見出し画像

石焼いもと小さな奇跡。

ひさーしぶりにショートストーリーなど書いてみた…熱を冷まして読んだのち、やっぱだめぽとなったら消しますね。お写真拝借、ありがとうございます!

----------------------------------

もしかしたら、仕方がなかったことなのかもしれない…。

麻衣子はそう思いながら、玄関のドアの取っ手を握った。いつもは何の気なしに開けるドアが、今日は一瞬取っ手の冷たさに気を取られ、あるいはこの間のことで気持ちが重いからか、まるで行く手を阻む障害物のように感じられた。

はあ。

その一間に、さっき部屋でいい加減吐き出したと思ったため息が、また出た。ああ、これをしたくないから私は今ここにいるのに、とひとりごちた。


麻衣子は都内の小さなデザイン事務所で働くデザイナーのたまご。最近ようやく雑用から卒業、ネット通販の商品画像作成の担当を任され、これから自分の本領を発揮していけると期待に胸を膨らませていた。だが、商品画像作成チームで、それは起きた。納期間近でほとんど出来上がっていた麻衣子の画像のデータが同じチームの先輩に削除されてしまっていた。

まさか和気あいあいとした小さなデザイン事務所で、こんないじめのようなことが起きるなんて想定していなかった麻衣子は、まず最初に混乱した。出社後、納期先に画像のことを連絡しようとメールを書いていて、画像の枚数を調べようと格納フォルダを開いたら…空っぽだったのだ。昨日見たときには確かにあったのに…もしかして保存のし忘れ?それとも自分が誤って消してしまった…?仮に消してしまったとしても自動バックアップフォルダがある。麻衣子は慌ててそのフォルダを開いたが、やはり何もなかった…。原因の究明は後回しにして、リーダーに報告と、何より納期先に事情の説明と期日の延期を連絡しないと。麻衣子のその日は原因不明のデータ消失を何とかカバーすることで終わったのだが、後日、社内を巡り巡ってきた「誰にも言わないでね」のうわさを聞き付けた別の部署の麻衣子の友だちが、麻衣子のチームの先輩、佳代がデータを消したことを教えてくれたのだった。

「どういうつもりなんですか?!」

こんな小学生じみた嫌がらせを受けて、黙っていられる麻衣子ではなかった。単刀直入、佳代にその怒りを伝えた。同じチームで、画像編集の苦労も、納期の大切さも分かっていながら、何か事情があるにしてもこんなことをするなんて本当に信じられない。まくしたてる麻衣子に佳代の口は堅く結ばれたままだった。一通り言いたいことを言って息を切らしていた麻衣子に、佳代は「バックアップ、USBにでもとっておけばよかったのに」と言い放った。これは明らかに麻衣子の怒りの炎に油でしかなく、麻衣子は怒りに震え、もはや何のことばも発せないほどだった。その沈黙の中、佳代は「悪かった」とぽつりつぶやくように言ってその場から去って行った。この二人のやり取りはその後会社の伝説となるのだが、その原因は、同会社の人事部に勤める佳代の旦那が、最近麻衣子のことばかり話すことが気に食わなかったということだった。もちろん、麻衣子にとってその旦那はただの顔見知りなだけだ。

『…だからって、やることが幼稚すぎる…しかも取引先の信頼を失えば、自分だって立場が悪くなるのに。頭おかしいわ。』

麻衣子の怒りはおさまらなかった。上司に佳代のことについて、今後会社に不利益となることをするかもしれないと相談にも行った。佳代は相変わらず平静な顔で出社し続けていた。麻衣子はもはや佳代に不信感しか抱けず、気が付いたらここ数日いつも佳代が仕事をやめることを願っていた。


このままこの気持ちが自分を占領していたら、仕事に支障が出る…。そこまで考え始めた麻衣子は金曜日、有休をとって土日と3連休ゆっくり過ごし、気持ちを切り替えようとしていた。

金曜日は一日心行くまでぐでぐでだらだら過ごした。有休をとるのも久しぶりだったし、暑くも寒くもない穏やかな気候で、仕事のことは何も考えずにリラックスした日を過ごせた。

そして今朝、土曜日の朝、昨日で気持ちが切り替わったと思った麻衣子の心にふと、怒りの中対面した佳代の苛立ちのような悲しさのような表情を思い出した。そのときは自分の感情のことだけしか頭になかったが、今冷静になって佳代の表情を思い出すと、もちろん許せない行為だけど…何か引っかかる感じがある、と麻衣子は思った。

もしかしたら、仕方がなかったことなのかもしれない…。

そう、明らかに佳代は嫉妬に怒り狂っていたのだ。そして、自分が佳代だったらどうだろう?愛して結婚した旦那が、同じ会社の別の女の子のことばかり話していたら…。もちろん私は絶対にその子のデータを削除したりしないけど!!と麻衣子は強く思うが、佳代の気持ちも、まったく理解できないわけではない。自分だって同じ気持ちを5年前にしていたのだから。

今日またそのときのことを図らずも振り返らされて、なんで自分がこんな気持ちにならないといけないのか麻衣子は苛立ち、でも思い出の中の自分の気持ちにしんみりしたり、まるで感情の小部屋に閉じ込められて、その部屋のスクリーンに映し出された様々な自分の気持ちを見たくもないのに次から次へと無理やり鑑賞させられているようだった。そこでついたため息の多さに嫌気がさし、だから外へ出ようとしたのだった。



今一度出たため息、出たものは仕方がない!と玄関のドアを押し開けて、やっとこの連休中初めて家の外へ出る。見上げた空は、雲が多いが晴れているようだ。外の空気は思ったよりも冷えていて、肌を打つそれに麻衣子は自然と目覚めさせられる気分になる。鼻から吸い込んだ空気は想像を超えていろいろな情報を芳醇に伝えてくれる。町や植物の息吹、空間の広さ、季節の移ろい…。ここ最近の自分の周りのいざこざと全く関係のないそれらが、感情の小部屋から麻衣子を連れ出してくれるように感じられる。

あの重そうなドアを押し開けてよかった、と麻衣子は思った。

するとふと、聞きなれない音が耳に飛び込んできた。

「ピー」

一定の音階を保ちながら、でもわずかに揺れるその音は、沸騰したやかんが伝えるそれととても良く似ている。そして、その音は次第に近づいてくる…これはきっと、石焼きいもの販売車の音だ。

この地域に焼き芋の販売車がくることは滅多にない。というか、麻衣子にとっては初めてだ。今朝はご飯も食べていないし、なんだか外の空気が今日は格段においしく感じられるから、焼きいもでも買って食べようかな、と部屋から財布を持ち出した。

雲が太陽にかかり始めた空の下、麻衣子がアパートの駐車場を横切って道路に出ると、ひとりの女性が向かいの脇道から出てくるところだった。グレーヘアに青紫のローブをまとったその人は、麻衣子のお母さんと同世代のようでありながら、母と違って上品なたたずまいだと麻衣子は思い、地方にいる母を思い出して懐かしくなった。麻衣子はその女性と道路で鉢合わせになった。女性は自分と同じタイミングで道路に出てきた麻衣子に、いたずらな笑みを浮かべて、

「もしかして、あなたもあれ目当て?」

と、焼いもの販売車の音のする方を指さして言った。

「はい、そうなんです。石焼いも屋さんはじめてで…おなかもすいてて。」

「そうよねー!このあたり石焼いもなんて全然来ないから、音が聞こえて飛び出してきちゃった。」

そんな風に言う女性は裸足にサンダルという、この時期にしては割と攻めた格好で、本当に『飛び出してきちゃった』のだと麻衣子は思った。

「ねえ、あなた一人暮らしなの?」

女性は突然麻衣子に聞いた。

「えっ、あ、はい。」

見ず知らずの人に自分のことを言うのはちょっと警戒したが、麻衣子は答えていた。

「そっか。私の娘もね、ひとり暮らししてて。なんとなくそう思ったの。」

そうか、この人も”お母さん”なんだ。証拠は何もなかったが、麻衣子にはそれが分かった。だから自分も無意識に、さっきの答えがするりと出てしまったのだろう。そして、女性はつづけた。

「昨日娘から電話があってね、彼氏に浮気された!って。一人暮らしで心細いのに、好きな人に裏切られて、あの子つらいだろうなって」

ああ、この女性も、私の中に娘さんを見ているんだな、と麻衣子には分かった。

「いろいろ、ありますよね…。」

「あなたも訳あり顔ね。そうなのよ、ないわけないの。特に惚れた腫れたの世界じゃ、ね」

そういえば、自分もそんな世界のいざこざに巻き込まれて今日を迎えているんだ、と麻衣子はふと思った。今、道路に出て焼いもを待ちながら、母と同世代くらいの全く面識のない女性と話している、いつもだったらそうそうないシチュエーションに、この間までのいざこざの世界を遠く感じていることに気づいた。

「ごめんなさいね、急にこんな話…。あなたが娘と同じくらいの年代に見えて、つい」

またいたずらな笑みがのぞく。チャーミングな女性の嫌味など全くない会話が麻衣子にとって心地よく、急にこういった話ができることもとてもうれしく思った。

「いえ、気にしないでください。私の母もあなたと同じくらいだと思います。懐かしくなりました。」

「あら、そう?それならよかった。母としては心配でね…」

「そうですね、うちの母もよくそう言ってます」

「あ、やっぱり?もうちょっと気楽にいればいいって言われるし分かってるけど、心配性なのよね…特に彼氏の話を聞くともう大変よ。もちろん娘の問題だから、私はあんまり口出さないようにしてるけど。つらい気持ちは聞いてあげたいじゃない?」

「そう思ってくれる家族がいると、とっても心強いと思います」

麻衣子はそういうときに母に連絡をするタイプではなかったが、いざというときは母がいる、ということは何よりの心の支えだった。

「とりあえずは、『浮気相手を刺してやる!』とか言わなくてよかったわ~」

女性はケラケラ笑いながら話を続けた。

「私は浮気でもなんでもないんですけど、先輩の旦那さんにちょっと気に入られて、その先輩から意地悪されたんです」

ことばが麻衣子からするりと出た。言う気などまるでなかったのに。

「あら、それはお気の毒…女の嫉妬は怖いわよね~」

「その意地悪が小学生みたいで。本当に頭に来ました。でも、私も『浮気相手を刺してやる!』くらいの気持ちになったことがあって…あ、もちろん刺しませんでしたよ!」

麻衣子と女性は目を見合わせて同時に笑った。

「その先輩のことはまだぜんっぜん許せないんですけど、その気持ちも分からなくないなって。…うん、でもやっぱりぜんっぜん許せない!」

「いいんじゃない、それで」

雲が流れ、また太陽が顔を出した。南中前の日差しはやわらかく、また透明度が高いように感じられた。そんな光に包まれて、これまで胸にあった気持ちの輪郭がわかったこと、それを何の気なしに見ず知らずの女性に笑いながら話していることで、麻衣子の気持ちは一分ごとに軽くなっていった。

アナウンス音が次第に大きくなり、ゆっくりと焼いもの販売車が近づいてくるのが見えた。その軽トラは焼きいもの皮のような赤茶色をしていて、荷台の屋根のわきで揺れる赤ちょうちんには『焼いも』の文字。焼きいもカーは麻衣子のアパート前の一方通行の道路を北から南へゆっくり走り抜けるところだった。

アパートを通り過ぎる少し手前で麻衣子と女性が販売車に駆け寄ると、運転をしていた50代くらいのひげを生やした男性が、販売車を道路のわきによせて停め、運転席から降りてきた。

「おう、らっしゃい!あったかくってあまーい焼いもできてるよ」

そういいながら、販売員の男性はトラック荷台の加熱器の木の蓋をあけた。途端に湯気が立ちのぼり、さつまいもの甘い香りが漂ってきた。

「何本いる?お二人の分と、おうちの人の分もいるか?!」

ひょっとして…、と思いながら麻衣子と女性は目を合わせた…販売員の男性は、二人を家族だと思っているらしい。男性は軍手をはめて、石の上に置かれたさつまいもを転がしながら続けた。

「親子で買いに来てくれるってのはうれしいねぇ。仲がいい証拠だろ?」

男性は引き続き大きな勘違いをしている。それが可笑しくて、麻衣子と女性はくすくすと笑いが止まらない。

「なに笑ってんだよ。親子の内緒話はそのくらいにして、何個ほしいか言ってみな」

麻衣子と女性は特に男性の勘違いを指摘せず、二人は親子で仲良く焼いもを買いに来た、という設定で買い物を楽しんだ。いつもと同じアパートの前の道路、電柱、街頭、塀、路地、空…なのに麻衣子は、ここが自分の知らない国、知らない町で、でもほっとできる人と一緒にいるような不思議な感覚に満たされてる。安心できる気配の中で非日常を味わい、その瞬間が心の底から楽しかった。

「まいどありー!」

販売員の男性は、とうとう最後まで麻衣子と女性は赤の他人であるという真実を知らぬまま、また石焼いものアナウンスを響かせて車を南へと進めた。

「冷めないうちに食べないとね~。それじゃ、またね」

「はい、それじゃ」

麻衣子が言うと、女性は道の反対側へ歩きながら、麻衣子に大きく手を振って路地の奥へ消えていった。

またね、の続きがないこと、女性と出会って話した瞬間や焼いも屋さんでの楽しい買い物はもう二度と繰り返されないこと、麻衣子にはとてもよくわかっていた。この瞬間、このタイミングだからこそ出会えた小さな奇跡に感謝しながら、おいしく焼いもを食べよう、と、麻衣子はアパート駐車場の車の停まっていないパーキングブロックに腰かけて、紙袋を開けてほくほくのさつまいもを取り出した。

次に自分の日常に帰るときは新しい自分になっているだろう。何かが解決されたわけではないけれど、さっき出会ったすべてが自分の気分転換の最高の演出だったと振り返りながら麻衣子は、しっとりと暖かく甘い石焼いもをほおばった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?