見出し画像

与えることでしか埋まらない孤独

保温機能があるのか無いのか良く分からないよれよれのヒートテック

食欲を満たすためだけに作る、美味しいという概念を失った餌パスタ

勝負の日に使うと決めて未開封のままのDiorコスメ


在宅勤務で完全な缶詰状態になると、衣食住全てのクオリティが最低品質、生きられればそれで良いという状態まで落ち込む。自分磨きなんて歯磨きぐらいしかしてない。

恋愛などと言う高次元な欲求はどうでも良くなり、低俗な性欲が強まっていく。抱かれてもいいかどうかで男性を判断し、ストライクゾーンは急激に広がる。婚活用とは違う貞操観念低めのアプリに手を出し、どうでもいい人とどうでもいい付き合いを始める。恐らく彼らも私のことをとんだ尻軽女だと思っているだろう。まぁ良い。




ちょちょっとマッチングし、会う約束を取り付け、待ち合わせ場所に向かう。我ながら最低な行為だが、今日は何も考えず楽しむことにしよう。時間になると、彼からメッセージが来た。




「かっぱえびせん柄のリュックです!!」





は?



何を言ってるんだこの男は。どんなファッション雑誌を読んだらそのチョイスになるのだ。頭の整理が追いつかぬまま、目の前に彼が現れる。真っ赤なリュック、ホントにかっぱえびせんだ……そしてすぐ足元に目が行く、




クロックスサンダルに靴下




ほぇぇ?

 


彼の前で思わず謎の声が漏れてしまった。穴が空いたスリッパに靴下だと…??どういう意味なんだ。。「あったか冷たい」というのはデザートだけの理論では無いのか?????

もうしわけないが、完全に生理的NG。逃げるか否か。今ならまだ間に合う、知らぬ存ぜぬを決めればいい。

ただその日は猛烈に疲れ、思考がおかしくなっていたのか、もうどうでもいいやと流れに身を任せて焼肉屋に行った。


彼は、工場勤務で非正規社員。高卒で10年間、フリーターをしたあと今の職場に落ち着いたらしい。対して私は、中高一貫女子校、理系院卒、マンモス企業に勤め、だいぶ異なる経歴。大学名を告げると、空想上の学校だと思ってました、と言われた。

私は今まで基本的に同じ経歴、系統の人と会うようにしていた。それは、相手にスペックどうこうではなくて、共感を求めていたからだ。

バックボーンがあまりに異なってしまうと、相手の立場に立つことが非常に困難になる。仕事終わりの晩酌が何より楽しみな私にとっては、愚痴のジャンルが合ってないと困るのだ。労い合いたいというのが、私の結婚の理想像だから。

まぁウダウダ言っても仕方ないので、その場を楽しむことにした。ただ、彼は見た目こそクセすごだったが、気さくな人で言葉の選び方も面白かった。結構金銭面で苦労しているようで世の中憎んでいる感があって、ちょっと斜めな性格。ブラックユーモアに溢れているのは嫌いじゃない。話題も散らかりまくりで全く論理がなく、何の話をしてるのかもよく分からなかったけど、流れに身を任せる感じが今の私には心地良かった。納得感のある話をいかに組み立てるかばかりを考えていた頭に、僅かな安らぎをもたらした。

お金が無いのか彼は注文の9割がホルモンで、咀嚼で腹を満たそうとしている。本来ならドン引きしているところだったが、憎めいキャラと相まってなんだか許してしまう。あごが痛ぇぇよ…と思いながらも、レモンサワーで最後まで付き合うことにした。




夜も10時過ぎ。
なぜかノリで、みなとみらいの観覧車を見に行くことにした。みなとみらい駅から歩き、観覧車、大さん橋あたりを徘徊した。

ベンチに腰掛け、真っ暗な海を眺めて、小一時間話した。なぜだろう、あと数年一緒にいても絶対にこの人に恋心を抱く気が起きないが、やたらと会話は弾んだ。お金の使い方、結婚の意義、友達や家族との付き合い、仕事内容、全てが違いすぎて斬新。もはや社会科見学だった。

ただ一点、お互い恋人がほしいという点だけは共通していた。こういう人はなぜ彼女が欲しいのだろうかと、興味で聞いてみたところ、彼は即答してくれた。



「応援する相手が欲しい」



されたいじゃなくて、したい。
素敵な考え方だった。


こういうことをどれだけの人が言えるだろう。大抵の人は愛されたがっている。孤独は、誰かが埋めてくれると思っている。いかにモテるかばかりを考え、愛とは愛されることだと思っている。

だけど本当は反対だ。孤独は、人を愛することで初めて埋められる。誰かからの一方的な何かは仮初めでしかない。

大して知りもしない人から、頑張ってるね、とか、つらいね、とか言われても、ピンとこないというか、「あなたに何がわかるんですか」と言う風に逆ギレしたくなったり、自分のことを誰も分かってくれないんだと一層悲しくなる感覚は誰もが味わったことがあるだろう。それとは逆にした状態が、愛する、孤独を埋める、という行為だと私は思っている。つまり、

自分の中に沸き立つ感情を元にして、他者や社会といった自分の外側に働きかけることで、相互に繋がること

というのが私なりの孤独を克服した状態を意味する。要は、受け身で手に入ったものに価値は無い、ということが言いたい。




日付が変わろうとしていた。彼は私より家が遠いのだか、終電を急いでいない。私もぼーっと、まぁどうとでもなるだろうとか、タクシーで5000円だろうなぐらいの雑な思考だった。波の音と潮風がとても心地よく、穏やかな気分。となりには彼がいる。今日はもう良いよね。あー、あそこホテルか。

そして私はそのまま一夜を彼と、






ということにはならない。なぜならヤツはサンダル靴下野郎だからだ!!


シンデレラタイムは終了
恋人ができたら旅行に行きたいという心底どうでもいい彼の話を一刀両断し、そそくさ駅に向かい始める。もはや走らないと間に合わないのに、横っちょで「LINEを…」とか言ってくるので、「いま終電逃すかどうかの瀬戸際じゃろがいっ!!!」と瞬殺。


じゃあまたね~
駅の改札で彼とあっさり解散。


もう会うことは無い。会いようがない。この世界は連絡先を交換しないと人とは繋がれないのだから。ほんとに脆い。


ありがとう。最後ごめん!
でもあなたならゆるしてくれるよね、




おしまい





P.S.
衝撃。


https://item.fril.jp/ec8b18b361bf7cd850ba2f020fbd1923


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?