、自己肯定感は勝手にわいてくるものだと私は仮定しているので、大切なのは自己肯定感のために何かすることではなく、自己肯定感を抑えている不要物を探して理解して解消していくことが必要になると思います。

私は個人的に、自己肯定感は森の奥の湧き水みたいな感じで、勝手にわいていると思います。そしてその上に大きな岩が乗っていたら…流れが滞ると思います。止まることは消してなく、土の間にしみ出したりもしていると思いますが、それでもやはり本来はまとまった流れとなるはずが、岩によってそれが妨げられていると言えます。

この比喩で言う岩=不要物(自己否定感)とは具体的にどういったものかと言うと、
・トラウマ
・認知の歪み
・思い込み
・信じなくても良い集団的無意識
といった類のものかと思います。

私は専門家でないので具体的にお伝えはできないのですが、大体人間の自然で健やかな人生(特に精神衛生面)を苦しめているのは上記のようなものだと思います。

それも、その人のせいではなく、何らかの要因が重なってそういったことが起こり、またその起こったこともある種忘れてしまって癖みたいなものだけが自分に残って、それがどこからくるか分からなくなっている場合もあるかもしれません。

なので、巷で言われている自己肯定感を上げるワークをするよりも、自分でできるところまででいいので(無理しない方がいいとは経験上思います)、上記のような不要物を解消していく方向性が良いと思います。一人で難しいときもあると思うので、そのときは専門家に相談する必要もあるかもしれません(専門家のご紹介まで至らず恐縮ですが…)。

不要物、とは称しましたが、それを紐解いていく中でものすごい宝物に出会うこともあるので、あながち「不要」と言い切れない部分もありますし、表現が難しいものでもありますが、今回は自己肯定感を滞らせるものとして紹介させていただいているので、そのような表記をしました。

やはりここも「引き算の美学」というか、高めるために何かをするということではなく、もとの状態にするために不要なものを手放していく、という方向性がいい感じがする、と勝手に思ったりします。

4.まとめ

そんなわけで、専門家でも何でもない私が、今までの人生で分析してきたことや感覚をまとめて、

『自己肯定感を上げる』という言い回しはちょっと変

『自己肯定感』は生命活動の自然な発露

『自己肯定感を妨げる』もの(自己否定感)にアプローチ、解消するのが健康的なのでは

といったことを書いてみました。

いやぁ、『自己肯定感を上げる』のことばにずーーーーーっと違和感があったので、私が書いた内容が本質に近いかどうかは(自分では少し近いと感じていますが)専門家でないので分からない部分もありますが、違和感について言及して、みんなでともに健やかになるには何が必要か、今の時点で思うところを書けて良かったと思います。

あくまで個人の考えなので参考等にはならないと思いますが、こういった一つの見方も大切かとも思います。

私もまだ手放せない想いがあるようなので(自分ではっきりとは分からないけれど、なんかありそう…くらいは感じます)、それも紐解きながらまたそういったことを書ける機会がありましたら書いてみたいと思います。

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