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脆い私に武器を

社会の洗礼を受けた。

一緒にいたい人を選べない。

価値観が合う人とだけ生活していくことが、不可能なのは知ってたけど、こんな早々にぶち当たるとは思っていなかった。

私が日本語を手にしたのは大学生以降、それまでは言葉を話せる人形で、意思のない空っぽ人間だった。
今でも自分が未成熟で、日本語を扱うのが下手だという自覚がある。
でも大学時代に、解像度の高い世界と美しい日本語に沢山出会って、鮮明で綺麗な世界を切り取って言葉で形にする幸せを知ってしまった。人形が愛されて感情を手にしたように。




事が起こった日、昔なら投げかけられても気づかなかった鋭利な言葉を喉元に向けられた瞬間、身を守る盾になる言葉をとっさに返すことが出来なかった。ちょっと考えれば対応する言葉を思いつくのに、その場で重い言葉を返せない。くだらない言葉に傷ついて惨めな気持ちになる自分が情けなくて悔しかった。






気にするほどの事でもないなんでもないことでも、憤りを覚えるほどの強い記憶は抜けない棘になって残り続ける。見た目がなめらかになっても中で身を傷つけ続ける。世界の見方を変えた以上、今までみたいに無骨に受け身で生きていてはいけないんだと久しぶりに感じた。


硬い言葉を浴びた時、どうやって対応するのがいいんだろう。どう頑張っても自分を傷つける人は存在する。そこに同じレベルの言葉を返したら言霊として自分に返ってくるし、何も言い返せないとモロに攻撃を食らってしばらくダウンしてしまう。まだ受け流せるほど大人じゃないし、自分に自信もない。







正解は今も分からない。
その場で処理できることと、落とす価値もない涙と、表面からは見えないけどふと存在を思い出すトゲを抱きしめて、私は今日も生きている。

私は誰も憎めない。誰にも傷つけられたくない。誰も傷つけたくない。

たおやかに変化して、軽く、快しく、爽やかに生きていけるように形を変えて、誰からも歪な言葉を向けられない人間に、そういう言葉をかけたくないと思われる人間になれたらいいのに。

目には目を歯には歯を、言葉には言葉を

私は自分を守るための自分の形を見つけたい。咄嗟に盾になる言葉を紡げる、柔らかな感性を身につけたい。人にどんな言葉をかけられても、言い訳で自分を正すのではなく、自分の芯をもって自分を抱きしめることができる、私のためだけの解を見つけたい。

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